第1話
大聖堂のお膝下、門前町ロサで道を尋ねたサエリクスだったが、親切な若者から聞いた通り暗くなる前に小さな村に辿り着くことができた。ひと晩の宿を求めて、夕飯の支度に忙しい家々の間を聞き回っていると、幸いにも親切な家族が泊めてくれることになった。
その日は田舎風のシチューとパン、それに羊肉のソテーという食事メニューだった。部屋は余っているのだと、埃避けの布を取り去り窓を開けて空気を入れ替えながら若い娘が言う。サエリクスが礼を言うと、はにかんだように微笑んだ。
せめて対価にと、幾ばくかの金銭を払おうとしたが、それは断られた。それならと力仕事を買って出て、全員揃っての食事の用意ができるまでに薪を割ることにしたのだった。サエリクスが手斧で危なげなく丸太を木片に変えるのを見ていたのは、この大家族の家長で最年長の爺さまだった。少し離れた場所に座り、色んなことを話した。
「どうして無償で泊めてくれたんだ?」
「なぁに。巡礼の行き帰りは持ち回りで面倒見ることになっておるんじゃ。我らの生活が豊かであるのも森の恵み。ひいては大聖堂の恵みであるからのう」
爺さまの言葉に曖昧に頷くしかないサエリクスだったが、そんな彼には構わず爺さまは続けた。
「森は恵みであると同時に災いも呼び寄せる。村はまだいい、じゃが、ひとりで道を歩いていると危険じゃぞ。魔獣が寄ってくる」
「魔獣ねえ……」
「ただの血に飢えた獣ならまだマシじゃが、魔獣、しかも雪狼に目をつけられるともう終いじゃ。あれは相手の生命の灯火を消すまでは決して諦めん。あんたも気をつけなされよ。夜になる前に、村か町へ入るんじゃ」
何処までも地球とは違う、非現実的な世界だぜ、とサエリクスは心の中で毒づく。そして雪狼とはいったい何なのか。情報収集しておくべきだろうな、とサエリクスはさらに尋ねることにした。
「その、雪狼って奴についてもっと教えてくれ」
「そうじゃのう。あんた山犬は見たことがあるかのう? あれよりもう少し大きい。そしてなにより毛が白く、銀色に光っておるんじゃ。ヤツが寄って来ればすぐわかる。遠くからでも冷えがやってくるからのう」
「ペットとして飼ったり乗ったりはできねえのか?」
「ペット?」
サエリクスの言葉に、長く生きてきた経験豊富な爺さまも素っ頓狂な声を上げた。
「山犬ならな、仔を盗んできて、ひとに慣れるよう調教する者もおるが……。雪狼はいかん。あの凶暴な魔獣は生命に反応するんじゃ。たとえ自分が殺されても、目の前の相手を殺してやろうとして、首を刎ねられても食いついてきおった。ヤツを止めるには殺すしかない。それほど凶暴で、大きい。氷の息を吐く狼なんじゃ」
「なんだ、使い物によっちゃ味方になるんじゃねえかと思ったんだがそうそう上手くはいかねえか」
「……あんたは、とんでもないことを考えるんじゃなぁ。豪胆というか、何と言うか。雪狼でなければ、魔獣の中には人間の味方はしないじゃろうが、逃げていくヤツや攻撃せずに眺めておるだけのヤツもまあ、ないわけじゃないわい」
「そうか。まぁ、その雪狼もなにかのきっかけで仲間になるかもしねーから、少し期待だけはしておこうかな」
サエリクスの言葉に呆れの混じった感心の声を上げる爺さま。あまり有益とは言えなかったが、知らずに出会うよりもマシだと思うしかない。他にも、死んだ身内や恋人など親しい人物の姿を取って現れる幽霊の話や、拳大の肉食蠅、解けない麻痺毒を注入し、卵を産み付けてくる蜂の話などを聞いた。
幽霊には隕石から取れる鉄が効くそうだが、ニセモノを売っていることもあるので気をつけた方が良いこと、虫を避けるには煙でいぶすのが良いなど、対策も教えてもらったのだった。
「街道じゃなく森を抜けるときには用心するんじゃよ。葉の影にヤツらが隠れておるやもしれん」
「ああ……」
魔獣とやらが相手ではさすがの自分でも無傷でやり過ごすのは無理だろう。そう考えてサエリクスはこの後の行動を考える。
南方ルートから王都へ行くにはクラベルという町からガイドつきで便が出ているという。森さえさっさと抜けてしまえば何とかなるだろうと思ったサエリクスは、歩く時間を増やすことで距離を稼ぎ、何とか日程を縮めることにした。
地図で見たところ街道は曲がりくねり、森を直線的に踏破した方が早い気がする。素人目でそういう判断は危険なのだが、そこは年の功、サエリクスの話を聞いた爺さまが近道を教えてくれた。
「あんたは足も丈夫そうだし、森を抜けても問題あるまい。ただし、無茶して進むんじゃないぞ。日が暮れる前にかならずどこか村に寄れ」
「ああ、ありがとうな、爺さん」
精神的な面では久しぶりにゆっくりと眠ることができたサエリクス。朝の日が昇るか昇らないかの内からおかみさんに叩き起こされ、朝食をかっこんで旅立つことになるのだった。昼食にとパンや果物まで持たせてもらい、サエリクスはもう一度きちんと爺さまに挨拶をした。
「世話になったな」
「なぁに、大したことじゃないわい。気をつけてな」
畑に出ていくところだった家族の皆に見送られ、サエリクスは旅立った。最初のうちは順調で、森の近道を抜けて行っても予定の町へは余裕があるはずだった。しかし、昼食を摂ってしばらく歩いていると、雨が降り始めてしまったのである。
(マズイな……)
雨具など持っていない。これまでのサバイバル演習で、準備や援護なしに濡れたまま過ごすのがどれだけ危険なことかは充分理解している。サエリクスは咄嗟に雨宿りできそうな場所を探して、葉の密に生い茂った大きな木の下へ駆け込んだのだった。




