第12話.覚悟を決めるということ
明けて翌日、3月16日土曜日。その日は朝から曇りだった。雨になる予報で、かなりの冷え込みが予想される。9時に現地集合、そこからエントリーとドライバーズミーティング、車のコンディションチェックに移る。そのため、夜型のディールにしてはかなり早めの七時に朝食の席に降りてきた。
朝食はビュッフェ形式で、見知った顔を探してホールを見渡すと、そこにいたのはサイネールだけだった。
「おはよう。……他の奴らは?」
「もう食べ終わったよ。支度したり、なんか……トレーニングするって」
「そうか」
ふと、サイネールがここにいた理由に思い至るディール。グリセルダを除いて皆ツインルームを取っていたのだが、ジェレミアはフレデリックと、ディールはサイネールと相部屋だったのだ。
「鍵、持ち出さなかったのか」
「だって貴方は寝ていたし、すぐに来ると思ってたからさ。ほら、席はあるから、何か食べるものを取ってきたらいい」
サイネールにそう促され、ディールはもうまばらになっていた列に並んだ。席に戻るとサイネールは珈琲を飲みながら待っていた。
「あの、ディール。今日はあのクルマってやつのレースをまたやるんだよね?」
「ああ。昼飯を挟んで夕方まである」
「……魔術も使わず、あんなすごい物を作れるなんて、今でもまだ信じられないよ。それに、傷を塞ぐ魔法もなしに危険なレースに出るなんて、貴方たちは怖くないの?」
ディールは息を吐き出した。
サイネールが何を思ってこんなことを聞くのかはわからない。だが、その迷いを感じることはできた。腕組みをして、考えをまとめつつディールは口を開いた。
「眼鏡君よ」
「誰が眼鏡君だコラ」
「俺は車を作れない。これは誰にでもできることじゃないからな。だが、速く、巧く、乗りこなすことはできる。これからも乗りたいし、もっと巧くなりたいと思ってる。怖くないか、だと? そりゃあ怖い。どれだけスピードが出てると思ってるんだ」
「えええ……」
「だがそれでも乗る。誰だって事故は起こしたくないし、起こさないように気をつけてはいるが、絶対にゼロにはならない。これはわかりきってる。いつ死ぬかもしれない。けど、そんなことを言い出したら何もできやしないぞ」
ディールの真面目な声色に、サイネールの表情も引き締まる。
「大怪我をすれば病院に運ばれて、治療を受けるだろう。救命措置が間に合わなければ、治療を受けても手遅れなら、そこで死ぬだけの話だ。だが、それはそっちの世界だって同じことだろうが?
せっかく傷を癒やす魔法があったって、それを使えるヤツが近くにいなきゃ間に合わない。人間、死ぬときは死ぬんだ。そう考えたら、いつだって、誰だって、同じだ……」
噛みしめるようなディールの言葉に、サイネールは恥じ入った。彼が自分の参加している競技の危険さを知らないはずがないのだ。それは危険な薬品を扱うこともある実験を重ねるサイネールしかり、前職は魔物討伐の前線に立って戦う騎士であったグリセルダしかり。
究極、どんなことにも危険は伴う。追い求めるということは、たとえ生命を喪う恐れを前にしても覚悟を決めるということなのだ。
(それなのに、僕は……!)
魔術の有無で差別し、人間を人間とも思わない扱いをする魔術師たちを憎んでいたというのに、自身もまたその思想に骨身まで蝕まれていたのだ。魔術からの脱却を、魔術が使えない人々にとっても豊かな暮らしを目指していたはずなのに、いつの間にかサイネールは魔術師を、彼に「能なし」の烙印を押した父の血族を見返してやることだけを考えてしまっていた。
だから、知らず識らずのうちに、魔術のないこの世界の彼らを憐れんでいた。下に見ていたのだ……。
(なんてことを考えてしまっていたんだ、僕は……。あの宝珠の力を使えば研究が捗るとか、人のためになるとか、そんなの全部建前だ。僕は、僕の名誉欲を満たすためだけに彼女を利用しようとしてた!)
「ありがとう、ディール。変なことを聞いちゃって、ごめん。そんなの当然のことだったのにね。……僕、グリセルダにも謝らなくちゃ」
「……? べつに。どうってことないが。その顔だと、何かふっきれたみたいだな」
「うん。あ、そうだ、そろそろ時間だよ。出発しよう」
「ああ」
一度部屋に戻り荷物を引き揚げ、チェックアウトした7人は、3台の車で舞洲スポーツアイランドへと向かった。その車の中でグリセルダとゆっくり話し込むわけにもいかず、サイネールは謝る機会を逸したまま、大会に臨むことになったのだった。
辿り着いた会場は大勢の人で賑わっており、もうすでに観覧席も前の方は埋まりつつある。人の多さはインキュナブラで一番賑わうと言われている彼らの王国、アウストラルの王都に引けを取らない。ともかく場所の確保が最優先だった。
しかし、グリセルダは観覧席に向かうつもりがないようだった。
「ちょっとグレイルの奴に挨拶してくるぜ!」
「ま、待ってよグリセルダ! それなら僕も行くよ」
「いいよ、サイネールはここにいろ。もみくちゃにされて怪我するだけだからな」
「そんなことは……」
そう言いつつもサイネール自身もその懸念が拭えない。高身長で体格の良いグリセルダと比べて、サイネールは背も低いほうだし、何より彼女の半分くらいの体重しかなかった。
「ジェレミア、来いよ」
「ああ、もちろん!」
「ジェレミア!?」
姉の誘いにジェレミアは軽快に応えた。慌てたのはフレデリックだ。ジェレミアがいないのではここへ来た意味がない。
「フレデリック、席取りを頼む。……義兄上とうまくやってくれ」
「そんな」
荷物を渡し、ジェレミアはそっとフレデリックに耳打ちした。いたずらっぽく微笑んで去っていく赤毛のポニーテールを見送って、フレデリックは高鳴る胸をそっと撫で下ろすしかなかった。それにしても、共通の知り合いが抜けた状態の寄せ集めというのは気まずいものである。特に、コミュニケーションに長けていないサイネールのような人間にとっては。
(グリセルダ〜〜〜! 恨むからな!!!)




