第21話.戦いの終わり
「グリ、セルダ……」
「…………」
苦しげな息の下で、サイネールは微笑みを浮かべた。それは彼にとっての精一杯の虚勢だった。たとえ今ここで殺されようとも、恨み言ではなく睦言を、恐怖に震える惨めな表情ではなく笑みを浮かべて死にたかった。
「愛してる……」
「!!」
グリセルダの瞳が驚きに見開かれた。締め付けが弛み、地面に落とされたサイネールは勢いよく咳き込み空気を貪った。
「あ…、あ……! うぅっ……!」
「グリセルダ! 大丈夫?」
「う……! だ、めだ……!」
「えっ?」
両手で頭を押さえ呻いていたグリセルダが、ガックリと膝を折った。サイネールが慌てて支えようとするのを、彼女は右手を突き出して止めた。
「意識が戻ったのか!」
「に、げろ」
「グリセルダ、その目……」
左の目は未だ蒼い光に染まっていたが、右はいつものエメラルドグリーンに戻っていた。サイネールの表情が明るさを取り戻すが、グリセルダは食いしばった歯の間から彼の名を呼ぶと、首を振った。
「だめ、なんだ……傷つけたく、ない……」
「いいや、グリセルダ。ここまで意識がハッキリしてれば、もう大丈夫だよ。宝珠の主は君なんだ、君がコイツに、言うことを聞かせてやらなくっちゃ」
「サイネール……」
サイネールの手が、グリセルダのネクタイを緩めていく。シャツの襟を開くと宝珠を首に下げていた金鎖が柔らかい音を立てた。大きな飴玉か眼球かというほどの蒼い宝珠は、グリセルダの肌に半ば埋まり、脈打つような明滅を繰り返している。サイネールは静かに怒りを燃やし、その珠を睨みつけた。
「グリセルダ、君が支配されちゃいけない。君にはこんな力、本当は必要ないんだ。……だから、返してもらうよ……」
「僕のグリセルダだ」
「サイネール、いいのか……ッ、ってえ……!」
「あ、ごめん。血が出ちゃったね」
「出ちゃったね、じゃねぇよ! いっつつ……あ、ところで最後、なんて言ってたんだ?」
「べっつに、なんでもないよ! さっさと弟くんに治してもらったら?」
「なんだよ冷てぇなぁ」
グリセルダが唇を尖らすと、サイネールが薄く笑った。ふたりして地べたに座り、びしょ濡れのままで。すべてが終わって気が抜けたせいか、こんな所で何をしているのかとふとおかしくなってくる。どちらからともなく吹き出して、ふたりは大笑いした。これまでの不和などなかったかのように。
「あのさ〜、盛り上がってるとこ悪いんだけど、もう完全に終わったのかな?」
「ん?」
「あっ。ハール……ごめん」
いつの間にかふたりの背後にはハールがいた。声をかけないわけにもいかず、やむなくといったところか。他の3人は少し離れたところで腕組みをして立っていた。
「ふーん、幸せそうじゃん」
「終わり良ければ総て良し、か」
ディールが言い、グレイルが笑った。アレイレルはフッと息を吐き出し、踵を返してフレデリックとジェレミアの元へ向かった。魔力を限界まで使い果たしたふたりは、大の字に寝転んでグッタリしている。
「おい、中身が見えるぞ。スカートの」
「なんだと! 確かめなければ!」
「っ!?」
瞬間、がばっと起きあがったフレデリックと、内股になるジェレミア。
「お。それだけ元気があればもう動けるな。さっさと移動するぞ」
「うう……。アレイレル、あなたはひどい人だ!」
「なにが。早く動けよ、この際、びしょ濡れなのは勘弁してやる」
ジェレミアの恨み言もなんのその。アレイレルはジェレミアの腕を掴んで引っ張り起こすと、さっさと自分の車の方へ向かった。
皆すっかり気力体力ともに使い果たしており、しかもずぶ濡れだった。だが、疲れや傷を回復させることはおろか、服を乾かす魔力さえ残っていなかったため、何はともかく、ひと晩泊まれる場所を求めて移動することになった。グリセルダがその怪力で引っこ抜いた道路標識だけは、何とか見た目を整えて元の場所へ差し込み修復した。このせいでジェレミアが完全に気絶してしまい、ひと騒動あったりもしたがそれは割愛する。
◇◆◇
夜中にチェックインできるとは、カプセルホテルはありがたいものだ。もしここがなかったら、男所帯でラブホテルに突入になってしまう所だった。そうしたかったであろう大馬鹿野郎もいたが、そんなことは許されない。地元じゃないとはいえ男にはメンツというものがあるのだ。
なんて。そんな馬鹿なことを考えられるくらいにまで回復したハールは、まだ痛む体を宥めながら朝食の席にやってきた。ホテルの朝食に期待しているわけではなかったが、無料でついてくるということであれば、覗いてみようと思ったのだ。元々宵っ張りなメンバーが多いのと、昨夜のムチャが祟って、地球人の中で起きてきているのはハールだけだった。
「おはよう、ハール」
「おう、おはよ。こっち座れよ」
「ああ。じゃあ、そうさせてもらおうかな」
異世界人組も、朝食に席についているのはグリセルダとジェレミアの姉弟だけだった。
「残りのふたりは?」
「アイツは疲れ切ってまだ寝てる」
「フレデリックは朝に弱いんだ」
「そう。こっちも似たようなもんだよ」
パンとコーヒーというスタンダードな朝食を取ってきたハールを見て、ジェレミアが意外そうに呟く。
「あ、コーヒー……」
「たまには僕だってカフェインを摂りたいさ」
カップを片手に苦笑するハール。
「ところでこのあと一戦……」
「やだ」
「うう……」
まったく諦めていないジェレミアだった。
「それで、ひと暴れして回復したのかな?」
「おう、快調だぜ。なんっか溜まってた腹具合もスッキリしたしな!」
「姉さん!」
「ん? なんだよ?」
悪びれもしないグリセルダをジェレミアが嗜めるが、おそらく効果はないだろう。気を取り直して、ハールは確かめようと思っていたことを尋ねることにした。
「まぁいいや。こうやって落ち着いてるってことは、もう宝珠とやらには操られていないんだろうし。帰る手段についても何とかなったのかな?」
「ああ、バッチリだ」
「そうか、そりゃ良かったよ。それで、いつ、帰るんだい?」




