第1話 水曜日とお嬢様と間接キス(1)
高校の同じクラスに、お嬢様がいた。
朝宮万莉。
クールな言動で他の生徒を寄せ付けない彼女が、感情を露わにして泣いている。
「あぅ。た、竹居く……ん」
彼女は潤んだ瞳で、まるで縋るように俺を見つめてきた。
その表情を知っているのは、この学校で俺だけなのだろう——。
四月中旬。
高校一年の各クラスに、いくつかのグループができはじめる頃。
昼休憩の時間を一人で満喫している俺の耳に、同級生の男たちの声がザワザワと届いた。
「今日のカラオケ、竹居にも声かけとくか?」
「バーカ。あんな根暗な奴より、もっと違うやつにしようぜ」
カースト上位の男共が俺、竹居卓也の名を口にしている。
上位陣はいくつかグループがあり、カラオケがどうのと言っている奴らは俺にとっていけ好かない連中だ。
特に夜叉という男が嫌いだ。
女癖が悪い、という噂を聞いたことがある。
「そういえば、竹居って名前聞いたことあるんだよな。何かで有名だったらしいけど忘れたな……テレビだっけ?」
昔のことを覚えている奴がいるのか?
せっかく吹奏楽部がない高校に来たのに……忘れて欲しい。
「じゃあ……朝宮さんとか来ねーかな?」
俺の耳がぴくっと震えた。
本命はそっちか。
朝宮万莉。
ハーフアップの髪型がとてもよく似合うお嬢様。
クールな言動で、あまり人を寄せ付けない性格だと皆から言われている。
そんな朝宮さんに、夜叉が話しかける。
「朝宮さんさぁ、今日カラオケ行かな——」
「本日は用事がありますので、無理です」
即答だった。
そう、こんな風にあっさりと人の誘いを、その言葉が終わる前に断るのだ。
声の方向に視線をやると朝宮さんと視線が合う。
すると彼女は意味ありげに、俺の机の横の楽器ケースに視線を向けた。
……ん?
「そ、そうだよな。忙しいよな」
あっさり引き下がる夜叉。
朝宮さんがあいつらに付いていかなかったことにほっとする。
「チッ。もう少し愛想良くしないと友達できないぞ?」
夜叉が捨て台詞を吐いて離れる。
結局、孤高の令嬢はまた一人になる。
「朝宮さんって言葉少ないよね。近づきにくいっていうか」
「態度も素っ気ないし、ちょっと冷たい感じがするよね」
クラスメートがコソコソと話している。
恐らく朝宮さんにも聞こえているだろうけど、彼女は無視するように凜として前を向き座っていた。
俺と朝宮さんが近い境遇になっていることに不思議な共感を覚える。
俺も人付き合いを減らしていて、クラスに一人くらいしか話す相手がいない。
だからといって朝宮さんの世界線と俺のそれは交わることはないだろう。
お嬢様と庶民。
住む世界が違うから——俺はそう考えていた。
そう考えていたんだ。
翌朝、始業前の教室。
「竹居呼ばなくて正解だったな。朝宮さんが来なかったのは残念だが」
あくびをしながら席につき、ぼけっとしていた俺の耳に不快な夜叉の声が入ってくる。
すると……。
ふわっと柑橘系の良い香りを感じる。
その匂いが漂ってきた方向を見をやると、なんと朝宮さんがいるではないか。
「竹居君、おはようございます」
「お、おはよう」
少し得意げな顔をした朝宮さんが立っていて、俺の顔を見つめている。
その瞬間やけに嫌な視線を感じ、振り向くと俺の嫌いな夜叉が睨んできていた。
なんだあの敵意丸出しの目は。
ま、気にしないで朝宮さんに注目しよう。
「もしよかったら……これを使ってもらえると嬉しいです」
朝宮さんはそう言って、少し得意げに白いビニール袋を手渡してきた。
俺がよく行く楽器店のものだ。
「これは……?」
「差し上げます。では、ごきげんよう。竹居君」
朝宮さんはにっこりとすると、良い香りだけを残して颯爽と自分の席に戻っていったのだった。
呆然とする俺。
「朝宮さん、竹居君に何か渡してたけど仲良かったっけ?」
「何だアイツ。あの可愛らしい朝宮さんに話しかけられるとは……うらやま……ケシカラン」
「あれか? 金持ちが庶民に施しでもしたのか?」
朝宮さんの行動にクラス内がざわめいた。
俺はクラスメート達のざわめきを無視し、袋を開ける。
袋の中には、四角い紺色の箱があった。
「サックスのリード(木製の薄片)?」
どうして俺がサックスをやっていることを朝宮さんが知っているんだろ。
んん?
サックスは音域に応じて何種類かあり大きさが異なる。リードも同様だ。
朝宮さん、これアルトサックスのやつ。俺のはテナーサックスだよ……。
でも……このリードは大切に取っておこう。
ふと気がつくとまた夜叉が俺を睨み、「チッ」と舌打ちをするのが聞こえた。
朝宮さんと俺が喋っていたのが相当癪だったようだ。
「なあ、朝宮さん。あの包みは何? 竹居とどういう関係——」
ある男子が朝宮さんに果敢に突撃する。
しかし、相変わらず彼女は、突き刺すような鋭い響きで答える。
「あなたには、関係ない話です」
その声のトーンは、教室を静まり返させるほど低く冷たいものだった。
一週間後。
贈り物を受け取った日以降、朝宮さんと接触はない。
水曜日がやってくる。
その日の放課後、旧校舎音楽室の片隅。
窓から見える空はまだ明るい。
俺はいつものようにサックスの演奏というか練習を一人でしていた。
久しぶりにイギリスのミュージシャンが作曲した「マイ・ラブ」という曲のソロを吹いてみる。
思いっきり音を出せるというのは、楽しいとは思う。
ただ、聞いてくれる人も、共に演奏してくれる人がいないのは寂しいと思うことが増えていた。
「そろそろ辞め時なのかな」
ひとりつぶやくと、入り口の戸の小窓に黒い影が見えた。
廊下に誰かいるようだ。
しかし……その影は去るわけでもなく、音楽室の戸を開けるわけでもなく。
不思議なことに動く様子がない。
不気味だ。夜叉みたいな俺に敵意を持ったヤツじゃないといいのだけど……。
誰だろう?
俺は楽器をスタンドに置き、ガラッと戸を開ける。
「何か用? ……えっ!? 朝宮……さん?」
そこには、ぼろぼろと大粒の涙を流しているお嬢様がいたのだった。
「あぅ。た、竹居く……ん」
彼女は、ずぶ濡れになった猫が助けを求めるように泣いていた。
この後、お嬢様朝宮さんの天然なところや可愛さを、俺だけが知ることになる。
そして、俺の高校での生活は、とても明るいものへと変わっていく——。
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