第11話
サエリクスは通行人のひとりを捕まえると、大聖堂から南に下って一番近い町へ行くための道を尋ねた。丁寧に教えてくれた若者に礼を言い、その道へ入ったとき、サエリクスは何者かの視線を感じ取った。
(ひとり……か?)
ガイエンの手の者か、それとも別口か。そんなのはどっちだって構わなかったが、向こうが仕掛けてくるならそれ相応の報いを受けてもらうことになる。何でもないように装いながら、サエリクスは歩き続けた。
しばらくは何事もなかったが、振り返っても大聖堂の高い塔の先端すら見えなくなった頃、不意に空気が変わった。見通しの良い広い道には通行人の姿はなく、サエリクスひとりだけに見える。
「おい、大聖堂から離れて、どこへ行く。まさか逃げるつもりじゃないだろうな?」
背後から男の低い声がした。サエリクスはフッと笑って言った。
「そろそろ仕掛けてくると思ってたぜ。その物言い、お前ガイエンの奴だろ」
振り返ったサエリクスの喉元に槍が突き出される。だが、それは脅しだ。サエリクスには相手の体勢から、当てるつもりがないことが咄嗟に見て取れた。避けるまでもなく刃は鼻先数センチ前で停止する。
男は旅装のマントを身に着けていたが、その下は金属製のボディアーマーのようなもの――プレートキャリアとも――を身に着けており、足元も関節部もしっかりと守られていた。戦い慣れている者の雰囲気を肌で感じる。黒っぽい髪を短く刈った、生気のない目をした中肉中背の男だ。
「なんだてめぇ、俺の監視に回されたのか?」
「そうだ。オーブを前になぜ逃げ出す? すぐさま盗み出せとは言わないが、逃げるつもりならお前を殺すことも考えねばな」
「あれはニセモノだっていう話だぜ? んなもん盗んでも意味がねえんじゃねえのか?」
「ニセモノだと……。バカなことを。そんな戯言に惑わされてあの女はお前から目を離したのか! 貴様、怖気づいたんだろう、異世界人」
そのセリフにサエリクスは獰猛な肉食獣のような目つきになる。安い挑発に乗るほど短絡的ではないが、馬鹿にされて黙っていられるほど温厚でもない。
「怖気づいたぁ? ……あーそうだな。俺はこの世界に無理やり呼び出され、無茶苦茶なミッション受けさせられ、このままアレ盗んだらこの国の奴らまで敵に回すことになるからな。逃げたくなるのは当然だろうが。
……で、怖気づいたのもあるんだが、それ以前にもう面倒なんでな。てめえら、俺にこれ以上構うんじゃねえ。もし、俺の言うことが聞けないのなら、その時は……ぶっ殺す。……わかったな!?」
「武器もないくせに粋がるな。その虚勢、たっぷり後悔してから死んで行け!」
サエリクスの最後の警告を鼻で笑うと、男は鋭く槍を突き出した。咄嗟にサエリクスは屈みつつ右手で槍の柄を弾く。そこから男に向かって大きく一歩踏み込み、迷わずその左目に人差し指を突っ込んだ。
「ぐっうわあああああっ!?」
男は絶叫して槍を取り落とすと同時に目を押さえて悶え苦しみだす。サエリクスは血にまみれた己の指に対して無関心のまま、男の首に両腕を回してがっちりロックし、一息で首の骨をへし折った。
「ぐげっ……」
奇妙な呻き声をあげて男は絶命し、地面にうつ伏せで倒れこんだ。呆気ない終わりだった。戦場では来る敵それぞれに時間をかけて対処していたのでは間に合わない。なので今の様に素早く、そして的確に仕留めなければならないのだ。
「忠告したはずだ、愚か者が……!!」
サエリクスは息絶えた男を見下ろし、冷淡に吐き捨てた。鎧の隙間から出ている服の端で指の血を拭い、その懐から地図などを抜き出す。せめてもの情けで道の脇に横たえてやりながら、サエリクスは再び南下を始めた。
* * * * * * * * * * * *
エリーゼが有力な情報を掴めたのは、もう日も暮れる頃になってからだった。巡礼の人々や観光客ではなく現地住人に聞き込みをしたおかげで、大聖堂に飾られている宝珠が普段であれば本物であるところ、今だけイミテーションに替えられているという情報は比較的すぐに手に入った。
だが、彼女が本当に知りたいのはその先、焔の宝珠が「今、どこにあるのか」なのだ。
それを知るのはおそらく聖堂騎士だけ。粘って粘って事情を聞き出そうとするエリーゼだったが、相手もそうそう重要な情報は漏らさない。逆に事情を詮索されそうになって慌てて話題を変えることもあった。好色な視線を投げ掛けられるのには慣れていたが、今まで実際に女の武器を振りかざしたことなどなかった彼女は、あまりに近づかれすぎたり触られたりすることに嫌悪感と戸惑いを覚えていた。
許可していないのに触ってくる男など言語道断、驚きと恥ずかしさで殴ってやりたかったし、恐怖と衝撃に泣き出したかった。しかし、これも宝珠を得るため、ひいては妹のルイーゼのためだと思えば我慢できた。
世間知らずな彼女が、大事に至る前に引き上げることができたのは、ひとえにチャラい銀髪の聖堂騎士、カインズのおかげだった。エリーゼに気があるカインズは酒場から紳士的に――拳に物を言わせて――彼女を連れ出し、さらには宝珠の在処まで教えてくれたのだった。
「ありがと、優しいんだね」
「おっ……」
ほとんど背の高さが変わらないカインズの頬にお礼の意味を込めてキスをして、エリーゼは彼と別れた。早くサエリクスに伝えなければと思い、自然と足が走り出していた。
「サエリクス! 宝珠がどこにあるかわかったよ、サエ……! サエリクス……?」
ノックもなしに開いた宿屋の部屋。オレンジ色に染まったその部屋は、空っぽだった。