第1話
「……ん、うぐ……あ、あれ?」
グレイルが目を覚まして顔を上げてみれば、まず視界に飛び込んで来たのが大勢の人だかり。いったい何がどうなっているんだ、と辺りを見渡してみれば、すぐに異常事態が起こっていることに気がついた。
(何だこの場所? それにこの人々の格好とか、建物とか……)
どこかイベント中のアミューズメント施設にでも連れて来られてしまったのか、と思ったがそうではないらしい。青い制服に制帽の男たちが人垣を割って進み出て、グレイルに話しかけてくる。
「ちょっとちょっと、この奇妙な物を置いたのは貴方ですかね?」
「え? いや、これは俺じゃなくて連れの持ち物だけど。ってか、あんたら誰なんだ?」
「我々はアウストラル王国、王都の衛士だ。もしかして外国のお方かな?」
「え、あー……ちょ、ちょっと待ってくれ」
ポケットを探ってみるが、出てくるのは自分のスマフォだけ。そっと確認してみるも当然のごとく圏外だった。せめてサイドブレーキが下りていれば……とドアから覗き込んで見るが、そういう面はキッチリしているディールのこと、きちんとサイドブレーキを施してあるし、ドアのロックもされている。これでは押したり引いたりしても無駄だ。
「まあ、とにかくこの邪魔な物をどかせてもらわないと困るんですよ。しかし、なんとも奇妙な……馬で引けるかな?」
「馬で引くのは無理だぜ。1500kg位あるからな。それに無理に引っ張ったら足回りがいかれちまうぜ」
引っ張るにしてもリヤタイヤは駆動しないので、後部のリアバンパーの下から持ち上げて引っ張ってくれとグレイルは頼む。それならフロントタイヤが回るのでレッカーするにも問題ない。
「足回り……? それはこのオブジェの?」
「そうだ」
「持ち上げてって……そんなこと可能なんですかね?」
「ゾウでも連れて来れば可能かもしれんなぁ。じゃあ、ひとまずここに置いたままにして、キンバリー伯爵にでも頼んでみるとするかね」
持ち上がらないとなるとサイドブレーキを下ろして後輪のロックを解除する必要が出てくる。それはまた面倒な話だった。知り合いに車泥棒をしていた男がいたため、グレイルは以前、彼から車泥棒の方法とそのコツについて教わる機会があった。ガラスを割って車に侵入し、キーシリンダーとイグニッションスイッチをマイナスドライバーでいじって直結でエンジンを動かすのである。古い車でしか出来ないことだが、知っていて損はない面白知識だった。しかし……。
(ガラス割ったらディールに怒られるだろうなぁ。俺のZ32ならまだしも……)
と思っていると、現代日本で言うところの巡査と思しき衛士らが話しかけてきた。
「ええと、それで? 旅人さんはどこの貴族にお世話になっているのかな?」
「貴族? 貴族なんて知らねえな。とにかくこれの持ち主を探しに行って来る」
「持ち主を探すより、ちゃんとホストに連絡を取った方が確実だろう。連絡先を言いなさい」
「ホストって? ホスト……いや、本当に知らねえ」
貴族なんてそんなもん、イギリス領オーストラリアでもあまり身近な存在ではないんだけどな……と思いつつグレイルは返答する。さっさとここを離れて散策がてらディールを探したかった。
「貴族の許しなしに、こんなオブジェを王都まで運んでこられるわけがない」
「っつっても本当に俺は何も知らないからなぁ。そうだ、もっと良く見てくれよ。この自慢の車をよ」
そう言いながらY34を指差すグレイルに、思わず兵士も興味が湧く。
「カー? これは、そうか、車なのか」
「ああ。もっと良く見てくれ。壊すなよ? ほら、そっちとかあっちとか」
「ふぅむ?」
「もしかして、彼はただの人足なのではないでしょうか」
「かもしれん。高価な品物なんだろうな。傷つけるわけにはいかないか……おや?」
上手く視線誘導をして、完全に彼らの注意が逸れたところでグレイルは小走りでその場から逃げ出すことに成功した。 衛士たちが振り返った時にはグレイルの姿はなかった。
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街を通り抜けていくと賑やかな商店街に出た。さすが王都と言ったところか、様々な職種の人々がいるのに驚かされる。石畳の敷き詰められた道には馬車がすれ違い、時代錯誤な衣装の婦人がいるかと思えば、学生風と見える青年たちがそぞろ歩きをしている。ショーウィンドウは少し歪んだ古い手作りのガラスで、通りをひとつ跨ぐと売り物は全然違ったものになっていた。混乱する頭を落ち着けるため、見慣れた物を探してみるのだが、道路標識も何も見つからない。
この街を見下ろしてみるかと坂道をどんどん上っていくと、不意に視界が開けてお堀の向こうに立派な城が見えた。シルバーストーンで走るために英国に渡った経験のあるグレイルは、ここでどことなく馴染みのある風景に出会えるのではないかと期待していたのだが……やはりと言うか、またしても異世界転移させられてしまったようだ。
あのときはすぐ、呼ばれた場所で何をすべきか、グレイルたちを召喚した「声」が教えてくれた。今回もまたそうではないかと思うのだが、立ち止まって辺りを見回しても、一向にそんな気配はない。とにかく、行くにしてもいきなり城はマズイと、グレイルは方向を変えた。王や貴族、騎士連中には良い思い出はない。手荒に扱われた挙句に、国外に放り出されるだけという結果に終わるのだったら、最初から関わり合いにならない方がマシというものだ。
(それにしたって、ディールのヤツはどこ行ったんだ? 車だけここにあるなんて……そもそもさっきまで何していたんだっけな)
ふと自分の股間を見て、グレイルは今さっきまでの自分のしていた事を思い出した。ズボンの社会の窓が全開なのだ。辺りをキョロキョロと窺ってから素早くサッと閉める。
(そうか、俺、トイレでディールと一緒に用を足してたんだったな。そうしたらいきなりあんなことに……)
当て所もなく足を向けた方へ歩き出したグレイルの耳に、悲鳴が飛び込んできた。
「や、やめて、はなして!」
「あ~ン? 別に取って食おうってわけじゃねぇよ。こうでもしねぇと、お前、逃げるじゃねぇか」




