第16話.魔術の効果
「ディール。貴方たちは僕たちの世界で、一切魔術が使えなかったな。というか、魔術の効果を受け付けなかった」
「ああ……」
その通り、ディールたちはジェレミアの住むインキュナブラ世界では、先ほどの回復魔法を使ってもらっても回復しなかった。だがそれは反面、有害な魔法もディールたちには効果がないということでもあった。
ディールの中ではそれが大前提としてあったので、グリセルダのことはあまり心配していなかったのだ。そもそもあのゴリラ女が死ぬようなことはないと思っていたし、魔法だの何だのといったことは彼らの間だけの事柄で、こちらの世界には一切かかわりのないことだと思っていた。
だが、たった今ジェレミアがやってみせたように、彼らはこちらの世界でも魔法が使える。そしてその魔法はディールたち地球人にも影響がある……。
「こちらの世界に来てすぐ、魔術が使えるのかを試したんだ」
「……それは聞いてないぞ」
「言わなかったからな」
しれっとそう言って、ディールが睨むのも気にせずにジェレミアは続けた。
「魔術がどの程度使えるのか、僕たちに対して効果があるのか、そして……この世界の生き物に対して効果があるのか」
「そんなことも調べたのか! いつの間に……」
「知っておかなければならなかったからな」
ディールは大きく息を吐いて地面に大の字になった。空は暗く、もうとっくに夜になっていた。
「はぁぁ〜〜! で?」
「この世界の人々に魔術の効果が出てしまうということは、姉が何か大きな術を使えば、一般人が巻き込まれるということだ。僕はそれを許せない……きっと、姉もそうだと思う」
「だから? 殺してでも止めるっていうのか」
「…………それも、やむを得まい」
ジェレミアもまた暗い空を見上げた。都会に星は瞬かない。
「ジェレミアは、そこまで覚悟していたんだ。だから、早く彼の姉上を追いかけたかった」
「フレデリック」
「新人」
「私たちだけでは追いつけないのも、本当はわかっている! だが、だが……! 能天気に構えている、貴方たちが気に食わなかった……!」
ひと足先に治療してもらっていたフレデリックの顔に、もう傷はなかった。乱れた黒髪とシャツについた少量の血以外に、殴り合いをした痕跡はない。だが、憔悴しきった表情は隠せていなかった。
「フン、男前が上がったじゃねぇか、お前」
「そういうところが! 気に食わないんだ、私は!」
フレデリックが差し出す手を取り、ディールは起き上がった。手でジャケットの埃を払い、居住まいを正す。
ふたりは正面から睨み合った。息の詰まるような数秒。
先に口を開いたのはフレデリックだった。
「先ほどまでの非礼を許してほしい。あれは私の八つ当たりだ。ふっ、全裸で土下座だったか? 構わないぞ。私の裸が見たいのならな!」
「いらねぇよ馬鹿。あれは例えだ、例え」
フレデリックとディールは笑い合った。ついさっき、フレデリックがディールを引き起こしたとき、その手を振り払わなかった時点で和解の目は見えていたのだ。ただ、ディールはフレデリックが謝るとは思っていなかったし、フレデリックの方はディールに許してもらえるとは思っていなかった。それでも、一度拳を交えたことでふたりの間に絆のようなものが芽生えていた。
今まで口出しせずに見守っていたハールが、パンパンと手を叩いて告げる。
「じゃあ、さっきから何ひとつ話が進んでないことだし、グレイルのところへ戻ろうか。今はとにかく彼女を追うことが先決だと思うなぁ。ASAPで」
「そうだな。そうすべきだろう」
アレイレルがそうまとめ、5人はホテルの中へ戻った。仮眠を取ったグレイルとサイネールはずいぶんとすっきりした顔をしていた。
「大体の事情は眼鏡から聞いた。さっさと追いかけてアイツをぶん殴って連れ戻すぞ」
開口一番、グレイルのその言葉にジェレミアとフレデリックがぽかんとした表情になる。ディールたちの方はと言えば、とっくに結論が見えていたようで、当然といったように頷いていた。
「なに呆けた面してんだ。話し合いができるかどうかなんざ、とりあえず殴っておとなしくさせてから考えりゃいいだろ。殺してでも止めるとか、思いつめてる暇があったらどうやって無力化するか策を考えやがれ」
「え、あ……しかし……」
「なんだよ」
「戦えるメンバーは、僕とフレデリックしかいないと思っていたから……だから、どうしてものときは、姉上を殺すか刺し違えてでもと思って……」
呆然としたままジェレミアが答える。フレデリックも困惑したままジェレミアに同意した。
「へっ? 戦えるのがふたり? そんなこと思ってたのかお前」
「道理で悲観的なはずだよね〜」
ディールが驚きの声を上げ、ハールが肩をすくめる。だが、驚いたのはジェレミアも同じだった。
「しかし、一般人である貴方たちを巻き込むわけには!」
「はぁ? あのゴリラ女とは戦ったことあるし、そもそもそれを言いだしたらすでに巻き込まれてるだろーが」
「だからこそだ。ディールには寝床から食事から、衣服まで世話になったし、帰るための場所までの足まで出してもらって……それなのにこれ以上迷惑なんてかけられない」
グレイルは露骨に面倒くさそうな渋面を作って、まるで子どもに言い聞かせるようにジェレミアの頭に手を置いた。
「あのな。目の前でドッタンバッタンやられて、巻き込まれて、それなのに『ここからは関係ありません、ただ見ててください』なんて、そんなの通用するかよ。気分悪ぃ。素直に頭下げて『協力してくれ』って言われたほうがナンボかマシだぜ」
「あ……」
「そもそも、衣食住面倒見てもらったのは俺もディールも一緒なんだからな」
「お前は逃げたけどな」
「わかった、悪かったよ! こっちも切羽詰まってたんだ」
ディールのツッコミにグレイルが手を振った。
「ともかく、行くなら一緒にだ。わかったな、弟クン」
「……はい!」
わしわしと髪の毛を掻き混ぜられながら、ジェレミアは嬉しそうな笑みを浮かべた。




