第2話
いつもは冷静なディールだが、パニックになることもある。急にわけの分からない状況に投げ出され、追いかけ回されることになってしまった今がそうだ。
(一体、なにがどうなってんだ!?)
革のボディアーマーを着けていたり鎖で編んだようなシャツを着ていたり、そんなおかしな格好をした男たちがディールを追いかけてきていた。まるでトランプの兵隊に追われるふしぎの国のアリスよろしく逃げるディール。確かあの太眉毛、ここを聖堂騎士の宿舎と言ったか、だとしたら追いかけてくる彼らは騎士団員なのだろう。
そんなディールの前にひとりの男の姿が見えた。追いかけてくる男たちと同じ服装をしていることから、彼らの仲間だと思われる。前門の虎後門の狼、そんな言葉がディールの脳裏に浮かんだ。
(やるしかないか……!)
身構えるディール。だが、その覇気のない赤毛の男は、片眉を持ち上げると脇道に逸れて姿を消した。どういうつもりなのかディールにはまったく分からない。
(何だあいつ……俺を誘っているのか? その手には乗るか!)
男が行ってしまったのを見て、ディールはそのまま真っ直ぐつっ走る。地の利もない、相手の人数も力量も分からない今の状況で、無理に追いかけるのは危険極まりない。罠かもしれないし、誘い込まれて取り囲まれたらジ・エンドだ。ならば、とディールは自分の直感を信じることにした。
「止まれ、止まれ~!」
「おい、押さえつけろ!」
どういう理屈か、先にスタートを切ったディールが減速していないのに重装備の男たちが追いつき縋ってくる。
「物理法則どうなってんだよ!」
逃げ切れると思っていたのだが、ここは戦うしかない。しかし一人ずつに構ってはいられないので、スパッと避けて相手を転がしたり、ダッシュからのドロップキックでダウンさせる。更には柔道の「背負い投げ」を最後まで投げきらずに途中で手を離し、他の追手にぶつけたりした。どっちもダウンして一石二鳥だ。
今は戦うことがメインではない。あくまで無事に逃げるのが最優先。無駄なエネルギーは使えない。
「抵抗するとどんどん罪が重くなるぞ!」
叫んでいる男には目もくれず、警笛も聞こえない振りで、ディールは出口らしき方角へ向かう。やたらたくさん生えている木々の隙間を縫って、ディールは逃げた。やがて、町かと思われる建物群がある場所までやってきたとき、ディールは聖堂騎士たちを振り切っていた。
追手を撒いたは良いものの……ここは日本ではない、とディールは直感した。どちらかと言えばヨーロッパの古い都市部に近い。かつてニュルブルクリンクに走りに行った際に観光したドイツの町並みを、ディールはまだ鮮やかに思い出すことができた。
明るい色のレンガで構成された家々は花や木にあふれている。道行く人々は楽しそうで、子どもたちの笑い声も響いている。買い物帰りの母親が、泣く子と荷物の両方を抱えて苦労している。本当に、平和そのものといった感じだ。
ここは日本ではない。だが、現代のドイツでもないだろう。ここは中世の暮らしに似せているだけではない、むしろそのものだ!
見渡す限りどこにも電線がない、電球がない、コンセントもない。本当に裏路地の、中世風に見せかけた観光地なら店の勝手口あたりに隠してあるはずのバンもない。ここが現代のドイツなら、そんなことはありえない。それに、人々の服装だってそうだ、見た目ならいくらだって似せられるだろうが、あれは生地からして違う。生活感にあふれすぎている。
そう思うと、町の人々がじろじろと自分の格好を見てくるのも自然に思えてきた。ここは日本とはまったく別の場所なのだ。そして、逃げながら服装を正しておいて良かったとも思った。
一度ヘルヴァナールと言う異世界のトリップしてしまった経験があるからか、意外とすんなり事実を受け入れることができたディール。とにかく、これ以上怪しまれないようにするため、裏路地で見つけた空き家に身を隠すことにした。そこで気がついた事がある。
(あれ? これって……)
ポケットにゴツゴツとする感触。その中身を取り出してみると、そこから出て来たのはなんと……。
「これ、俺のY34の鍵じゃねぇか。鞄もスマホもないのに、これだけあるのか……」
そう、理不尽なことに、あのとき身につけていた物のほとんどをディールは持っていなかった。だったらなぜ車のキーだけがあるのか。一緒にポケットに入っていた他の物はどこへ消えたのか。それを不思議に感じるディールだったが、まだまだ考えるべきことは山ほどある。とにかく一つひとつ状況を整理しようと思っていた矢先。
(足音……!?)
ガチャガチャという足音と何者かの声が、ディールの隠れている空き家の近くから聞こえてきた。
「こっち、こっちのハズ!」
「めんどくせぇな~」
「全身青ずくめって聞いたし、絶対見たらわかるんだけどな~!」
「あ~、うん、そうね~」
外にいる二人の人物は明らかにディールのことを探しているようだ。だが、幼い感じの喋り方をするひとりと違い、もうひとりからはやる気が感じられない。「さっさと通りすぎろ」と念じながら、息を潜めて小さくなるディール。不意に、玄関のドアが軋んだ。
「まぁ、悪いようにはしないんで、出てきてくんない? そこにいるのわかってるんで」
「ええっ、ここにいんの!? それ早く言って!?」
気怠げな声がそう言うと、もうひとりが驚いたような声音で叫んだ。