07
「何で、ここにいるんですか?」
わたしはわたしの部屋でくつろいでいるカイル様に尋ねた。
お風呂を終えて、ドライヤーがないからまだ濡れたままの髪で部屋に戻ると、カイル様がソファーに座って本を読んでいた。
「つれないね、一応僕は君の婚約者なんだから、君に会いに来るのは普通のことだろう?」
一応って言っちゃってるじゃん。
もしかして婚約者だからって見張りを押し付けられたのかな?
「えーっと、じゃあ婚約破棄しますか?」
「…………何でそこでいきなり婚約破棄が出てくるの?」
「え? だって殿下も疲れた時にここに来なくちゃいけないのは面倒でしょう? わたしが婚約者だからって」
それを聞いて、カイル様が立ち上がった。
カイル様が一歩わたしに近付いて来る度、わたしが一歩後退る。
「……………何で逃げる?」
だってなんか怖いんだもん、笑顔が。
「いやほら、やっぱり結婚前の男女がこんな夜に一緒にいるのは不健全だと思うんですよ」
「僕が君に何かするって?」
………………あ。なんかバカにされた気がする。
いいですよー、どうせ湊月は………って今はアイリスか。
まぁわたしだって別に本当にカイル様が何かするとは思ってない。
カイル様の方に向かって、腕を伸ばしてもギリギリ届かないくらいの距離で止まった。
……………無言の威圧感が凄い。
「───そんなに僕に近付くのが嫌なのかな?」
「別にそんなことは」
「じゃあおいで」
「え、遠慮します………」
何考えてるか分からなくて怖い。
笑顔が黒くて怖い。
「僕はまだ仕事があるんだ。さっさと用を済ませたいから来て」
「………はーい」
ついに笑顔が消えた。
そろそろカイル様の堪忍袋の緒が切れそう。
仕方なくカイル様の前まで進む。
「はい、これ」
「………何ですか?」
「ネックレス」
「いやそれは分かるんですが」
何故か渡されたのは、大きな青い宝石がついたネックレスだった。
わたしだってネックレスくらい分かるよ。わたしが聞きたいのは何でいきなりネックレスをプレゼントしようと思ったのか、だよ。
「ルークに、君には首輪をつけておいた方がいいって言われてね。僕もそう思ってさ」
「首輪の代わりですか…………」
ロマンスの欠片もなかった。
一瞬喜んだわたしがバカだった。
わたしは犬かっ。
「───それに君は覚えてないんだろうけど、婚約者らしいプレゼントをしたことがなかったからね」
そうボソッと呟いて、カイル様は眠そうに目を擦った。
…………もしかして『アイリス』が記憶喪失になったから、やり直したいって思ってくれてるのかな?
婚約者らしい婚約者になろうとしてるのかな?
わたしは前世が日本人で、その記憶があって、その代わりにこの世界のことは全然分からない。
どんな風になるのが『婚約者らしい』なのか知らないけど、その気持ちは嬉しい。
じっとカイル様を見つめていると、カイル様はまた目を擦りながら、小さなあくびをこぼした。
よっぽど眠いんだなぁ。
でもこの後もまた仕事なんだよね?
「………ここで少し寝ていってもいいですよ」
思わず、呟いてしまっていた。
いやわたしアホっ?
何でわざわざ他人がいるところで寝るんだよ、それなら普通に自分の部屋に帰るよ!
「あっ、いえ、すみません! ここで寝るくらいなら自分の部屋で寝ますよね!」
「……………」
無言怖っ。
しばらく黙ったままだったカイル様だったけど、突然腕を伸ばして広げた。
「ん」
「……何ですか?」
「僕、抱き枕ないと寝れないからさ」
「……………」
わたしはそっと、近くにあったクマのぬいぐるみを差し出した。カイル様とクマちゃん。なんか可愛い、うん良い。
「アイリス」
いいじゃないか、クマちゃんで。何が不満なんだ。
恐る恐る腕の中に行くと、ぎゅっと抱きしめられた。
そのままの状態で、カイル様が倒れ込むようにしてベッドに寝転ぶ。
「なんか…………眠れそうだ……」
まぁそれだけ眠ければ寝れるでしょうよ。
どのくらい時間が経っただろう、頭の上の方からかすかな寝息が聞こえてきて、わたしはホッと肩の力を抜いた。
本当に寝るとは思わなかったけど………いっか。
今のうちに抜け出して、わたしはソファーで寝よう。
────としたけど、力が強すぎて身動きが取れなかった。
寝てるのにこんな強いとかアリですかっ?
これ、まさか、わたしにもこのまま寝ろと?
無理無理無理………と思っていたけど、眠気という生理現象には勝てず、いつの間にか眠っていた。
朝目覚めるとそこにカイル様はおらず、青いネックレスだけが残っていた。