第12話
サイネールの研究室は真っ暗だった。サイネールは手探りで魔法石の角灯つけ、中を照らした。
「うわっ!」
爆発の影響でぐちゃぐちゃの研究室、その床に投げ出すようにしてブーツに包まれた足があった。一瞬、死んでいるのかと思ったが、グリセルダは大の字になってグースカ寝ているだけだった。
「うっそぉ……」
「異世界のパワーって凄いもんだな。脳まで筋肉とはこういうことを言うのか。……あっ、こいつ、南京錠までぶち壊してやがる。やっぱりゴリラはゴリラか……」
「ナンキンジョー?」
「いや、何でもない」
足の先までぐるぐる巻きにして簡易な錠前で留めたはずが、それが壊れて落ちているとは。いくらチャチな南京錠だって素手で壊れる代物じゃないのだが。思わず遠い目になっていたグレイルをサイネールのひと言が現実に引き戻した。マレビトの特徴に「未知の単語を使う」というものがあるのだ。しかもまた、異世界と言ってしまった。グリセルダとムートの前で口を滑らせたと思ってからは用心していたのだが。サイネールがずずいっと顔を近づけてくる。
「グレイル、もしかしてあんたは……」
「…………」
「マルクートの出身なんだろ? 最近多いんだよなぁ!」
「……まぁ、そんなとこだ」
酔っているせいか微妙に頭が回っていないサイネールだった。ちょっとホッとするグレイル。眼鏡くん自体は驚異ではないが、テロリストっぽいところがあるのでバレないに越したことはない。仲間が大勢いるかもしれないことだし。そんなグレイルの思いには気づかず、サイネールは床に転がっているグリセルダを見下ろし、その脇腹をブーツでつついた。
「それにしても……起きないな、このバカ女は! 重くて動かせないよ……」
「もっと力強く蹴らなきゃダメだろ」
「いやいやいや、やめようよ!?」
「……じゃあ、もう放っとけよ」
「それは……いくらバカ女だからって、女性がここでひと晩過ごすのはちょっと……バレたら外聞が悪すぎる」
どっちつかずのサイネールにグレイルは溜め息を吐いた。グリセルダは意外にもイビキひとつかかずに大人しく眠っている。黙っていると大柄な美人に見えるのだが……普段の行いがあれでは台無しである。
「ところで、このゴリラとはどんな関係なんだ?」
「どんなって、別になんの関係もないよ。学校内で誰にでも求婚して回ってるんだ、ったく、恥ずかしい真似をする……」
「見てるとわりと好意的じゃねえか。ちょっとくれえつきあってやれば?」
「無理無理無理! あんなのに乗っかられたら折れちゃうかもしれないだろ!?」
大きく顔の前で手を振って否定するサイネール。しかしやはり、そこまで嫌っているようにも見えない。デートくらいと思うのは他人事だからだろうか。
「第一、僕よりデカイし、僕より強いし、僕より歳上だし。男の面子丸潰れじゃないか? 僕の方が女みたいに思われそうだ……」
「確かにな」
「おい! ……それに、彼女はバカだけど“王の剣”リスタールなんだよ? 女にしとくのが惜しいって言われて、女騎士の叙勲まで受けたんだ。剣を手に戦う姿には女性だけでなく男もまた憧れたんだよ」
「ただの女子だ……ゴリラじゃなかったんだな」
女子大生という言葉が、なんとなく口にできないグレイルだった。
「それなのに今は……。女騎士団の団長に剣で勝負を挑んで負けたんだってさ。それで騎士団を辞めたって。すごく良い勝負だったらしいんだけどね。……でも、実際にはグリセルダが勝ってたって噂もあるんだ。それを良く思わなかった他の女騎士に横槍を入れられて、私刑にかけられたんだって」
「……そいつは穏やかじゃないな」
「あくまで噂だけどね。でも、それ以来彼女はすっぱり剣をやめて、今は花嫁修行中なんだってさ。……っていうかさ、『リスタールと繋がりが持てるからお得だぞ』とか、ほんと……信じらんない。バカだよ。そんな口説き方されて、誰が立候補なんてするもんか」
サイネールは少し怒っているようだった。グリセルダを爪先でちょんと蹴ると、彼は「やっぱり明日もあるし、帰って寝る」と角灯を置いて去っていった。
このままグリセルダが起きなくては朝まで一緒に過ごすことになる。ちなみに、抱いて連れ帰ることは不可能だ。180を越える長身でしかもガッシリしたグリセルダはグレイルよりも重い。叩き起こすしかないのだが、実は途中から目が覚めていて、狸寝入りをしているんじゃないかとグレイルは疑っていた。
「起きてんだろ? ……起きてないのか? だったら熱湯でもかけてみっかな」
「やめろ!」
やっぱり狸、いやゴリラだが。飛び起きたグリセルダはガシガシと後頭部を掻くと、むっとした顔でグレイルを見上げた。
「で、聞きたいことは聞けたのかよ、マレビト」
「どうしてお前がそれを?」
「ふん、私だって先生の弟子だぜ? それに、子どもの頃から昔話が好きでな……おい、笑うなよ」
「別に。で? 俺がマレビトだったらどうした。あの眼鏡くんに俺を売るのか?」
「何の話……」
「俺は実験動物じゃないんだ、もし俺の身体を解剖しようと仕掛けてきやがったら、俺はあいつを二度と立ち上がれないくらいまでにぶちのめしてやる」
「オイ、なにもそこまで……っ!」
へらっと笑うグリセルダの胸ぐらを、グレイルがぐっと掴んで顔を寄せた。
「あいつの腕と、足と、背骨をへし折って、舌を引っこ抜いて股間をグチャグチャに踏み潰してから内臓を抉り出してやる。本気だぞ? ついでに言っとくが、お前もその実験に協力するつもりなら……」
「グレイル、苦し……!」
「同じ目にあうことになるぜ。俺がマレビトだとあいつにバラしても、だ。黙ってろ、わかったな?」
「わ、かった……」
一句一句強調しながら言葉を絞り出すグレイルの迫力にグリセルダはただ頷くしかなかった。