第4話
結局、日が暮れてからしばらく経っても赤毛はやってこなかった。さすがに騙されたかと思いつつも、ここが夜露をしのげる場所であることには変わらないと、寝転がることにしたディール。埃っぽかったがベッドがあり、寒さをしのぐ毛布も見つかった。
やがてウトウトしかけた頃、ノックの音がして何者かが空き家に入ってきた。用心深い性格でもあるディールは慎重に外の様子を窺う。
「あー、名前聞いとけばよかったな。いるか?」
「……ああ。ひとりで来たんだろうな?」
「見ての通り。って言っても、路地にいるかもしれないしな。警戒するのは当然だよ」
若者は片手にランタン、もう片手に大きなカバンをしょいこんでいた。少なくとも今すぐ襲いかかって来られる体勢でもなし、仲間が飛び出てくるわけでもなし。ディールは彼を招き入れてドアをしっかり閉じた。
「とりあえず、自己紹介から。俺はトマス=ハリス・ラペルマ。職業は聖堂騎士。困ってるひとを助けるのが仕事なわけ」
「……騎士団員か」
そういった、現代の警察官や治安維持部隊に類する異世界の騎士連中にはどうも嫌な思い出しか無いので、素直に身分を明かしたくない。名乗り返さなかったディールに対して嫌な顔ひとつ見せず、トムはゆったりした動作であまり綺麗でない床に腰を下ろした。
「そうそう。騎士みたいなもんってことで。まぁ、夜だから静かにいこうぜ。まずは鞄を置くから、好きな位置で見ててくれ」
「は?」
一体何を見ろというのか。トムはランタンを置いて、床に敷布と荷物を広げ始めた。サンドイッチが入ったかご、何か飲み物が入った瓶、着替え、靴、など様々なものが出てくる。ぐるぐると巻かれた毛布やシロメ(※錫と鉛の合金。ピューター)のカップや食器セットもある。
「他に必要な物とかあるか?」
「別に」
早く帰りたい気持ちで一杯のディールはつっけんどんな返事だ。
「……とりあえず、この世界の説明をしてくれないか。そうじゃないと俺はこの後の行動に困る」
「なら、食べながらで」
「あんまり腹は減っていない」
トムは、籐のかごからサンドイッチを取り出し、ディールにも勧めてきた。咄嗟に断ったディールだったが、良く考えてみれば最後に食事をしてからかなり時間が経過しているし、タイミング悪く鳴った腹の虫には逆らえない。しぶしぶ食べ物を手に取った。少し不格好なそれを頬張りながらトムは困ったように言う。
「この世界って言われてもなぁ……本当にマレビトなのかもな、アンタ」
マレビトとはいったい何なのだろうか。それにこの世界は何という名前でここはどこなのか、ディールは色々説明してもらわなければ気が済まなかった。
「始めに断っておくが、俺はそっちを信用してない。なんの目的があって俺にこんな真似をする?」
「だから、困ってるやつを助けるのが仕事なんだってば」
ディールの気迫を柳に風と受け流しながら、トムは木のマグに瓶の中身を注いだ。ディールにも同じものが差し出される。どうやら赤ワインらしかった。
「……酒は呑まない」
「そうか。すまない」
本当は呑める。だが、すぐに地球に帰れるかも知れないし、そうなった場合に飲酒運転で警察に捕まりたくなかった。あっさりとマグを引っ込めた青年は、今度は地図を二枚、荷物から引っ張り出してきた。ランタンの明かりの加減か、一瞬文字が揺らいだように見えた。
上に置かれているのは島の地図のようで、「アウストラル」と読める。その地図は左半分が森をあらわす緑で覆われ、もう半分は荒れ地や山、都市部などが描かれている。
「俺はジェレミーちゃんに言われて来ただけで、詳しくないんだよな。本当は本人が来たがったんだが、アンタ警戒するだろ? ところでアンタをなんて呼べばいい? 不便なんだよな」
「……ディールだ」
「そうか、よろしく、ディールさん。とにかく、アンタが今いるのは、この緑のとこのちょうど真ん中あたりだ。
町の名前はリリオ。運が良かったのか悪かったのか、聖堂騎士団第六小隊の駐屯地なんだよ、ここ。で、あそこで何してたのか聞きたいんだけど。その前になんか質問ある?」
「特にない。そして俺は何もしてない。話すことはそれだけだ」
ディールのむすっとした口調は相変わらずだが、トムは気にしていないようだった。
「何もしてない、かぁ。じゃあ、どうしてほしい? マレビトってやつについては、詳しく聞きたきゃ、ジェレミアに会ってもらうしかない」
「俺は元の世界に帰りたい。ただそれだけだ」
「元の世界、ねぇ。じゃあ、ま、明日にしようぜ。宵っ張りだから眠くはないが、帰るのも面倒だなぁ……」
「いや、もう今から行こう。さっさと済ませられるなら済ませたい」
「は? 今から?」
地球に帰る手がかりがあるのなら、それを得るためなら何でもする。ディールはジェレミアという人物に会って話を聞きたいと思った。それには早ければ早い方がいい。
「いや~、さすがに今からは無理だって。また騒ぎになりたいのか?」
「騒ぎになるのは朝に行っても同じだと思うが?」
「それをアンタが言うのか……。あ、あと、普通にもうジェレミア寝てるから。アイツ夜早いんだもん」
「なら、いつ会える。そのジェレミアとかいうのを呼んで来てくれ。俺はここで待つ」
「……じゃあ、明日の仕事が終わってから。今日よりはもう少し早く来られるはずだ。荷物は置いとくから、好きに使ってくれ」
赤毛の青年が置いていった荷物からありがたく着替えを拝借し、寝具に潜り込みながら、ディールは「本当に面倒なことに巻き込まれたもんだ」と思った。ひとまずは腹も膨れたし、しっかり寝て明日に備えることにする。さすがに心身共に疲労が溜まっていたのか、すぐに眠りに落ちていった。