第2話
「あー、良く寝たぜ……あれ、眼鏡はどこ行った?」
ベッドに起き上がって頭を振るサエリクス。どうやって部屋まで帰ってきたかをまるで覚えていないことに気がつき、彼は呻いた。
何を話したのか何をやらかしたのか、うっすらと記憶があるということは、またしても自分は同じことをしでかしてしまったらしい。ジェイノリーにも「呑みすぎるな」と注意されてはいるのだ。
医者である友人は酒量を過ごすこともないし、こういった醜態をさらすこともない。サエリクスとしては気持ちよく酔っぱらっていたらいつの間にかこうなっているという状態なので、特に呑みすぎたつもりもないのだが、難儀なことである。
とにかくまずは、部屋に備え付けられた洗面台で顔を洗い、乾いた服を着て朝食の席まで下りることにした。
「よ、よう。昨日はあんがとな……」
「なに? なんのこと?」
「いや、その……」
「気にしないで。僕も酒の席ではやらかす側だからさ、気持ちはわかるよ。また一緒に呑もうね」
「お、おう。お前がそれで良いならいいや」
爽やかな朝に似合わず、二人は暴力的な用事へと繰り出すことにした。
王都にはサイネールの父親であるノレッジの手先がそこかしこに潜んでいるという。彼らを個別に叩き、聖堂騎士襲撃計画について吐かせようというのがサエリクスのプランだ。
どんなに巧妙に隠蔽していても、アジトへはどうしたって人の出入りというものがある。食料品の持ち込みや武器などの調達、整備。それに新着情報の共有など……。電話のように便利な遠隔会話装置などないこの世界では、やはり最後に頼れるのはマンパワーだ。それが口伝てであれ書簡であれ、情報を運ぶ人間(もしくは動物)というものが必要になってくるのだ。
「で、あの男で間違いねーのか」
「うん。確かに見た顔だ。……けっこう荷物多いね?」
男が藤のかごに入れて運んでいるのは持ち帰り用のデリカの皿で、陶器のそれはひどくかさばる。それに加えてパンの袋も脇に挟んでいるのだ、あれは重いだろう。
「自分たちで料理しないのかなぁ」
「女手があるのにってか? エリーゼのことを言ってんなら、あいつに料理は期待するだけ無駄だぜ。包丁ひとつロクに扱えそうにない」
「へぇ。よく見てたんだ」
「……そういうんじゃねぇよ」
サエリクスは眉をひそめてサイネールを睨んだ。角から様子を窺っていた二人だったが、突然サエリクスが飛び出した。
「らぁ!」
「どぅあっ!?」
両手に荷物一杯の男の尻を、思い切り踵から蹴飛ばすサエリクス。突然の出来事に男は受け身も取れず、顔から地面にめり込んだ。
「わっちゃ~、痛そ……!」
その鮮やかな襲撃を見ていたサイネールは、やられたガイエンの部下を少しだけ憐れんだ。
陶器の割れる耳障りな高音、ぶちまけられる総菜たち。咄嗟に男の手から引き抜いたパンに齧りつきながら、サエリクスは目を見開いて嬉しそうに「うまいな、これ」と言った。
「オイコラ、目的は割れてんだ、さっさとアジトまで案内しやがれ」
「うぐぅ」
男の頭を踏んづけ、ぐりぐりと踏みにじるサエリクス。そこへ、後ろから別の男がナイフを片手にサエリクスの肩を掴む。
「あ、危ないっ!」
サイネールが叫ぶと同時、サエリクスは男の手を振り切り真正面から対峙した。サエリクスよりもやや小柄な男は左手にナイフを持っている。振り下ろされる一撃を、相手の腕をはじいてブロック。
続けざまに放たれた膝蹴りを両手でブロック。その反動を使ってサエリクスは男の顎をかちあげた。
「ぐぼっ」
「おらよっと」
アッパーカットを食らってほとんど気絶していた男に足払いをかけて引き倒すと、サエリクスはゴロンと道端に転がした。チャリンとナイフの落ちる音がする。
「うっそ……強っ!」
最初に蹴たぐった男が立ち上がる暇もないほどの早業であった。
「さてと……サツが来る前にずらかろうぜ。オラ、きりきり歩いて案内しやがれってんだ!」
「ひいっ!」
「これじゃどっちが悪者なんだか……」
「ああっ?」
「なんでもありませーん!」
サエリクスは最初に見つけた男の腕を掴んで無理やり立たせ、後ろ手に腕を極めて歩かせた。サイネールの揶揄をひと睨みで黙らせ、アジトへ向かう。道々尋問したところ、今、アジトには人が少ないということだった。およそ八人。
「その中に女はいるか?」
「あ、ああ……。お高く止まっててろくに返事もしないような女だがな」
ふと、サエリクスの脳裏に泣き笑いのエリーゼの顔が浮かんだ。彼女もいるのだろうか。……きっといるだろう。あのとき、無言で離れていった彼女が何を考えているのかは分からない。
サエリクスのことを探していたというエリーゼ。彼女との再会はどのような意味を持つのだろうか。
彼らのアジトは呑み屋街の外れも外れ、昨夜酔い潰れたままの男たちがまるでゴミのように路に棄てられているような場所だ。いかにも犯罪の温床のようなスラムの一角にあって、天井の一部が崩れている廃墟が彼らの城だった。
「さっそくだが、行くか……」
そう言うと、サエリクスはなんと、男を解放してやった。