第1話
リリオの第六小隊駐屯地で世話になっているディールは、ジェレミアとの相部屋ではあるがそこそこモダンで快適な居場所を手に入れた。
併設の図書室や修練場、食堂内の調理設備など、入れる場所は自由に使って良いとの許可も下り、気ままな毎日を過ごしていた。
だが、ひとつだけポムたちから言い含められていることがあった。それはディールが殴ってしまった第四分隊の長、ヨックトルムについてだ。
「アイツ、めちゃめちゃオッサンのこと根に持ってるっすよ!」
「オッサンじゃない、ディールだ」
「とにかく、絶対に会わないようにした方がいいっすね!」
「……基本的に、食事とかも誰かと摂るようにするのがいいと思う。あと、朝は修練場に行かないとか」
煩いポムを片手で押しやりつつ、ディールはボソボソ呟くベイジルに水を向ける。
「朝はって、どういうことだ?」
「ああ。あのひとは朝しか修練場に来ないからな。夕方からのトレーニングでは見たことがない」
「そそ。朝か夜か、どっちかに出ればいいだけなんでぇ。それも別に強制じゃなくて、月毎に決められた回数出ればいいんっすよ~。それなのにウチの分隊長ときたら~! も、ほんっとうっさいんっす! 毎日出ろとか、できるだけ来いとか~!」
「分隊長殿の悪口を言うな!」
「ぎゃ~っ!? あででででででで!! 痛い痛い!」
軽口を叩いたポムの頭を、ロクフォールの大きな手がわし掴みにした。いつものパターンだな、とディールは思う。それほど見慣れた光景になりつつあった。
(あの眉毛男と遭って余計なトラブルは起こしたくないからな。行かなければ良いだけの話だろう)
ジェレミアはヨックトルムを「悪い奴ではない」と言い、「今は距離を置いた方が良いが、いずれは普通に接することができるようになる」と言ったが、ディールにはそうは思えなかった。
だからこそ、制約などに縛られるのが嫌いなディールが、それだけはきちんと言いつけを守っていたのだ。さらなる面倒事が自分に降りかからないために。
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だというのに、それは向こうからやって来た。奇しくも、サエリクスがこの駐屯地で保護されていると聞いた日の朝のことだった。夢見心地で報せを聞いたディールは、もう一度寝て頭をスッキリさせてから会いに行くと返事をした。だからまずは朝食を摂りに食堂へ向かうところだったのだ。
ジェレミアたちが緊急召集による夜勤明けのため、ディールはひとりだった。そして、同じく夜勤明けだったヨックトルムとバッタリ出会ってしまったのだ。修練場とはまったく無関係な場所で。
平服だが全身からイライラしているオーラを撒き散らしているヨックトルムが、五メートル先の進路にいる。サッと避けられれば良かったのだが、互いに気づいたのがほぼ同時だったのがいけない。あっと思ったときには遅かった。
「……貴様は、あのときの!」
「……誰、お前?」
「なんだと!? このっ……ふざけやがってぇ!!」
「怒ったら寿命縮むぞ」
何とかやり過ごそうと、ディールは必殺「忘れた振り」をしてみたが、それは火に油を注いだだけに終わってしまった。こちらもひとり、あちらもひとり。荒事は避けられそうにない。
遠くからでも分かるほど額に青筋を浮かべているヨックトルムに、思わず本気で忠告するディールだったが、それすら挑発に聞こえたらしい。ヨックトルムはズカズカと大股でディールに近づいてきた。
「そこどいてくれないか。俺は食堂に行くんだから」
「…………っ!」
ヨックトルムが右腕を振りかぶった。
真っ正面から殴りかかってくるかと思いきや、ヨックトルムの姿が一瞬のうちに消え、ハッと気がついたときには真横に気配があった。
「っ!?」
「死ね」
隠そうともしない殺気。ヨックトルムはディールのこめかみめがけ右肘を突き刺す。しかし、ディールはそれを自分の左腕でブロックした。魔術による瞬間移動には驚いたが、この距離での技の応酬に目眩ましは関係ない! ディールは即座に右膝でヨックトルムの股間を突き上げた。
「腕より足の方がリーチが長いんだよ。あばよ」
「ぐ……ぬっ……!」
悶絶する眉毛を尻目に、ディールはヒラヒラと右手を振って食堂の方へと向かった。だが、それで収まらないのがヨックトルムだ。
「よくも……馬鹿にしやがって! くそ、ジェレミア……ジェレミアぁ!」
ディールへの怒りが、それを連れてきたジェレミアへと重なる。ヨックトルムは両手両膝をついた姿勢から、ザリリと乾いた土を抉って立ち上がった。
怒りに我を忘れ、術の展開すらすることなくディールに追い縋るヨックトルム。最早、警告なしに背後から一撃加えることに恥じ入ることすらない。私怨を滾らせたその姿からは、聖堂騎士が持っているべき資質が微塵も感じられない。そういう意味ではジェレミアの鑑識眼は当てにならなかったようだ。
「死をもって贖え、賤民がぁっ!」
もちろんディールは気づいていた。気づいてなお知らん振りをしていたのだ。途中で止めるなら良し、止めないなら、身をもって分からせるまでだ。
後ろからの足音で、ヨックトルムとの距離を測りつつディールは振り返った。先ほどの太眉毛と同じ様に、右腕を大きく振り被った状態で。
違うのはその後に繰り出したのが肘ではなく、全体重を乗せたラリアットだった事である。
「ぐ……ごぼぉッ!?」
まともに技が極り、ディールの右腕を軸に半回転するかの勢いで倒れたヨックトルムはそのまま地面に沈んだ。白目を剥いて完全に気絶したヨックトルムを見下ろし、ディールはゴキリと首を鳴らすとそのまま立ち去るのだった。