第3話
気づかれた。
いや、まさか。
どうせハッタリだろうと思いながらも、ディールは動悸を抑えられなかった。息を潜め、じっと外の人間が通り過ぎるのを待つ。ニンジャムービーのように気配を殺し、隠密行動あるのみだ。
「出てきてくれないと俺たち帰れないんだわ。今日は非番だってのに……。あ、そうそう。ついでに言っとくと、入口の砂に妙な足跡がついてるから、すぐにわかったんだよ」
その言葉にディールは目許を覆う。やってしまった……実戦式接近格闘術クラヴ・マガを学んでいる縁で、退役軍人や現役の傭兵からこういった事態にどう動くべきかの触りだけは教えてもらっていたのに、まだまだ冷静になりきれていなかったらしい。それに、相手はなかなか優れた観察眼の持ち主のようだ。
「出てきてくれないなら、この空き家ごと壊すまでだ……ポムが」
「オレぇ!?」
漫才をしている二人を尻目に、ディールは足音を殺して家屋の中を移動していた。
(だったらお望み通り出て行ってやる。ただし、「何処から」とまでは言ってない)
裏口まで静かに辿り着くことができたディール。だが、そうそう上手く話は進まなかったようだ。木戸を開けた途端、ディールの視界に入ってきたのは勝気な目をした若者だった。両手を広げて待ち構えている。
「観念するっす!」
そのまま若者は抱きつくようにしてディールを止めようとしてきた。
「うるせええええええええええええええ!!」
「ぶーーーー!」
ディールの右ストレートが若者の顔面にクリーンヒットする。186cm、90kgの体躯から繰り出される、しっかりと体重の乗ったパンチは重い。若者は鼻血を出しながらぶっ飛び、裏庭をずさーっと転がる。ディールはその隙に放置されていた梯子を使って隣の家の屋根に登る。蹴って外しておくことも忘れない。
こっちはただ、知人を迎えに行っただけのつもりだったのがいきなり訳も分からないまま異世界に転移させられて気が立っているのだ。いい加減しつこく追われるのも嫌になってきているし、そっとしておいてほしいとディールは思った。
「あー、ポム? お~い。……こりゃ仕方ないなぁ」
赤毛の若者は名をトマス=ハリス・ラペルマと言い、今彼の足元で伸びている頼りない相棒ポモドゥオーロ――愛称はポム――と共にこの地を拠点とする聖堂騎士団第六小隊第三分隊の一員である。ポムが生きているのを確認してから、トムは梯子を立てかけて自分もまた屋根に上った。
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ひゅるり~と気の抜けた警笛がして、ディールを追ってくる気配があった。振り向くと先ほど聖堂騎士の宿舎付近で出会った赤毛の男だった。彼があの廃屋のことを突き止めたのだ。屋根の上を軽々とディールに並走しながら、赤毛の若者は相変わらず気合いの入らない声音で尋ねてきた。
「なぁ、アンタ、なんで逃げるんだ? さすがに聖堂騎士のお膝元でこんなことになって、逃がすわけにはいかないんで、捕まえるけどさ」
「別に。無理に俺を追う必要もないだろう。俺は部外者だ!」
「……なんか、下半身丸出しでジェレミアが着替えてる部屋に潜んでたって聞いたんだけど?」
「事故だ、事故! 自己表現で事故ったんだ!」
「どういう表現だよ」
「自己表現」と聞くと、逆にそれはわざとだったんではと思うトムだったが、ディールの方も、もう自分で何を言っているのか分からない有り様だった。偶然とはいえ、言葉にすると本当にひどい状況だ。
「まぁ、いいや。ところで見かけない格好だが、アンタどこから来たわけよ」
「どこからと聞かれても説明に困る!! とにかく俺を捕まえないと約束しろ。それなら話をしてもいい」
「ん~~。仕事、なんだけどなぁ。まぁ、切羽詰まってるみたいだし、いいぜ。あの太眉毛に手柄くれてやるのもシャクだし」
「じゅあ、ここで話そう」
足を止め、息を整えながら座り込むディール。鍛えているとはいえ、いつ落ちるかと気を使うような屋根の上、しかもでこぼこと走りにくい場所を逃げ続けるのは嫌だったのだ。
「いや、それよりさ、逃げられたって報告してくるからあの空き家でゆっくり話そう」
「じゃあそっちは任せる。俺はあそこで待ってる」
「よし、じゃあ、日が暮れたら行く」
「……ひとりで来いよ」
「りょーかい」
赤毛の若者――トムは生気のない、色の薄い翡翠のような目でそう言うと、ヒョイっと路地へ降りていった。
ディールには、彼が何を考えているのかサッパリ分からなかった。とにかく見逃してくれると言うのなら、今は話に乗っておくべきだろう。ディールとしてもこの世界についての情報が欲しい。それには現地の人間の協力が必要不可欠だ。
あの若者は聖堂騎士の仲間だが、一度ならず二度までもチャンスがあったのにディールを捕まえなかった。それは職務怠慢なのか、それとも他に意味のあることなのか。聞いてみなければ分からない。信用できるかどうかは別として、ディールは彼と話してみようと思った。