08
僕……カイルが執務室で書類を見ていると、騎士が一人、部屋に飛び込んできた。
「殿下!」
「ん?」
ノックもせずに入って来るとは、よほどの事態が起きたのかな。
同じ部屋にいたルークと目を見合わせてから、騎士に続きを促す。
「聖女様が脱走なされました!」
…………。
……やっぱりやったか。
ルークがはぁっと大きなため息をついて頭を抱えている。
「分かった、今行く。彼女の部屋で待っててくれ」
「はっ」
騎士が出て行くと、思わず笑みがこぼれた。
「殿下……笑い事ではないです。あのアホ妹……」
「いや、ごめんごめん。予想を裏切らない子だなぁと思ってね。前までは人形のようだったけど、今は本当に面白くなった」
「……私は人形とまではいかなくとも、多少落ち着きがあった方が聖女として正しいと思いますが」
「聖女としては、ね。僕の婚約者としては人形だとつまらないから」
僕のことを楽しませてくれる子の方がいい。
人形みたいな彼女を、どう変えていこうか計画を立てていたけど、僕が手を加える前に面白くなってしまっ……面白くなってくれた。
二階の彼女の部屋に行くと、騎士団長を含んだ三人の騎士が待っていた。
騎士団長以外の二人はたぶん、今日の当番だったんだろう。
「お待ちしておりました、殿下、ルーク様」
最敬礼で迎えられて、手を振って楽にするよう伝える。
「で? わざわざ窓から脱出できないように部屋を二階に移したのに、彼女はどうやって脱走したのかな?」
「それが……見てもらう方が早いと思います。こちらへ」
案内されて現場を見て、唖然とした。
固く結んで繋ぎ合わされたベッドシーツらしきものがベッドの足にくくりつけられていて、窓から垂らされている。
「まさか……これを伝って?」
「はい、そのまさかです」
……我慢できなかった。
「ぶはっ。はははははははっ」
爆笑するしかない。
筋肉のほとんどついていない聖女が壁を降りるとか!
落ちたら死ぬかもしれないのに!
聖女としてどうなんだ? それ以前に令嬢としてどうなんだ?
見たかった! その瞬間を見たかった!
アイリス、君はなんて面白い子になったんだろう。
記憶喪失になった君に一体何があった?
「アイリス……」
ただルークは足元から崩れ落ちた。
まぁそうだろうね。大人しかった妹が壁を使って脱走するなんて。
「あのぉ……殿下?」
「ああ、うん?」
「我々はどうしたら……」
騎士団長の質問に王太子として命令を出す。
「とりあえず三分の一は塔の敷地内を探して。残りの三分の二は町で聞き込み」
「はいっ」
パタパタと足音をたてて、騎士団が出て行く。
「さて、騎士団に命じたはいいけどアイリスは見つかるかな?」
「見つからなければ大問題です。結界や治癒、浄化が滞ってしまう」
「大丈夫、執念で見つけるから」
「しゅ………はぁ。なんか最近、前よりアイリスを気に入ってませんか? 記憶喪失になってすぐの頃よりもよりいっそう」
ルークの訝しかげな表情に、笑みを返す。
「あの子がいると、ぐっすり眠れたんだ。この僕が」
僕は不眠症で、大抵毎日の睡眠時間は三時間以内。
原因は、王族として、常に危険に晒されてきたから。
いつ暗殺者が送り込まれてくるか分からない。どれだけ警備が厳重でも安心できない。
でもアイリスを抱き枕にして眠った時、気が付けば朝がきていた。
恐らく、いつもの倍は眠っていただろう。
「…………いつの間にアイリスと寝てるんですか」
「あれ、言ってなかったっけ。でも僕が強要したんじゃないからね? 何もなかったし」
抱き枕は若干強要した気がするけど、最初に寝ていけばと言ったのはアイリスだ。
…………抱きしめた時のアイリスの顔、可愛かったなぁ。
あんな面白い婚約者を僕が逃がすわけがない。
脱走する聖女、必ず君を捕まえてみせよう。
黒い笑顔を浮かべたカイルを見て、ルークはもう一度深いため息をついた。