第2話
か細い抵抗の声に裏路地を覗いてみると、そこには、デカい赤毛に進路を塞がれている線の細い男の姿があった。「なんだ男か」と踵を返そうとするディールに気づいたのか、男が呼びかけてきた。
「あ、待って! 見捨てないで!!」
「は? 俺?」
「あぁん?」
「えっと……あ、おーい、こっちだこっち!! 襲われてるんだよ! 衛士さーん!!」
まともに戦ったら何をされるか分からないので、ここは一計を案じたグレイルだったが、そのセリフを聞いて、脱兎のごとく駆け出したのは、なんと襲われていた男の方だった。
振り向いた赤毛はディールとほぼ同じような身長で、体格も同じくらいあった。デカい。しかし顔に施された派手な化粧とベストに包まれた大きく張り出した胸元がグレイルの動きを止めた。
(は? オカマ? それともマジで女なのか?)
マジマジと目の前の女(?)を見つめるグレイル。誰かを思い出すと思ったらあれだ、神取 忍だ。そのニセ神取 忍は、ズカズカとグレイルの方へやってくると、いきなり胸倉を掴もうとしてきた。
「オイコラ、てめぇのせいで逃げちまったじゃねぇか」
「なんだよ、どうしたんだよ? 神取 忍の親戚みたいな顔しやがって」
その手を片手でパシッと払いのけつつ答えるグレイル。
「あ? なんだその、カンドリなんちゃらってのは?」
「レスラーだ、レスラー」
「れすらぁ? 知らね。それより私の婿が逃げちまったじゃねぇか」
「痴話喧嘩なら家でやれ。近所迷惑だろうがよ」
「うるせぇ、どう落とし前つけてくれんだ! 面白い頭しやがって!」
「ゴリラに言われたくねえし」
「んだとコラ! クソ……またデートに誘えなかったぜ! お前のせいだぞ、責任取れ」
「知らん。じゃあな」
「あ、おい待てよ! 話は終わってねぇ!」
これ以上関わっていたら頭が変になりそうなので、さっさと立ち去ろうとグレイルは決めた。女はグレイルの肩を背後から掴もうとし、しかしそう上手くはいかなかった。グレイルは一瞬のうちに女の手首を掴み関節技をかけ、右腕で相手の左腕挟み込んで、そして脚を払って組み伏せたのだ。
「うおおおっ? なんだクッソ……! だが、そうこなくっちゃな、お前は強そうだと思ってたんだ!」
野生のパワーか、柔道の寝技を跳ね返すときのように緩急つけて上に載っているグレイルを突き上げてくるゴリラ。まさか女相手に力負けするなんて、と思いつつも、このままではまずい。度重なる突き上げに思わず呻き声が漏れる。
「ぐっ……」
「おおおおっ!!」
(なんだこの……女?)
グレイルは咄嗟に女の顔面にパンチを突っ込み、すぐに離れて距離を取った。それに対し、ゴリラは腰を落として肩から突っ込んでくる。さっきのグレイルの攻撃で鼻血が流れているがお構いなしだ。しかし軌道が直線的なので、すっと避けつつゴリラに足を引っ掛けるグレイル。
「っと!」
しかしこの動けるゴリラは前転して起き上がると、またしてもグレイルに向かってきた。その顔には壮絶な笑みが浮かんでいる。
一方的にやられているにも関わらず、ひどく楽しそうだ。このゴリラには技術はないが体格とタフネス、筋力には恵まれている。それに、はちきれんばかりの胸のせいで心臓付近にはダメージがあまり入りそうにない。こういう手合いは無駄に戦いが長引く。厄介な相手だ。だが。
(真っ直ぐ突っ込んでくるなら……)
こっちにもそれなりの考えはある。
「お前、気に入った! この私をここまで熱くさせるとはな……! 異邦人だろうが構わん、私の婿になれ!」
「うるっせええええええええええええ!!」
全力で向かって来るゴリラに向かって、グレイルはダッシュからのジャンピングニーをその頭目掛けてぶちかまそうとした。
「しねえええええええええええええええええ!!」
「おっと、いけません!」
突如、どこから現れたかわからないが、ダークスーツの老人が二人の間に割って入り、グレイルの足の軌道を逸らした。
「っと、ととと!?」
空中で軌道を逸らされたグレイルは驚きつつも何とか着地し、そのままスパッと方向転換。そして割って入ってきた闖入者に向かって問いかけた。
「……誰だ、お前は」
「じい!」
「お嬢様、ご無事でございますか?」
「だから誰だっつってんだよ!」
いきなり襲い掛かられたグレイルはたまったものではない。無視された形となり、思わず語気も荒くなる。おまけにこの老人はゴリラの味方ときた。
「これは申し遅れました。わたくし、リスタール伯爵家の元家令、ムートでございます。お邪魔して申し訳ございませんでした。しかし、このまま見過ごすわけにも参りませんからな。なにせ、嫁入り前の大事なお体なのです。もちろん、貴方様がお嬢様を引き取ってくださるなら話は別ですがな」
「絶、対、やだ。こいつが女ぁ? 確かにそういうのはいるけどよぉ、どう見てもお嬢様ってガラじゃねえし、もっと鏡見てからもの言ってくれや」
「そうおっしゃらず。可愛いところもたくさんあられるのですよ。よくよく見ればお美しいですし」
そんなことを言われても、見たくもない。見る気もない。
「伯爵家ねぇ。ってことはあれか、貴族ってやつか?」
「おう、貴族貴族。アウストラルは貴族だらけだからな、それでもまぁ、頑張ってる方の貴族なんだぜ」
「ああそう。で、ちょっと聞きたいんだが、ここはどこなんだよ?」
「んあ~、どこになるんだっけ」
「アウストラル王都の大学地区裏、南商業エリアでございます」
「だってよ」
「アウストラル……地球じゃねえみてぇだな」
やっぱり異世界にやってきたという予想は当たっていたようだ。難しい顔をするグレイルに、ムートが進み出て提案する。
「失礼したお詫びに、お食事でもいかがでしょうか。特別なおもてなしをさせていただきたく存じます」
「……まぁ、奢ってくれんだったら行くけどよぉ」
「ああ、なんでも食べたいものを言え、連れてってやる」
「そうだな、最近野菜とってなかったから野菜中心の店で頼むわ」
「草か……まあいい、ところでお前、名前は?」
「グレイルだ」
「私はグリセルダ。グリセルダ・リスタールだ」
「あんたは……ムートさんだっけな、よろしく。じゃあ早速連れてってくれや」
「よし、じゃあ、行くぞ! グレイル!」
「その前にお顔をぬぐった方がよろしいですよ、お嬢様」
雨降って地固まる。三人は揃って食事に出かけることとなった。これがグレイルのこれからを決定づける出会いだとは、彼はまだ思ってもいなかった。