第20話.暴れるゴリラ
「やめろぉぉぉ!!!」
喉も破けよとばかりの叫び声にグリセルダは動きを止めた。無表情のまま、ゆっくりと振り返ったその先には、立っているのがやっとというありさまでありながら、拳を握りしめて拳を握りしめて弱き者が立ちはだかっていた。
「もうやめてくれ! こんなことをして、あとで傷つくのはグリセルダなんだぞ!」
「…………」
ツカツカとグリセルダへ歩み寄り、サイネールはディールを庇うように彼の前に立った。
「バカ、何してる……下がってろ」
「嫌だ」
「お前の敵う相手じゃないだろ!」
「それでも、僕の妻だ! 僕が止める!」
サイネールの覚悟を前に、グリセルダは振り上げていた道路標識を、そのまま真横にフルスイングした。
「ぎゃああああっ!!!」
「おぉおおおい!?」
間一髪、ディールが引きずり倒したおかげで、サイネールは髪の毛が少し削れただけで助かった。しかし、当たっていたら問答無用で首と体が泣き別れ状態だっただろう。
「なにするんだよバカ女ぁ!」
「説得効いてねぇじゃねぇかよ眼鏡!」
「知るかぁ!」
興奮したまま罵り合うふたりだが、グリセルダは待ってはくれない。さらに振りかぶったところをアレイレルがタックルして勢いを削いだ。
「いってぇ……。ふっ飛ばされろよな、くそっ」
「アレイレル!」
「ちっ!」
まるでコンクリートの壁にでもぶつかったかのような衝撃にアレイレルが呻く。体格で劣る上、魔術でブーストされたグリセルダに対しては分が悪い。ハールが加勢に駆けつけてきて2対1だ。振るわれる腕を辛うじて避け、アレイレルはグリセルダと対峙した。
先程と同じくパンチとキックの連撃でグリセルダの気を逸らす。だが、どうしても手が足りない。立ち上がったディールとグレイルは、すぐさま囲みに行った。
「……僕に力があれば!」
サイネールは濡れたアスファルトに拳を叩きつけた。己の無力さを痛感したサイネールだったが、すぐさま思い直す。
(いや、ダメだ。暴力で解決なんかできない。宝珠の力を得たグリセルダの体力は無尽蔵だ。比べてこっちは? 弟くんたちが周囲への被害を抑えるのに手一杯な状態で、グレイルたちの回復ができずに段々押されてきてる。どうにかしなくちゃ……)
サイネールは腕組みをして考えを巡らせた。
(力押しがダメなら、グリセルダの意識を取り戻させて宝珠を制御させるしかない。でも、僕のことすらまるでわかっていなかった! なら、普通のやり方じゃダメなんだ。何か、何か彼女の精神にショックを与える方法はないか?)
だが、思い浮かんだのは「思い切り頬を平手打ちする」とか「自分がわざと切られて大怪我をする」といったありきたりなものばかりだった。前者はおそらく物理的に防がれるし、後者は下手すると死んでしまう。そうなればグリセルダの精神を揺すぶることはできるだろうが、最悪、彼女の心が壊れて事態が悪化する。
(ああ見えて、繊細なんだよな……)
サイネールはグリセルダを想って微笑んだ。
そう、彼女はわざと粗野に振る舞っているが、実際には情に厚く責任感も強い。それだけに、彼女をまるで人形のように操り、好き勝手している現状は許し難い。洗脳しているのか、それともグリセルダの意思を塗り潰して上書きしているのか知らないが、早く解放してやりたかった。
(せめて、宝珠の支配力を少しでも弱めることができれば……!)
と、そこまで考えてサイネールは叫び声を上げた。
「あ〜〜〜〜〜〜っ!?」
「なんだ、どうした」
「おい、余所見するな!」
「バカだな、僕は! さっさと宝珠を引き剥がしてしまえば良かったんだ! なんで気づかなかったんだろう!」
眼鏡の叫びに気づいたグレイルとアレイレルが、グリセルダへの攻撃は続けつつ彼の言葉に耳を傾ける。しかし、宝珠を引き剥がすと言っても、グリセルダを無力化できなければそれは難しい。
「今のあいつにゃ関節技も効かねぇんだ、そりゃ難しいぞ、眼鏡君よ」
「そもそも宝珠はどこにあるんだ」
風に負けない声で同時に叫ぶグレイルとアレイレル。サイネールは言葉に詰まり、そして小さな声で答えた。
「なんだって? 聞こえないぞ!」
「胸だよ、胸! 谷間にハマってるよ多分!」
「ゲッ……」
「ゲッてなんだ! 触ったら殺すぞ!!」
アレイレルの反応にサイネールがキレる。矛盾して聞こえる彼のセリフだが、本人の中では筋が通っているようだ。
「よし、取って来い眼鏡!」
「そりゃ、そうしたいけど……」
「じゃあなにか? お前は他の野郎に自分の女房の乳を触らせていいのか?」
「……やってやるよ! その代わり全力で抑えてろよな!」
グレイルのわかりやすい挑発に、サイネールは奮起した。もとよりそのつもりではあったが、覚悟が決まったということだ。
「いいか、合図をしたら四人で一斉に押さえ込む。チャンスは一度きりだと思え」
「わかった、いつでも来い!」
「お前らも聞こえただろう? しくじるなよ!」
「ああ!」
「おぅ」
グレイルの言葉にハールとディールが短く応える。彼らのスタミナもそろそろ限界に近い、本当にこれが一回こっきり最後のチャンスだった。
「Go!」
4人が一斉に、手際よくグリセルダの両手両足を抑え込む。サイネールも同時に走り寄り、グリセルダの胸元から宝珠を奪おうとするが……
「うおっ!」
「うっ!」
「ぐあっ!?」
「がっ……!」
全員、グリセルダが吠えると同時に振り払われてアスファルトに叩きつけられた。まるでゴムまりのように体をバウンドさせ、呻く男たち。
「グレイル! ディール! あっ……」
「…………」
サイネールの前に、能面のような無表情のグリセルダが立ちはだかる。そしてそのまま、サイネールの胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「ぅがっ……は……! ぐっ……!」
サイネールの爪先が浮く。喉が圧迫され、息苦しさに彼はもがいた。掌中の獲物を高く頭上へと掲げたグリセルダは、それを一気に地面に叩きつけようと力を込めた。




