第3話
少しは何か腹に入れておかないとこれから辛いだろう、とサエリクスは思った。東京に着いて夕食を摂ってから何も口にしていない。喉が乾いていたし、アルコールを分解するためにも水が欲しかった。
そのためにも毒味は必要だ。仕方ないな……と思いつつ、サエリクスはパンを受け取ってちぎり、半分をエリーゼに差し出す。彼女はそれをそのまま口で受け取って、むしゃむしゃと食べてしまった。
「うん、おいしい」
そりゃあそうだろう、冷えてはいるがショートニングやらマーガリンじゃない、本物のバターの良い香りが漂っていた。
「……毒は入ってねえみたいだな」
「だから入ってないって。他のも食べてみようか?」
「いや、いい」
エリーゼが持ってきたトレーには丸パンの他にスープと羊のスペアリブが載っていた。しかし、この状況で味わって食えと言われても到底無理だ。サエリクスが難しい顔をして少しずつそれらを食べている様を、彼女はじっと見守っていた。
「ねぇ、アンタ名前は? どこから来たの? 家族はいる?」
「サエリクスだ。地球から来た。家族は居る」
「地球?」
エリーゼは真剣な表情を作って言った。
「家族がいるなら、帰らなくっちゃ。アイツの言いなりなんて嫌だろうけど、ここにこのままじゃアンタ死んじゃうよ、サエリクス。……アタシもアイツは嫌い。アイツは……クズさ!」
「そんなクズに従えってのか? どんな奴なんだ、あいつは」
エリーゼはうつむいた。その肩が震えている。泣いているのだろうか? やがて彼女はポツリポツリと語り始めた。
「アタシの妹は人質に取られてるんだ。アイツは人望がないから、自分でそれがわかってるから、卑怯なやり方で他人を従えてる。だって忠誠は金じゃ買えないだろ?」
「…………」
「でも、ひとの命なら買えるのさ。上から役に立たないと判断された弱い人間は、街を襲ってくる魔物に投げつける囮になるか、実験動物みたいに扱われるんだ、この、ガイエンって国じゃあね。
あの野郎は、ジュードは、その実験動物をいつどうやって使うかを決められる。アタシが役に立ってるうちは、あの子は無事なんだ。……ね? とんでもない話だろ?」
顔を上げて微笑みを浮かべるエリーゼ。その瞳は乾いていて、逆に哀れみを誘った。だが、そんな話を聞かされてもサエリクスの心は冷えきったままだった。
むしろ、ますます協力する気が失せる。そもそもジュードという奴は、自分の都合で勝手に違う世界から呼んでおいて、あの態度だ。要らなくなったら平気でポイッと捨てられる未来しか見えない。あの男に利する行為は、それがどんな善行だってしてやりたくもないというのが本音だ。
だというのに、ジュードが宝珠を求める理由が、ガイエンとかいう国が覇権を握る為というんだったら尚更だろう。嫌な予感がビリビリする。
サエリクスは皮肉を込めてエリーゼに問う。
「話はだいたいわかったけどよぉ、結局俺はどうすればいいんだ? あいつに従うしかねえのかよ? それに、俺がお前の妹を助けるべきなのか?」
「そうさ。アンタには協力してもらう。どのみち、アンタだってそうするしかないだろ。……だってここから出る手立てなんかないんだからさ」
エリーゼは開き直ったようにニヤリと笑った。ジュードにとって、彼女は決して裏切らない駒なんだろう。そして彼女にとっても、これは妹の身の安全を買うためのチャンスなのだ。エリーゼは熱のこもった声でサエリクスを口説く。
「アウストラルから宝珠を取ってくれば、アタシは妹と別の国へ行けるし、アンタも帰れるんだよ。だから、一緒に宝珠を盗みに行こう、サエリクス」
(要するに、ここから出ちまえば良いんだよな? だったら……)
サエリクスは普段あまり使わない頭をフル回転させる。この檻から出られさえすれば逃げ出すチャンスがあるはずだ。
「……わーったよ、しゃあねえ。あんなクズのために働くのは御免だが、この世界で暮らすのはもっと御免だからな」
「やったね! ……ん? この世界? まあいいか。よろしく、サエリクス」
エリーゼが檻越しに右手を差し出してくる。 盗みに行く、というのがやはり引っ掛かるものの、一先ず握手に応じることでサエリクスは了解の意を示した。
すぐにでも牢から出られると思っていたのだが、そうはいかなかった。エリーゼはトレーを下げると、サエリクスを置いて地下牢から出て行ってしまったのだ。そして兵士を連れて戻ってきた彼女は、彼を厳重に縄で拘束して檻から連れ出した。
そのまま例のフードの男、ジュードに会うこともなく、まるで捕虜のようにしてサエリクスは馬車で護送されてしまった。肝心のエリーゼはいないし、大声で呼んでも顔を出しもしない。
(くそ、このまま良い様にされてたまるかよ……)
身動き取れないサエリクスは、それでも虎視眈々と逃げるチャンスを窺い続けていた。