第4話
イーサンとオリヴァーはこの辺りの街道および村落を守護する第四小隊の第一分隊に所属している聖堂騎士だ。彼ら通称ブラック分隊の役目は、ルート巡回と魔物の除去である。
通常、魔物は大聖堂に近いほど、そして密林の奥に進むほどに強くなる。だからこそ、その大聖堂を守る金杯騎士団は聖堂騎士の中でも群を抜いて強いのだ。イーサンもまた、かつてはその金杯騎士団に所属していた銀騎士だ。雪狼とはもちろん戦ったことがある。
陰の気から生まれる魔物である雪狼は、四つ足で立っているときの頭の高さが十フィート(約3メートルほど)とデカイ。毛皮は硬く通常の刃物を通さず、吐く息は触れた者を凍り漬けにする。頭が良く、時に樹上から襲いかかってくる雪狼だが、その一番の恐ろしさは、何と言っても標的が確実に死ぬまで追い続ける執念深さにある。
ひと度出遭ってしまえば、戦って倒す以外に生き延びる術はない。できるだけ自分たちに有利な場所まで誘い込み、大勢で囲んで戦うのが基本だ。だが、今回は五人一組である分隊がバラバラになっていて、しかも民間人を連れている。雪狼は、民間人を庇いながら戦えるような、そんな甘い相手ではない。それに一緒にいるオリヴァーはまだ新人だ。イレギュラーが重なった上に天候は雨……まさに最悪だった。
イーサンはオリヴァーに辺りの下草を焼き払うように指示した。せめて炎の持つ陽の気でヤツの陰の気を相殺し、また、水気を払って足場が凍りつかないようにしなくてはならない。どれだけ森が焼け拡がろうが構わない。雨や植物の宿す水分はヤツを利するだけ、今だけは森の保全も後回しだ。
「槍があれば……」
「そうだな。しかし、無いものは仕方がない。お前はオレの補助を頼む」
「……はい」
本来、魔獣討伐を任されている彼らブラック小隊の装備は槍がメインで、長剣、短剣は予備武器だ。槍と聞くと、木々が多い場所では取り回しが利かないように思うかもしれない。だが、突いて使える他、投げても良いし石突部分で殴っても良い、非常に便利な武器が短槍だ。今、二人はそれを失っている。サエリクスと出会う前、雨が降り始める直前まで他の魔物と戦っていたのだが、勝ったは良いが地盤が崩れて他の三人とはぐれてしまったのだった。
民間人の男にダメージを抑える【硬皮】をかけ、早くこの場を離れるように忠告するイーサン。オリヴァーの覚悟も、その男の撤退も、完全ではないままに雪狼は現れた。肚の底まで響く振動。めりめりと木の裂ける音が耳に痛い。真白き毛並みの氷の化身は、燃える木々の紅をその身に映してなお気高く、こちらを睥睨していた。
(なぜだ……なぜ、あの男を見る……!)
雪狼のどこまでも蒼い目は、サエリクスだけを追っていた。イーサンは己を鼓舞するように吠えると、長剣を手に駆け出した。白術による身体強化によって跳躍力を上げたイーサンは、一気に五フィートも跳ぶとオリヴァーの肩を踏み台にしてさらに高く、雪狼の耳を切り裂いた。
雪狼は怒りを露わにし、目の前の邪魔な男たちをようやく認識した。素早く頭を振ると雪狼はイーサンへとその鋭い牙を向ける。大顎が、着地した彼の鎧われた腹ギリギリで噛み合わさった。そこをすかさず、左手に固定した丸盾で鼻先をぶん殴る。さらに長剣を蒼い目に振るったがそれは避けられた。
どんな生物も柔らかい鼻は弱点だ。だというのに雪狼はそれらの攻撃を意に介さず、さらに噛みつきを浴びせる。イーサンはそれを当然のことと黒術の【障壁】を左手に導いていた。一度触れれば弾けるこの‟力場の盾”は、当たってきた力が強いほど、それを本人に跳ね返す。雪狼は大きく仰け反った。
「今だ!」
「いさ、【影縛】!」
「いさ、【風刃】!」
オリヴァーが影を操り雪狼を拘束し、イーサンの魔術の刃が丸見えの喉を襲う。イーサンは【風刃】を放つと同時に跳んでいた。たとえ不完全でもオリヴァーの術がヤツを地面に縫い留めている間に、少しでも多く、弱点である顔に攻撃を浴びせる……!
『ガァッ!』
「なにっ!?」
白銀の獣は身をよじらせて拘束に抗うと、術者であるオリヴァーをその頭を振るって撥ね飛ばした。術が効力を失う。イーサンはまだ宙に跳び上がったまま、炎を纏わせた長剣を掲げていた。突然の出来事に視線で追うのが精一杯だったイーサンを、雪狼は左前脚で叩き落した。
(速、過ぎる……!!)
ごぼりと血反吐がせり上がり、イーサンの首から下を汚した。その胴鎧はひしゃげ、咄嗟にガードしようとした丸盾は固定していた部品ごと千切れ飛んでしまっていた。左腕は折れている。【障壁】を呼び出す言葉を唱える暇すらなかったのだ。それでもイーサンは必死に体を転がしてその場を逃れ、追撃を躱した。
止まれば、死ぬ。
仲間の生死すら、確認するどころか気にかける余裕がない。とにかく動き続けなければヤツの顎に砕かれ、牙に貫かれ、死ぬのだ。
『オオオオオオオ……!』
「くそがぁっ!」
雪狼は天を仰いだ。それは余裕かそれとも獲物の生命を刈り取る前の礼儀なのか。辺りに冷気が満ち、瞬くうちに燃え盛っていた炎が下火になっていった。氷の粒が煌めく。イーサンは鎧が軋むのを感じていた。陽の気を振り絞り、体温を上げて冷気に抗う。ここで氷漬けになってむざむざとやられるわけにはいかない。イーサンの体から蒸気が立ち上った。
雪狼の蒼い目は、イーサンを捉えた。声もなく牙を剥き出しにした獣は一度大きく後退した。この知恵ある魔獣は、イーサンたち聖堂騎士の術の有効範囲を知っている。距離を取り、左右に跳びながら襲い掛かって【障壁】から逃れようというのだ。イーサンは鋭く息を吸った。
(マズイな……)
【治癒】の術は少しずつだが細胞を修復していっている。もう少し時間があれば、もう少し仲間がいれば……。しかし、無いものを嘆いていても仕方がない。第四小隊第一分隊長イーサン・ブラックは覚悟を決めた。