第9話
イタリアには大聖堂を含めた宗教施設がそれこそ数えきれないほどある。
サエリクスはそれらすべてを回ったわけではないが、それでもやはり、建物の持つ雰囲気は似ていると思った。外観は磨かれていない岩のブロックを積んだ、武張った感じがあったが、ひと度中に入れば、一面タイルで埋め尽くされた美しくも荘厳な空間が広がっていた。
エリーゼや他の人々の間から感嘆のため息が漏れ聞こえる。玄関ホールは鮮やかなブルーで、そこから段々と深く藍へ、藍から黒へ、グラデーションの回廊を通って講堂へ続いていた。今は使われる時間ではないのか、静寂に包まれた講堂は手前が黒、そして教壇から向こうが輝くほど真っ白なタイルで飾られている。
「なぁ、オーブ……」
「しっ! 黙って」
宝珠のある場所へは、講堂の奥から地下への階段を使って移動すると説明され、サエリクスはげんなりした。
(おいおい……こんなんで本当にオーブ奪えるのかよ……)
条件はどんどん悪くなっていくばかりに思える。やたら暗くて狭い通路を抜け、部屋に出るとそこはまるで天然の洞窟のような丸い壁と天井を持った、熱気のこもった場所だった。
八人も入れば満員になりそうな小さな部屋の真ん中に、1メートル50センチほどの高さの支柱があり、その上に赤く光を放つ大きな紅玉が、複雑な植物紋様に編み込まれた籠の中に飾られていた。
「へぇ……」
なるほど確かに宝石にしては大きい。人間の眼球くらいあるだろうか、拳に隠すと少し不自然かもれないが、やってやれないことはないだろう。サエリクスは宝珠の赤い煌めきや地熱のごとき暖かさよりも、その大きさ、台座の頑丈さ、逃走経路、見張りの人数――ひとりだった――に注目していた。エリーゼにも教えようと肩を叩こうとしたとき、彼女がよろめいて背中からサエリクスの胸へと寄りかかってきた。
「おい、大丈夫か?」
「……じゃない」
「あ?」
とにかく様子がおかしい。サエリクスはエリーゼを支えてやりながら出口へ向かった。来たときよりは緩やかに、やはり狭い坂道を登っていく。明かりによって目の覚めるような赤いタイルに照らされる出口。青かった入口とは対照的なそれは大聖堂の横に口を開けていた。
人目を避け、順路ではない回廊の方へエリーゼを導き、サエリクスはざっと確認する。青ざめ、震えてはいるが今すぐにでも倒れて気を失いそうという程でもない。事情を聴こうとしたところ、エリーゼの方から喋り始めた。
「どうしよう、サエリクス……あれ、は、宝珠じゃない……」
「は?」
「あれはただの硝子玉だよ! どうしよう、どうしよう、サエリクス!」
オーブじゃない、と言われても本物を見たことがないサエリクスには判断がつかない。エリーゼはサエリクスに縋りつき、声を上げて泣き出してしまった。
「落ち着けよ。一先ずここから出て作戦の練り直しだ」
このままではいつ誰に見咎められてもおかしくない。そう思ったエリーゼを強引に引っ張って外に出ようとした。しゃくり上げながら頷くエリーゼ。だが、二人が立ち去る前に、その背中に鋭く声をかけてくる者があった。
「おいおい、可愛い子ちゃんを無理やりたぁ感心しねぇな!」
「あん?」
その声にサエリクスが振り向くと、そこには槍を片手に構えた銀髪の若者がいた。全身鎧に銀鼠の肩かけマント、兜は外しているがこの大聖堂のあちこちに立っている聖堂騎士のひとりだった。いきなり槍を突きつけてくるということはどうも友好的な人種ではないらしい。思わずサエリクスの目も細くなる。男はかなり背が低く、160くらいしかなかった。下手したらエリーゼの方が高いくらいだ。
「あー、泣かせたのは俺じゃねえよ。すぐに出てくからよ」
「ホントにそうなら、その手を放しな、おっさん。俺がその子を泣き止ませてやるさ」
「……じゃあやってみせてくれよ」
サエリクスは素直にエリーゼを銀髪の男に差し出した。
「えっ?」
「お?」
「こいつが泣き止んでくれるならそれが一番だろうが。やってくれるってんだから、任せるよ」
「ちょっと、サエリクス! どういうつもりなの?」
だろ? とエリーゼを半分無視して男に話を振るサエリクス。
「バカにしないでよね! もう、アンタもさっさとあっち行って!!」
「ええっ? いや、その、俺の勘違いだったかも……」
「お。泣き止んだみたいだな。じゃ、俺たちはこれで」
「あ、ああ……。悪かったな、なんか」
それに対してエリーゼは眦を吊り上げ、サエリクスの腕を振り払い、狼狽える聖堂騎士の持つ槍の穂先の方を殴ってどけた。聖堂騎士を怒らせるなと言った割に、ずいぶんな口の利き方をする。サエリクスは肩をすくめた。
「あ、そうだ、俺はカインズ。あんたたちは?」
「……サエリクス」
「エリーゼよ」
「俺は、見て分かる通り、ここで聖堂騎士をしてる。位は銀騎士だ。なにか困ったことがあったらいつでも頼ってくれ。そんじゃあな。まだ勤務中なんだ!」
ニッと笑って騒がしい若者、カインズは立ち去っていった。