第5話
サエリクスはエリーゼの怒りの視線を冷静に受け止めつつ、顎に手をやり唸った。
「兵士、ねぇ。問題は強いか強くないのか、それだけだろ。座ったままでどれだけ戦えるのか、とかな」
挑発とも取れるサエリクスのセリフに、エリーゼが獰猛な笑みを浮かべる。
「言うじゃないか。 アンタ、最初はこっち側の人間だと思ってたけど……よくよく見たら毛色が違うよね。外に出たくたって、アタシたちは土地に縛りつけられててどこにも行けやしない、そういうものなんだ。アンタとは違うんだよ!」
「土地に縛りつけられてて……っていわゆる魔法とかか? それとも呪いか? その土地から出たら死ぬのか?」
エリーゼはすっくと立ちあがった。馬鹿にされたと思った彼女は、右手でサエリクスの頬に平手打ちを食らわせようとした。
だがテーブルの角を挟むようにして彼女の斜めに座っていたサエリクスは、飛んで来たビンタを屈んで回避した。空振りしたせいで勢いづいて回転した彼女の膝を座ったまま足で蹴りつける。するとヒザカックンの体勢になり、エリーゼは地面に膝をついてしまった。
「っ!」
気を取り直して立ち上がって、一気に距離を詰めたエリーゼはもう一度右手を振り上げるが、今度はその手を左手でキャッチして手首を捻られる。痛みに耐えつつ、せめても……とばかりにサエリクスの顔面に唾を吐きかけるものの、それもギリギリで首を捻って回避される。
そのままエリーゼを体ごと自分の方へ引き寄せたサエリクスは、空いている右手で彼女の腹にチョップ。彼女が怯んだ所で肘を捻り上げる様にして引っ張ると、遠心力を使ってエリーゼにテーブルをくるりと一周させて自分の右隣へと落とした。
「もう終わりか?」
椅子に座ったままの体勢で一歩も動かないまま自分を倒したサエリクスを、エリーゼは尻餅をついたまま恨めしげに見上げるしかなかった。
「アンタにはわかんないんだ、自由に街を出ることすら許されてないアタシたちの気持ちなんて……。アンタはきっと、どこにでも行ける側の人間なんだろ? 一生、誰かの下で縛り付けられて生きるアタシの気持ちなんかわかんないんだよ!」
その主張を聞いたサエリクスは真顔で言い返す。
「ああ、知らねえな。……知ったこっちゃねえ。俺はこの世界の人間じゃねえし」
気だるそうに足を組んで、サエリクスはさらに続ける。
「この世界のルールも、秩序も、地理も、生活スタイルも知らねえ。何もかも俺にはわからねえ。わかるのは……あのフードの奴が地球への帰り方を知ってるってことだけだ。俺はこの世界がどうなろうが、知ったこっちゃねえな!」
静まり返ってしまった店内に、エリーゼの啜り泣きだけが聞こえる。だが、本当に泣きたいのはこっちの方だとサエリクスは言ってやりたかった。
「勝手に人呼んで、牢屋に閉じ込めて、脅迫して無理矢理従わせて、用済みになればポイ捨てか? それで自由になれない気持ちがどうのとかって言われてもな、少しでも出歩ける環境があるだけマシだろうが。こっちはてめーにまで監視されてる今の状況で、はなっから自由じゃねえんだよ!! 俺の自由なんて最初からゼロなんだよ!!」
サエリクスの叫び声が店中に響き渡る。いきなりこっちの世界に連れてこられ、右も左も分からないのに協力しろと言われて、溜まりに溜まっていたフラストレーションが一気に爆発したのだった。
エリーゼはポカンと口を開けて彼を見上げた。少し垂れ目の大きな瞳からこぼれた涙でエリーゼの頬が光っている。彼女はやがて、小さく「ごめん」と言った。無理して微笑んでいるのか、その眉は少し歪んでいた。
「そうだね、アンタは元々ここの人じゃないんだもん。それこそ怒っていいはずなんだよね。でも、使い捨てになんてさせないさ。それはアタシが保証する。きっとアンタを帰してあげるから、信じて……」
そう言われても完全にこの女を信じることは出来ない。かつてヘルヴァナールにトリップしてすぐ、道案内の人間に自分たちの存在を騎士団に密告されて色々と面倒な事になった苦い思い出もある。だが、それでも相手は自分よりもずいぶん若い女の子なのだ。
「……まぁ、俺もちょっと言い過ぎたかも知れねえけどよぉ、俺はそっちの身勝手なやり方で良いように扱われてブチぎれる寸前だぜ。あのフードの奴をボッコボコにしてからでねえと帰れねえよ」
「ふふっ、アタシの妹を助け出した後でなら、いくらでも殴っていいよ。むしろアタシも参加したいさ」
エリーゼが軽く笑ってそう言い、気まずい空気も少しはマシになった。だが、辺りを見渡せばギャラリーがまだ居る。見世物じゃねえとばかりにサエリクスは顔と同じく浅黒い腕を横に振り、ギャラリー達を大声で怒鳴りつけた。
「いつまでも見てんじゃねえよ!! 散れっ、散りやがれっ!」
しかし、覗き込んでくる人々は引かない。それどころか、遠くから誰かが衛士を呼んでいる声もする。警笛が近づいてくるのが聞こえた。
「まずいね。目立ちすぎた。早くここからズラかるよ」
エリーゼは懐の小袋から硬貨を数枚テーブルに投げ出すと、裏口の方へ走った。サエリクスもそれに続く。
「これからどうすんだよ?」
「ほとぼりが冷めたら巡礼の馬車に乗り込むよ。あ~ん、魚食べそこねた!」
路地裏をザクザク縫うように進み、壁をよじのぼって別の場所へ抜けながらエリーゼが泣きごとを言った。