2の9話
「嫌じゃああああああっ!」
道場中に響き渡る悲鳴。
「誰! 誰この人っ!
キモイキモイキモイキモイキモイのじゃ!」
嫁候補、ランコの声だった。
「おいおいランコ、キモイは非道いんじゃね?」
「何でじゃ? 半年前はイケメン草食男子じゃったではないかっ!」
「HEY、メンズ3日会わざれば、刮目して見ろYO!」
「嫌じゃ! 絶対嫌じゃあっ!」
許嫁の激変は相手側にとって、到底許容出来る範囲内ではなかったらしい。
ワン太君はちょっと前に何かしら自分を変える出来事があって、大幅なイメチェンを必要とした様だ。
それはおそらく、いい方向ではない事だったのだろう。
「ランちゃん、大丈夫よ。
あんなショボいのテルミーナがブチ殺すから」
「ヒドゥリデぢゃ~ん、ありがどうなのじゃあ」
どんな理由があろうと、ランコにとってはえらい迷惑だ。
ヒトゥリデが傍にいてあやしてくれている。
いつの間にそんな仲良くなってるの?
「ああ~ん?
お前がランコを唆した張本人かよ」
ワン太はケンシ家中の者が座っている場所、庭の隅の2人を睨み付けた。
そしてすぐに下卑た笑みで顔を歪める。
「物干し竿!」
ワン太は屋内に座す己が家中の者に短く命ず。
「ハッ!」と応えた者が2人、巨大な、2メートルを超えようかという太刀を手に庭へ下りる。
柄を掴み、スラリと抜き放つワン太。
この長さだと1人では鞘から抜くことも儘ならない。
「ヒャハハハハァ、まずは手前をぶっ殺す。
その後、お前らぶっ殺~す!」
高笑いしながら僕を、それから許嫁らを睨め付けてワン太は叫んだ。
僕はそんな品の無い男に正対する。
チャラい奴だが、親父に鍛えられてはいるようだ。
立ち姿、太刀持つ構えが堂に入っている。
気合一閃、上段から速い一撃を放ってきた。
「キエエエエエエエッ!」
長い間合で、重さを全て切っ先に込めた、これ以上ない撃ち込み。
ドカッ!
重い剣は狙い違わず袈裟懸けに振り下ろされた。が、剣の先端は腋へは抜けず、僕の左鎖骨で止まっていた。
もちろん傷のひとつも付きはせず。
「んな……」
口を空け、目を見開くワン太郎。
目の前で起きた事が信じられない。
そういった顔だ。
ワンコ家中の人間のほとんどが、驚愕に身動きひとつ出来ずにいた。
「バ、バカな……こんなん……あ、あるわきゃねえ!」
ドカッ、ドカッ、ドカッ!
打ち込めど、打ち込めど、手にはゴムの塊に刀を止められる感触。
どこに斬り付けてみても全く変化がない。
徐々に手首に痛みが積る。
「な、なんなんだ、きさまあああ」
自分の声が震えて来ている事がわかる。
このままでは殺られる。
そのような考えがワン太郎の胸に広がる。
「キエエエエエエエッ!」
もう一度奇声の様な掛け声を発し、ツキを一撃。
渾身の一撃を顔面に……
これで最期と思いを込め、眼球目掛けての一撃を食らわせた。
ドカッ!
顔が一瞬後ろに弾かれたが、眼球は愚か、目蓋の皮にも傷ひとつ、赤みひとつ付いてはいなかった。
ガシッ、と、テルミーナは刀身を掴んだ。
是非を言わさぬ力でワン太は太刀「物干し竿」を奪われる。
テルミーナは刀身を両手で持つと、棒切れを折るように、膝でポキリ2つにして捨てた。
ここでひとつ説明しよう。
僕の能力、ナレーションについてだ。
前に軽く言ったとは思うが--
僕は語り部としての仕事に差し障りがない様、絶対に死なない。
また水に沈んだり、土砂に埋もれたままでは、すぐ傍からの細やかな状況説明が出来なくなる。
なので危機回避のため、解説の障害になりうる物は簡単に排除出来る。
今、刀を折ったのはそれだ。
便利だしチートだと思うかもしれない。
だが、これは前にも言ったのだが。
痛いのだ。
切れないけれど、当たると至極痛いのだ。
もういい加減、痛くて痛くて、腹が立って仕方がない。
僕は愕然と放心したワン太郎の脇まで素早く寄ると、力一杯に足払いをする。
豪快に背中から倒れたチャラ男に股がると、黙々と顔面を殴り付けた。
呆然と様子を見ていた両家の人間は我に返ると、一斉に僕を止めに駆け出した。
「テルミーナ殿、暫し、暫し待たれよ!」
ケンシ村村長エイコは声を上げる。
「テルミーナ殿、勝負あり申した。
我が愚息の負けに御座る、どうかご容赦を!」
ワンコ村村長ワンダユウも駆けて来た。
両家20人程が止めに入り、5、6発殴り付けた所で止めにした。
チャラ男の顔は鼻血まみれで、確かにサングラスを取ると、円らな瞳は可愛らしかった。
「テルミーナ殿、手は出さぬと申しておらなんだか?」
「はい。すみませんでした。ついイラッとして」
「いや、忝ない。
よくぞ、椀太郎をお助け下さり申した」
両家に温度差はあるが、粗方今回の一件は片が付いた様だ。
僕の回りには両村長とその家人。
ヒトゥリデを見るとランコと手を取り合い喜んでいる。
「ふざけんな!
てめえだ、てめえが全部悪いんだ!」
殴られ気絶でもしたと思われていたワン太郎は、這って人垣から逃れていた。
「うがああああアーッ!」
そして唸り声を上げると、次第に顔は毛に覆われ、口の端から大きな犬歯がはみ出した。
体は着物で見えないが、腕や手の甲にも灰色の体毛が生えてきた様だ。
「いかん! 止めろ蘭虎!」
「はい! 父上!」
仕合場にケンシ親娘の声が響くと同時に、獣化したワン太も吼える。
「アオオオオーン!」
狼化した獣人は低く身を屈め、此方を目標に定めると駆け出し、一瞬で距離を詰める。
そのまま突っ込む事はせず、僕の前に立つ己が家人を踏み台にして高く跳躍した。
一丈(約3メートル)は軽く舞い上がり、道場の屋根に着地。もう数度跳ぶと母屋の屋根に移動する。
そして直下に頭を向けると……
人狼は獣の顔で、ニタリと笑った気がした。
「ヒトゥリデ様!」
僕は思わず主人の名を叫んだ。