第8話
サエリクスは地図を見ながら今度こそ街道を進んでいた。手負いの雪狼につけ狙われていると分かっていて森に入るわけはない。どのくらい行った頃だろうか、遠く後ろから声が掛けられた。
「サエリクス! 良かった、追いついた!」
「は?」
「エンマを振り切ってくるのに苦労した。もう少しゆっくり歩いてくれてもよかったのに」
いったい誰だ、と思って後ろを振り向くと、そこにいたのは聖堂騎士カイヤだった。エンマというのはあのヒステリックな女の名だ。どうやら、本当に仕事も辞めて追いかけてきたらしい。今度あの女に出会ったら刺されそうだ。ひとり旅から再び二人旅に戻ったサエリクスは、新たな道案内も得てリリオへ向かう。
「リリオの聖堂騎士もなかなか強い。ヤツをあそこまでおびき寄せて戦えたら良いんだが」
「言っておくが俺はまだ正式に「やる」って言ったわけじゃねえからな。その場の状況次第だ」
「もちろんだ。だが、ずっと逃げ回るわけにもいかない。ヤツを倒すつもりなんだろう? だったら、味方は多い方がいい」
カイヤはけっこう厚かましいセリフを吐いている。サエリクスが雪狼を引き付けて、別の聖堂騎士団のところまで行き、彼らにぶつけて退治するのを手伝わせようと言うのだ。その囮役にしたって完全に了承したわけではないし、第一、本当にあの雪狼がサエリクスだけを狙っているとは限らない。だが、カイヤの中ではすでにそうなっているようだった。
その彼の言では、リリオにはカイヤたちとはまた別の聖堂騎士の駐屯地があって、そこは“風の墓所”と呼ばれる名所に近いそうだ。そこはいわゆる風葬が行われる場所で、布でくるんだ遺体を崖の上から儀式の行われる場所へ落とすんだとか。遺体はそこで雨風に晒され、自然へと帰っていく。そんな風葬が行えるのはアウストラルでもここだけで、そのため多くの客が訪れているらしい。
「……援護は信じて良いんだろうな?」
「任せてくれ。絶対にヤツは殺す!」
サエリクスの言葉には、雪狼との戦闘についてだけではなく、その後の処理についても含まれているのだが……カイヤは分かっているのだろうか。聖堂騎士と戦いになったり、罪人として捕まるようなことになったら目も当てられない。いまいち信用しきれないが、それでも独りきりで戦うよりはマシだろう。
* * * * * * * * * * * *
もうすぐリリオというところで、サエリクスたちは交代で不寝番を勤めながら夜営することになった。ひとりが火の側で寝ている間にひとりが起きて警戒するのだ。それはカイヤが不寝番を務めていたときのことで、不審な空気に勘づいた彼はすぐ、火の側で毛布にくるまって丸くなっていたサエリクスを蹴飛ばした。
「いってえ! 何すん……!」
ピリピリとした殺気をサエリクスも感じた。サエリクスが起きて辺りを見渡してみると、狼の唸り声や遠吠えがいたる所から聞こえる。
(近くにいやがるな……)
カイヤが槍を手に飛び出していく。 斥候としてやってきた普通サイズの狼は五匹ほど。聖堂騎士はそれを難なく倒し、サエリクスの隣へ戻ってきた。
「近い。一応聞くが、本当に武器や鎧は要らないんだな?」
「いらないって言うよりもだなぁ……使えるもんなら使いたい。いや、扱えはするんだがここでは無理っつーか」
その言葉にカイヤはキョトンとする。その隙を狙って狼が飛びかかってきたが、それはサエリクスのハイキックの一撃で倒された。
「おっと。助かった。……まぁ、よくわからんが、難儀だな」
「まったくだぜ」
「とりあえず、それが無理なら魔術で強化しておこう。【硬皮】!」
(オッサンと同じ術か。効果はねえだろうが……)
それはイーサンがかけたのと同じ魔術だったが、やはり特に効果があるようには思えなかった。
その行為を無碍にできず、サエリクスはやはり礼だけは言っておく。
あのときと同じく木々を倒す音がして、大きな雪狼が現れた。蒼く揺らぐ目は、今は片方しかない。潰れた目に、剣が刺さったままになっていた。あの長さでは脳まで届いているだろうに、それでもヤツはまだ動いている。魔獣の底力を見た気がした。
よほど激しい戦いだったのだろう、雪狼の毛皮は傷つき、血に汚れていた。満身創痍のありさまだ。そう、イーサンたちが命を賭して追い詰めたのだ。
「あの剣は、オリヴァーのもの……! おおおお!」
カイヤの槍が炎に包まれる。穂先を赤くたなびかせながら、カイヤは雪狼に向かって行った。真正面から、真っ直ぐ。そう見えていたのだが、カイヤは瞬きする間に、ヤツの潰れた左目の側への移動を完了していた。
(速えーな、あいつ)
サエリクスの知らないことだが、白術による身体強化で得た驚異的な跳躍力から為る力業だったのだ。赤い槍が雪狼の首を抉る。血の華が咲く。カイヤは炎と槍を交互に使いながら、隻眼の雪狼を追い詰めていった。
サエリクスはそれを、彼に飛びかかってくる愚かな幼体たちを殴って蹴って、次から次に仕留めながら見ていた。
カイヤは時に【障壁】を用いて自分の身を守ったり、わざとぶつけさせて隙を作った。しかし、優勢は長くは続かなかった。カイヤが打ち合いの末、大きく距離を開けられたとき、雪狼の咆哮が変わって、辺りが氷と霜に覆われ始めたのだ。
「くっ……、しまった!」
カイヤの足元も水分を多く含んだ植物のせいで、瞬く間に氷に覆われ身動きが取れない。
その中で、サエリクスだけがその氷の影響を受けていなかった。