第2話
雨はなかなか止む様子がなかった。体感時間で二時間ほどはそうしていただろうか。ふと、森の音ではない異質な、金属同士のぶつかる音が聞こえてきた。
「おおい、本当にこっちなんだろうなぁ?」
「そのはずですよ! とにかく走ってください、分隊長!」
(なんだ?)
サエリクスの目の前を、鎧をまとった男二人が駆け抜けていく。 しかし、そのうちの年長の男がサエリクスに気がつき立ち止まった。
「なんてこった、民間人じゃないか! お前さんも一緒においで、この先に雨宿りできる洞窟があるんだ!」
「わ、わかった。なら俺も混ぜてくれ!」
「よし、じゃあ走るぞ。転ばないようについてきてくれ!」
バタバタと大粒の雨が叩きつける中を三人は懸命に走った。洞窟は思ったよりも近かったものの、そこへ行きつくまでにすっかり濡れてしまった。全身、ブーツの中までグッショリで、気持ちが悪くて敵わない。サエリクスはブツブツと悪態をつきながら座り込みブーツと靴下を脱いだ。
「ちっ、ビチャビチャじゃねえかよ」
「はっはっは、災難だったなぁ」
そう言ってこちらも大いにずぶ濡れの男が荷物を下ろし、鎧を脱ごうとしている。ロサの聖堂騎士とは違って、顔を覆う兜ではなく、見通しの良いキャップをかぶっていた。若い方の男は無言で荷物から木片を取り出し、何事かぶつぶつ呟いている。
「今すぐ火を熾すから、少し待っていてくれ。荷物やら服やらは貸してくれたら乾かすぞ?」
「じゃあ頼むわ」
年長の、分隊長と呼ばれていた男は四十だかそれ以上だろうか、出っ張ったお腹をゆすりながら笑った。よく見れば顎もふくよかだ。男は受け取ったサエリクスの上着を右手に持つと、ブンブンと振るい始めた。そんなので乾くのだろうか。
不安に思っていると、部下の若い男の手元でボッと火が着き、赤々と燃え始めた。サエリクスは目を見張る。そういえば、魔法がある世界だと言いながら、実際に魔法らしい魔法を見たのはこれが初めてだったのだ。軽装だけあってなかなか多彩な技を持っている奴らのようだ。
「オレはまったく気にならないが、アンタ寒かったんじゃないか? 風邪を引くと大変だからなぁ」
「そりゃあこの腹じゃ暖かいだろうよ」
厚手の分隊長の皮下脂肪を両手でブニブニとやってみるサエリクス。
「ほい、いっちょ上がり。おいおい、褒めてもなんも出ないぞ?」
まんざらでもなさそうな分隊長。若い方の男はなんだか嫌そうな目で二人を見守っていた。
「そっちのお前、なんだよ、その目は」
「……いいえ、別に」
「ほら、他のも全部寄越しなさい。オレたちも鎧は脱いでからじゃないと熱くなりすぎて火傷するからどうせ全部脱ぐしな。恥ずかしがることはないぞ。はっはっは!」
分隊長は腹をゆすって笑った。服もブーツも、荷物もすべて分隊長と彼の部下が魔術で乾かした。ようやく人心地ついたサエリクスは、雨を避けるために適当に移動したことと洞窟まで走ったことによって道を見失っていることに気がついた。
「なあ、この近くの街まで一緒に行ってくれよ。道がわかんなくなっちまってさ」
「よしよし、送っていこう、送っていこう。もしかしたら仲間が三人後からやってくるかもしれないが、構わないか?」
「別に構わねぇぜ。ああ、そうだ。胡散くせージジイから聞いたんだが、この辺りは魔獣がやたら出るってよ」
「おう、出る出る! 襲い掛かってくるヤツはめったにいないが、魔獣は多いぞ、この土地は!」
「雪狼……は?」
「雪狼か。あれはもっと、大聖堂の近くに出るヤツだ。たぶん来ない、来ない!」
分隊長は太鼓腹を叩いて笑う。堂々たる体格からだけではない、歴戦の戦士の頼もしさをサエリクスは確かに感じ取った。
「人数が多い方が安心だが、あいつらも聖堂騎士の端くれ、死にゃしないさ。だから、この雨が上がったら、日が暮れる前にさっさとお前さんを送るよ。あいつらが追いついても、追いついてこなくてもな」
「……聖堂騎士? てめぇらも、か?」
サエリクスは少しずつ後ずさりながら距離を置き始める。大聖堂にいた奴らとは鎧が違ったため、すぐにそうと判断できなかったのだ。
「お? どうした?」
「……俺をここに連れて来たのは、何か意図あってのことか?」
「どういう意味だ? オレたちは民間人、つまりアンタを保護しただけだ。雨に打たれると命に関わるからな」
「…………」
「こいつ……怪しいですね。おい、我々が聖堂騎士だと知って態度を変えるとは、何か企みがあるからじゃないのか」
「おい、よせよオリヴァー」
「お前らには関係ねぇ。黙秘権を行使させてもらうぜ」
「悪いな、アンタ。コイツはまだ若くて不躾でな。ところで黙秘権ってなんだ」
「……そういう制度があるんだよ」
「へぇ。世界は広いな。アンタ、大陸から来たんだろう。なぁ、オレはイーサン・ブラック。アンタは?」
「…………」
「……こいつ!」
そのまま二人に背を向けて、ゴロンと横になるサエリクス。それを見て、不満そうではあったものの一度は引き下がった若い騎士――オリヴァーもさすがに堪忍袋の緒が切れそうである。
「おい、お前、いい加減にしろ!」
「だから、よせと言ってるんだ。威圧的な態度を取るから向こうも頑なになる」
「しかし……!」
いくら怒鳴られようともサエリクスはどこ吹く風だ。聖堂騎士と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、大聖堂からの追手だった。エリーゼがヘマしていたら当然そうなる。彼らの態度から違うと分かったが、ガイエンの手先もまだどこかにいるかもしれない。周りは敵ばかりだということを思い出したのだ。今はもう何を聞かれても答えず、雨が上がったらさっさとここを離れようとサエリクスは決意した。
そのとき、彼らの耳に狼の遠吠えが響いてきた。




