第6話.朝っぱらから喧嘩すんな、うっとおしいからよ
「っ!?」
早朝、ディールはそっと肩に触れられる手によって目を覚ました。覗き込んできているのは赤髪翠眼の美女……いや、男だった。昨夜から異世界のトリッパーたちを泊めてやっているのだった。
「あ、ディール……すまない、外へ行きたいんだが、ついて来てくれないだろうか」
「ああ?」
「走り込みをしたくて……でも、一度出たら戻って来れそうにないんだ……」
すまなさそうに睫毛を震わせ、可憐な唇を少し噛んで、お願いをしてくるジェレミア。しかし、ディールは生憎と遅寝遅起きなのだ。
「ダメだ。もうちょっと寝かせろ」
「そんな……! あ、だったら家の中の物を色々見て回ってもいいか?」
「暇人か。……煩くしないならいいぞ」
「ありがとう、ディール」
好奇心旺盛なジェレミアのこと、もしも文字が読めるなら雑誌でも与えておけば際限なく読んでいることだろう。やれやれとディールは寝直しにかかった。ジェレミアだからこそ殴らないが、これがゴリラ女だったら拳骨ものだ。アイツは普段の喋り方からして煩い。
そんなわけで、ディールが起き出してきたのは九時過ぎだった。さすがに全員起きているかと思ったが、黒髪のイケメンがまだシーツにしがみついていた。……すっ裸で。
「なにやってんだ」
「おはよう、ディール! ほら、フレデリック、起きろ!」
「ん〜〜、ジェレミア〜」
「まったく、世話の焼ける……」
じゃれている二人をよそに、ディールはリビングの椅子に腰掛ける。先に食器を使って朝食を摂っていた二人もディールに朝の挨拶をした。
「勝手に使わせてもらったよ。卵を焼いたり、パンを焼いたり。貴方も何か食べるよね?」
「よく使えたな、IHなのに」
「いやその、これは使ってなくて……」
「ああ、なるほど」
異世界の魔術を使って調理したというわけだ。おそらくフライパンを直火で炙ったのだろう。ディールはサイネールの申し出を断り、自分で調理することにした。
不本意ながらフレデリックと朝食の席につき、食後のコーヒーを人数分淹れたディールは、世界地図と日本地図をテーブルに置いて改めて四人に質問した。
「なにか、帰れる手掛かりとかはないのか。何でもいいから、思い出せ」
「こっちには予言とかお告げとか、そんなもんは存在しないんだ」とディールは難しい顔を作る。実際、自分たちがトリップしたときには伝承を探して訪ね歩こうとしたものだが、いざこちら側にやってこられてみて、それがいかに無謀かよくわかる。日本の首都、東京と言えど、そんなとんでもなく現実離れした状況を解決できる手段なんて、見つけられるとは思えないのだから。
ジェレミアとフレデリックが首を捻る中、サイネールは居心地が悪そうにしていた。
「どうした、サイネール」
「それが……その……」
ディールの問いかけにサイネールはうつむいてしまった。そういえば前のトリップでも、マレビトと呼ばれていたディールたちを使って何か企んでいた節がある……。まさか今回のことはすべて、彼が仕組んだことなのではないかとディールが疑い始めたとき、口を開いたのはグリセルダだった。
「今回の件は事故だ。遺跡に潜ってて、宝珠を手にした。そしたら遺跡自体が崩れてきやがった! 私とサイネールが逃げようとしたとき、ジェレミアたちが降ってきて……私は、助けたいと思ったんだ。そしたらこんなことになっちまってな」
「ほう」
「姉さん!? 宝珠って……!」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がったのはジェレミアだった。目の色が変わっている。そういえば宝珠と言えばあの国では国宝だったはずだ。しかし、ここで姉弟喧嘩が始まってしまうと話が先に進まない。ディールは続きを聞くべくジェレミアを座らせた。
「落ち着け。それで、その宝珠が原因なのか?」
「さぁな。だが、見てくれ、これを」
グリセルダが取り出したのは、人間の眼球ほどの大きさの完全な球体だった。その珠は水晶のように透き通っている。
「なっ、バカな……どうして……!」
「これが宝珠……?」
慌てているのはサイネールだけで、ジェレミアとフレデリックは困惑顔だ。ディール自身は宝珠を見たことがないので、これが本物と言われれば「そうか」と思うし、偽物だと言われればそのまま信じるだけだ。
「嘘だ……こんな、輝きが喪われてるじゃないか! グリセルダ、どうして早く言わなかったんだよ!」
「サイネール、聞いてくれ。私は話すタイミングを待っていたんだ。全員に言わなきゃならないことだからだ」
「何だよ、それ……」
サイネールは裏切られたというような表情を見せた。すぐに平静さを取り繕うが、握りしめられた拳はその動揺を物語っている。グリセルダはそんな夫をわざと見ないようにしているのか、ディールだけを見て続きを語り始めた。
「この宝珠は、元は綺麗な水色に輝いていた。だが今はすっかり力を使い果たしてしまってこんなことになっている。……どうやって帰れるかはわからないが、どっちの方向へ行けば帰れるかは、わかる」
「なんだと」
「私は、この世界に来るとき、宝珠とひとつになった……だから、使い方がなんとなくわかるんだ。宝珠の失われた力が戻ったとき、私たちは自分の世界に帰れる」
沈黙が降りた。
グリセルダはいつになく真剣な表情で、ディールには彼女が嘘を言っているようには見えなかった。元々が馬鹿が付くくらい正直なのだ、グリセルダがそう言うなら、そうなのだろう。
だが、異を唱えたのはサイネールだった。
「でたらめだ!」
「サイネール……」
「グリセルダ、君は嘘を吐いている! 本当は今すぐ帰れるんだろう? 色を失くした宝珠も、その力の取り戻し方を君なら知っているはずだ。だって君は宝珠に選ばれた“王”なんだから!」
「…………」
グリセルダはそれには答えなかった。
「おい、ここで騒ぐな。わけのわからん喧嘩は迷惑だ。で、帰れる方向はどっちだ、わかるんだろ」
「あっちだ」
グリセルダが指したのは関西方面だった。そっち方面には、明日グレイルと予定していた走行会が行われる舞洲スポーツアイランドがある。
「偶然か? それとも……」
今ここにはいないグレイルが鍵なのかもしれなかった。ともかく、今日は今日でやることがある。そろそろ動かなくてはいけない時間だった。
「話はまた後だ、ちょっとつきあってもらうぞ」




