第22話.猿? お前はゴリラだろ
ハールの問いに一瞬キョトンとした表情になったグリセルダだったが、すぐにニカッと笑って、
「すぐ帰るよ。かなり世話になっちまったし、それにコイツだってさっさと帰りたいだろうぜ」
「それは……!」
「姉さん!」
シャラリと彼女が胸元から取り出して見せたのは、金鎖の先にぶら下がった、まるで鳥かごのようにして編まれた金属の中に輝く宝珠だった。
「危なく、ないのかい……?」
「おう、今はもうおとなしいもんだぜ。ちゃあんとパワーも溜まったしな!」
「それより、姉さん。さっきおかしなことを言っていなかったか? 宝珠を指して、『コイツも帰りたいだろうし』って……」
そこはハールも聞いておきたいところだった。魔法にあふれた世界なら、生き物じゃなくたって意思を持っているだろうし喋るだろう。事実、彼が出会ったインキュナブラ世界の魔術書はそうだったし、その魔術書に操られたのだし……。
「その珠さぁ、割っちゃったほうが良くない?」
「ま、待ってくれ、ハール! それはダメだ!」
思わず立ち上がりかけたジェレミアを横目に、ハールはため息を吐いた。グリセルダと同じように妙なアイテムに操られた過去を持つ身としては、その宝珠に対して許せないという気持ちがあったのだ。
「だってさぁ、人のこと操るし、暴れるし。良いことないんじゃない?」
「そ、それは……」
ジェレミアが言い淀む。彼もまた思うところがあったのだろう。しかし、当のグリセルダは手についたクロワッサンのカスを叩いて落としながら言った。
「大丈夫だっての。今回のは偶然が重なりまくった事故だったんだよ。たまたま宝珠と波長の合う私が、どっか逃げないとやべぇって思ったせいで異世界にやってきて、しかも変な感じに力が混ざっちまうなんて誰も予測できねぇだろ。
私の中にパワーが溜まったって使いみちがないどころか具合が悪くなるしよ、宝珠がどうにかしてくれようとした結果、ちょ〜っとやりすぎちまっただけの話だよ」
「ふぅん。まぁ、君がそう言うならそれでいいんだけど。せっかくだし、観光してから帰ったら? 知らなかっただろうけど、ここ、けっこう有名なんだよ。美味しいものも多いしさぁ。僕としては、広島なら清酒よりワインって思うけど、そこまではちょっと遠いからね」
「酒か! それは楽しみだな!」
「牡蠣もちょうどシーズン中だし、観光にはちょうどいいんじゃないかな」
「よし! んじゃ、さっそく行こうぜ!」
そう言って、出発したのは10時になってからだった。
◇◆◇
今日も今日とてスーツ姿のグリセルダは、ロビーに降りてきた男たちを仁王立ちで迎えた。顔には「遅すぎる!」と書いてある。
「遅っせぇんだよチクショウ! いつまで待たせやがる!」
「ガキかよ。お前も、ジェレミアも」
ジェレミアに叩き起こされたディールがぼやく。早寝早起きの赤毛に半ば無理やり起こされるのはこれでもう何度目だろうか。揶揄されたジェレミアはすまなさそうにしているが、実際にはおそらく反省していない。
「なんだ、弟クンは今日も女装か?」
「えっ……」
「ジェレミアはいつでも可愛いよ、大丈夫だ!」
グレイルの言葉に絶句する赤毛の美女と謎の慰めを口にする変態。
今日のジェレミアはパーカーの下にTシャツ、ジーンズ、スニーカー姿で、グリセルダとフレデリックは相変わらずスリーピースのスーツだ。薄着なのは魔法で体温調節できるこの三人だけでサイネールは濃紺のダッフルコート、地球出身の4人はそれぞれコートやジャンパー着用である。
「早く行こうぜ! 私は食べ歩きするんだ! 牡蠣も食べたいしあなごも食べたい。あと、もみじ饅頭とやらを食わせろ!」
「食欲しかないのか」
「あと酒な!」
「グリセルダはすぐ酔っ払うからダメだよ」
「あはは。さすがにお土産にしといたら? グラスに一杯とかなら、昼間でも頼めるかもしれないけどさ」
「土産を選ぶなら俺にも頼む」
アレイレルが冷静にツッコミを入れ、サイネールがたしなめ、ハールがフォローする。土産と聞いて、日本酒しか飲まないグレイルが酒類の卸しをやっているハールの目利きならと、注文をつけていた。
フェリーの乗船時間は約10分。大鳥居を間近で見てから島へと上陸し、厳島神社までの参道を歩く。世界的に知られた観光地のため、外国人観光客もかなり多く、ちぐはぐな取り合わせの彼らのこともさほど注目はされなかった。
とはいえ、アレイレルは女子大生に絡まれるし、フレデリックやジェレミアも一緒に写真を撮って欲しいと懇願されるなど、そんな場面はあった。
「それにしても、長いようで短かったなぁ」
「ん?」
サイネールの言葉に、ハンディカメラを構えながらディールが振り返った。咄嗟に荷物に詰め込んできた代物だったが、ここでこうして思い出づくりとやらに役立っている。
「いやね、最初はとんでもないことになっちゃったって思ったし、早く帰りたかったんだけどさ。こうして、いざ帰れることになったら、ちょっと寂しく感じちゃって……。
あのさ、ここに来たとき、本当に帰れるのかとか、ずっとここで暮らさなくちゃいけなくなったらどうしようとか、すごく悩んだんだよ? 不安だったし。そしたらさ、僕はあのときまったく気にしてなかったんだけど、ディールたちも不安だっただろうなぁって思って」
「…………」
「それをまるで我がことみたいに思いやって、ディールたちが帰ったとき、すごく喜んでたグリセルダのことを思い出しちゃってさ。すごいよね、彼女のそういうとこ」
「なんだノロケか」
「いやぁ、そんなつもりはなかったんだけど、そうなるよね〜」
「よそでやれ」
「ひどっ!?」
照れくさそうに後ろ頭を掻くサイネールをディールは軽く蹴飛ばした。何が悲しくてこんな身にもならないノロケ話をきかされなくてはならないのか。
「まんざらでもなさそうだな」
「……まぁね」
嵐の後のせいか、空はさっぱりと晴れ渡り、春めいた陽気と相俟って実に観光日和である。なんとなく海を見つめて、ふたりは穏やかな沈黙を共有した。
「おーーーい、山を登ったら猿が見られるらしいぞ! なぁ、行ってみようぜ!」
そこへ、遠くからグリセルダが呼びかけてきた。口に手を当てて叫び、ディールたちに向けて大きく手を振っている。
「いや、猿はいいだろ、猿は」
いらんいらんとハンドサインで返事をするディールを見て、サイネールは笑った。




