第19話.強くね?
午後11時の宇品港はチェーンで閉鎖され、僅かばかりの乏しい明かりがあるくらいだった。車から降りると潮の匂いが鼻につくものだが、星も見えない暗雲垂れこめる空に吹き付ける強風、荒れ狂う海とくればそんなもの気にしている余裕もなかった。
「ひでー天気だ」
「暗いし見えないしやばいね」
アレイレルとハールが充分に気をつけつつコンクリート製の船着き場に近づいて行く。サイネールは風に飛ばされないよう、グレイルの上着の裾を握りしめながら寒さに震え、フレデリックはなおも顔色の悪いジェレミアを支えていた。
「よし、じゃあ駐車場探すか」
「ああ。コンビニ……も閉まってるか。とりあえず移動しよう」
だが、そんな余裕はすぐに突風によって掻き消される。
「来るぞ!」
ジェレミアの警告は一瞬遅かった。
燐光のような青を視界の端に捉えたと思ったそのとき、ディールはすでに吹き飛ばされていた。
「うっ!」
「ディール! どうなってんだよ一体!!」
「俺に聞くな!!」
ディールは咄嗟に受け身を取っていたため、アスファルトの上を転がっただけで済んだ。ハールの叫びにグレイルも叫び返し、ディールを襲った影を注視する。
「グリセルダ……!」
グレイルの背後でサイネールが呟いた。
高温の炎のような青い瞳のグリセルダは、別れたときと同じスーツ姿でそこに立っていた。薄暗がりに目だけが光り、石膏像のような無表情を照らしている。
「おい、ゴリラ女。悪ふざけは終わりにしてとっとと帰るぞ」
「グリセルダ、落ち着いて聞いてくれ。君は今、宝珠の力に飲み込まれて、どうしたらいいのかわからなくなってるだけなんだ。集中して、力を制御するんだよ、君ならきっとできる!」
「…………」
グリセルダは無言でグレイルとサイネールへと歩み寄り、そして、すぐ近くの道路標識に手をかけた。
「おいおいおい、どうするつもりだ?」
「……ヒェッ!」
アスファルトがミシミシと悲鳴を上げ、標識はいとも簡単に引き抜かれてしまった。そして、超然とした面持ちのグリセルダは、そのまま表情を変えずに首をコキリと鳴らした。
「こりゃ、相当ヤバいな。逃げろ、眼鏡君」
「そうさせてもらうよ!!」
その言葉をかけたときには、すでにサイネールは走って逃げていた。グレイルの額を汗が伝う。以前にグリセルダと戦ったときには素手対素手の勝負だった。投げ技どころか殴りも蹴りも大振りでへなちょこ、はっきり言って体格と筋力とスタミナだけが取り柄の暴れゴリラ女だったのだが、武器を持った彼女の腕前をグレイルは知らない。
「……さぁて、どうするか」
構えるグレイルの耳に、フレデリックの叫び声が届く。
「すまない、こちらは魔術的な防御を張って建物を守るのに精一杯だ! そちらは任せた!!」
「なんだと!?」
思わず振り返ると、なるほど確かに吹き荒れる風や荒波が塞き止められているようだ。しかし、それでも防ぎきれない潮水が足元を濡らしていた。
「ったく、本当に頼むぞ!」
「ああ、何とか車も……多分大丈夫だ!」
「おい!? 死ぬ気で守れよ!!」
グリセルダの大振りな振り下ろしを避けつつグレイルは叫んだ。額には青筋が立っている。
「このゴリラ! さっさと目を覚ませぇぇ!!!」
「っ!」
グレイルの拳を、グリセルダが驚きの表情を浮かべながら受け止める。かなり本気で殴ったのだが、見えないミットにパンチを入れたような手応えだった。
「むっ!?」
「グレイル、水に足を取られないように戦えよ」
「いや、そうじゃない。魔術を使いながら戦うぞコイツ」
「そりゃマズイ。とにかく止めるぞ、アレイレル」
「わかった!」
吹っ飛ばされていたディール、そしてハールとアレイレルも加わり、四人でグリセルダを攻撃するがあまり効いていないようだった。足を刈っても倒れず、殴ってもダメージが与えられない。それどころか、ディールたちの方は見えない壁に阻まれ、見えない手に引っ張られ、吹き飛ばされ、散々だ。
ただでさえ体格が良いせいで抑え込めるのは同じ身長で彼女より体重のあるグレイルとディールくらいだというのに、そこに超パワーや魔術が加わると最悪と言っていい。
「この標識が当たるとさすがに死ぬ! 振るえないように囲め!」
「ああ!」
アレイレルの指示でディールがグリセルダを羽交い締めにしようとするが、グリセルダは身をよじってそれを避ける。攻撃の手をゆるめないこと、大振りな動きができないように密着することで、致死の攻撃を貰わないようにするしかない。
「クソ、さっさと落とせよ!」
「今やってる!」
ハールとグレイルは標識を取り落とさせようと重点的に手や標識を狙うのだが上手くいかない。焦りがさらに技巧を鈍らせる。
ハールのキックが受け止められ、動きが止まった一瞬、その瞬間だけ誰も攻撃をしていなかった。
「!!」
今までずっと間断なく攻撃をしてグリセルダの動きを封じてきた。だが、ほんの僅かにタイミングがズレてしまったその瞬間が、彼女に反撃の隙を与えてしまった。
「はぁっ!」
「うわぁぁぁっ!!」
「ハール!」
まずはハールが踵落としの体勢ごとふっ飛ばされた。次にアレイレルが濡れた地面に叩きつけられ、グレイルの腹に拳が三発、瞬く間に叩き込まれた。
「チィッ!!」
それを見たディールが攻撃に転じる。だが、いつでも自分のペースを崩さないディールの戦闘スタイルは、臨機応変な判断が問われるこのような場では不利だった。魔術による瞬間的で物理法則を無視した重心移動。それについていけずディールは重たい一撃を食らってしまった。
「ぐっ! ………あ…、が……」
膝から崩れ落ちたディールに、グリセルダは冷たい一瞥をくれると、決して離さなかった捻れた標識をゆっくりと頭上へ掲げた。




