第8話
ジェレミアは仰向けに体を投げ出したまま、至極満足げに声を立てて笑った。全力を出してなお足りない。そんなことは最初から分かっていたが、実際に挑んだことで得たものは大きく、何より充足感でいっぱいだった。
そこへ影が射す。両手をポケットに突っ込んだサエリクスが真上から覗き込んでいた。
「よぉ、立てるか?」
「ああ、大丈夫。ありがとう」
助け起こしてもらいながら、ジェレミアは周囲を見渡した。三々五々、片手に皿とグラスを持った騎士たちが何かをパクついている。ベイジルが主体となって白術の炎で調理をしているようだ。パンの焼ける良い匂いにジェレミアの口にも唾が湧く。
「いい匂いがする。何を焼いているんだろう、パンの香りだけじゃないな」
「俺のピッツァだよ。あいつら勝手に始めやがって……まず俺に食わせろってんだ」
「あはは、そうだな、体を動かしたら腹が減るものな!」
「違ぇし。いや、違わなくもねーけど、そうじゃなくて……。もう、とにかく俺にも持ってこいコラァ!」
サエリクスが食いしん坊だと勘違いしているジェレミア。しかしそんな誤解はどうでも良かった。サエリクスにとっては、まずピッツァだ。本物でなくても構うものかとばかりに、運ばれてきた焼き立てに齧りつく。
「あぢあぢっ! ん、ウマイ! すげぇ、マジでピッツァだコレ!」
二、三口ほどでペロリと平らげて、サエリクスは満足げな溜め息を吐いた。
「スーゴ……やっぱスーゴうめぇ……」
久々に食べた、温かくしかも懐かしい味に、思わず涙まで浮かびそうになったサエリクスだった。そんな彼を横目に、トムがジェレミアにも即席ピッツァを持ってくる。
「パンに何か乗せて焼くとは……面白いな!」
「旨いぞ。薄く伸ばして焼くからすぐにでき上がるし。でも……ジェレミーちゃんには無理かもな。大雑把だもんお前」
「なんだと! だったら貴様がまずやってみせることだな!」
「や、それは無理だな。俺にはこのスーゴを皿に出してやることと紅茶を淹れるくらいしかできない」
「それだけ食えと!?」
この西部大森林にも、アウストラル王国にも、パン生地に何かを乗せて焼くというレシピはまだない。パンは主食であり、素材の味を楽しむものでオリーヴ油やソースをつけて食べはしても所謂日本の惣菜パンのようなものは存在しないのだ。また、パン自体も種類は少ない。ドライフルーツが練り込まれていたり、果物のシロップ煮が乗せられているような甘いパンは王侯貴族のものであって、一般に出回っているパンは穀物の種類、配合や形が違うだけのものが多い。
そんな中でこのピッツァぽい食べ物は聖堂騎士たちの心を掴んだようだ。似たような食べ物が流行するのも時間の問題だろう。ディールは今回の立役者として騎士たちに囲まれていたが迷惑そうだった。
「ううっ、分隊長……! 分隊長をあんな壁板が割れるほど叩きつけるなんてあの野郎……!」
ジェレミアを尊敬しているロクフォールには、今回の試合は胸が痛かったようだ。ピッツァを焼くのを代わってもらってジェレミアのところへやって来ていたベイジルも無言でロクフォールに同意していた。何せジェレミアはこの第六小隊のアイドル的存在だ、他の若い騎士たちも同意見のようだった。
「泣くな、ロクフォール。僕は楽しかったぞ」
「楽しむなよ」
「また手合わせしてもらいたいものだなぁ!」
笑うジェレミアにトムからの突っ込みが入るが、ジェレミアは気にせずサエリクスを見ていた。そんなわけで、王都への便が出るまでの期間、サエリクスもまたディールとおなじく聖堂騎士団第六小隊の駐屯地に世話になることになった。ディールが与えられた部屋にサエリクスが入るのだ。
王都までの一番安全で早い移動手段はゾウの背にある輿に乗ることで、そのためには二、三日待つことになる。
「本当は早く発ちたいんだがな」
「あ~、なんだっけ、誰か殴ったんだったか?」
「ああ。名前は……なんだったかな、あの眉毛男」
「眉毛って!」
ディールのぼやきを聞いたポムとサエリクスが吹き出した。
「ヨックトルムって言うんっすよ、あの太眉毛! ウチのジェレミア分隊長が後から来たのに先に分隊長になったことやっかんでるんっす! ジェレミア分隊長は小隊どころか中隊を率いててもおかしくない、最前線の金杯騎士団で銀騎士の位を戴いたエリート中のエリートっすよ? それに張り合おうだなんて、ちゃんちゃらおかしいっすよ」
「確かに骨がある奴だよな、ジェレミア。……また相手してやるか。トレーニングのついでに」
「はっは~、喜ぶっすよ。体動かすの大好きなんすから」
「朝と晩、さらには休みの日には欠かさず修練場へ顔を出して、怒られるまで居座るひとだからな……」
「半端ねぇ練習量だな。強いわけだ」
「あとは体格がもう少し、な」
ポムとベイジルの言葉に大きく頷くロクフォール。それに対してサエリクスはニヤリと笑った。
「ヨックトルムなんかが敵うわけないんすよ、つまり。あ、でも、二人とも……あんまアイツ刺激しないでほしいんすよね。なんてったって、アイツ、ジェレミア分隊長とおんなじ部屋なんだから」
「…………」
そのヨックトルムをラリアットで気絶させたのがつい今朝のことだとは、言い出せないディールだった。
 




