第7話
一方、ガレージを出発したディールは屋敷を囲むフェンスの外までY34を進め、馬車の通る道にゆっくりと車を出した。四点式シートベルトでグリセルダの体は固定してやったし、舌を噛まないようになどの注意事項も事前に言い含めてある。
「じゃ、しっかり掴まってろよ」
「おう! ……うぇっ!?」
ホイールスピンしながら急発進したセドリックが甲高い悲鳴を上げた。VG30ターボ、610馬力のパワーが重いボディを一気に加速させる。ディールは目前に迫る右の直角コーナーに向けて時速50kmまで加速し、思いっ切りサイドブレーキを引いてリアタイヤをロックさせる。いきなり車体が振られ、グリセルダが野太い叫び声を上げた。
馬車が二台すれ違う程度の、現代で言えば二車線の道だ。それをいっぱいいっぱいまで使い、右折コーナーに対してボディを傾け横滑りしていくのだからグリセルダはたまらない。
「ぎゃ~~~~っ、なんだこりゃ! ばっ、馬鹿、ディールっ、壁! 壁ぇ!!」
大きくて重いセドリックの後輪が歩道に乗り上げる音と衝撃、迫る壁。
ディールは壁面ギリギリまでボディを寄せてアクセルを踏み込み、そこから今度はアクセルを一瞬抜いて振りっ返し。慣性を利用して次の左直角コーナーにアプローチ。ここは余裕を持ってクリアだ。
もうもうと巻き上がる白煙。石畳にタイヤでブラックマークを残し、空気をつん裂くスキール音を立てセドリックは下り坂を駆け抜ける。
いくつかのコーナーを曲がり、市街地へと入る。行き交う人々が何ごとかと驚くのも気にせず、ディールは安全マージンを取りながらもパワーに物を言わせてドリフトしていく。そんな中、悲鳴の連続だったグリセルダが急に大人しくなった。
「んっ、んっぐ……」
「あ、おい。吐くなよ?」
「だい、じょぶ……!」
顔色を青くするグリセルダにディールは気が気でない。そのとき、交差点の真ん中で馬車が立ち往生しているのが見えた。
「……できるかな」
迷ったのは一瞬だった。
ドリフトのカリスマ、ケン・ブロック。彼が魅せたセグウェイの周りをグルグル回る神業ドラテク、「あれ」をやるなら今、ここでだ。
スピードを落とし、馬車の真ん前に躍り出るY34セドリック。
「ディール! ディール、おま、~~~~~っ!」
狂乱する馬の嘶きすら掻き消すタイヤの悲鳴。またしても急な横殴りのGに襲われたグリセルダは、自分で自分の口をしっかりと押さえた。
ドリフトによる定常円旋回。ディールはセドリックの鼻先を馬車に突きつけ、フロントガラス越しに真っ正面に見据えたままでぐるりと馬車を五周してそこを離れた。混じり合う怒号と悲鳴。しかし、風のように去っていった異様な怪物に、一部からは称賛と拍手が送られたのも事実だった。
衛士の吹き鳴らす警笛もお構いなしにメインストリートを駆け抜けていくダークブルー。王都を一周したY34はリスタールの屋敷の車寄せに停まった。愛車をチェックし、大きなトラブルがないことを確認したディールは、ひと息ついてから助手席のグリセルダに尋ねた。
「どうだった?」
「……すっげぇ。なんだこいつ、すっげえな! とんだ暴れ馬に乗せられた気分だぜ。ガッツンガッツン突き上げられて悲鳴上げちまった! あ、でも、視界が全然違ぇな、気持ち良かった! ありがとよ、ディール」
「そうか。そりゃ、良かったな。ところで、何でさっさと降りてこない?」
「や……その……」
「まさか、小便ちびったんじゃないだろうな?」
「違うわ! 漏らすか、あほ! ただ、ちょっと足が震えて立てないだけだ……」
足どころか手まで震えて四点式シートベルトを自分で外せないグリセルダに、ディールは肩をすくめた。思えば、相手は普通の車に乗ったこともない異世界人なのだ。吐かなかっただけまぁ及第点だ。
ディールは助手席側に回りシートベルトを外してやると、ややぐったりしているグリセルダに手を差し伸べた。彼女は一瞬きょとんとした顔でディールを見上げると、素直に手を預けてきた。
「あ、わりぃ……。肩でも貸してくれんのか?」
「いや? その辺に捨てとこうと思って」
「なんでだよ!?」
無情なディールの言葉にグリセルダは噛みついた。それでも手を借りてセドリックから降車する。多少ふらついてはいたものの、さすが偉丈夫、回復も早かったようだ。ディールとまったく同じ目線から、恨めしそうな表情でずんと顔を寄せてくるグリセルダ。胸がデカいせいで向こうの方が質量は大きい。思わず一歩下がったディールは面倒くさそうに言い訳をした。
「ジェレミアはトレーニングでへばるまでやるから、邪魔なときはその辺に投げとくんだが……嬉しそうに受け身取ってたぞ」
「あっちでどんな扱い受けてんだ、あいつ」
「いや、投げ捨ててたのは俺だけだけど」
「私の可愛い弟に何してくれてんだっ!?」
ウッカリ口を滑らせて姉バカに絡まれ、終わらない弟自慢にうんざりするディールなのだった。




