帰還
心地のよい温かさを感じる
あぁ、またここにいる
温かいのに息苦しい
強い力で引っ張られるようで
それでいて優しく包まれているよう
『光が3つ 闇が3つ
染まらぬ白 呑み込む込む黒
交じり合う 灰色
帰りを待って 』
柔らかな声が子守唄のように届く
知ってる
私は、この歌の先を知ってる
『帰りを待って
6つの奇跡が君を待つ』
一緒に口ずさむ
どこからか笑い声が聞こえて目の前が暗くなる
待って!
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
SIDE ルイ
機械的な目覚ましの音に眉をあける。目の中に眩しすぎる太陽の光が射し込む。視線の先には病院のような真っ白な壁紙が映る。
久しぶりに見たあの夢。時々、今日のような不思議な夢を見る。にしても今日はいつも以上にあの歌が鮮明に聞こえた気がする。
『ルイ様お目覚めの時間です』
部屋に入ってきたのは朝食を持ったAIのメイド。
『本日の朝食はスコーンにございます』
やっぱり機械的な動きと音が部屋に響く。
「後はもういいから」
朝食の準備を進めるAIを部屋から出るように言う。小さく会釈をして出て行くAI。うん、我ながらよく出来てる。
ベッドの横においておいたスマートフォンを手にとって弄りだす。だらしなく寝っ転がりながらスコーンをつまむ。
「あっ、メールきてる」
めったにこないメッセージの欄に着信を見つけ開く。【振り込み完了】少し胸を躍らせたのが一気に冷たくひえていく。
スマホを投げ出してもう一度目をつむって寝ようと試みる。
病院で顔を合わせて以来お金の振り込みだけをしてくるようになった親。交通事故にあって病院で目が覚めたときにはなにも覚えていなかった。いわゆる記憶喪失。それを知ったときの親の悲痛な表情は忘れようにも忘れられない。わけがわからないのは私の方でその顔をしたいのは私なのに、後から世界で一番自分たちが不幸だという顔をするのが自分の親だと知ったときには何も言えなかった。
精密検査が終わって退院すると与えられたのは、1人では部屋があまり過ぎる大きな家と毎月振り込まれる使い切れないお金。と言っても、今の生活に不自由はない。幸いにも思い出に関する記憶はなくしたけど、私生活や勉強に関する記憶は残ってたおかげでAIのプログラミングとかもできたから。
1つ問題があるとするなら暇すぎることくらいだ。
『ルイ様、お客様にございます』
AIの声に目を開ける。お客……珍しいことがあるものだ。何かのセールスだろうか。ゆっくりと体を動かして玄関へ向かう。
玄関を開けるとそこにいたのは、黒いつばの広い帽子を目深にかぶった男の人。醸し出てくる雰囲気が只者じゃないことを語っている。恐ろしいはずなのに懐かしさを感じる香りが鼻をかすめて安心感を覚える。どこかで嗅いだことがる。どこだったけ? 思い出そうとするけどない記憶を辿っても仕方がない。
「ご苦労様です。でも、セールスならお断りですよ」
気を取り直して、身構えながら笑顔で声をかける。
「おや、失礼しました。私はウィルズ・ダイトンと申します」
帽子をとって深々と頭を下げられる。動きの優雅さが育ちの良さを語るというのはこういうことなんだろうか。初めてだ。こんなことを感じたのは。
ゆっくりと頭をあげると流れるようなダークブラウンの髪と筋の通った顔が見える。こんな綺麗な顔をした人がこの世界にはいたんだ……。驚きだ。
まぁ、なんにしても私はウィルズ・ダイトンなんて人を知らない。知らないのか忘れているのかはこの際置いておいておいて。どちらにしてもこんな気味が悪い人と話すことはない。
「何の用か伺っても?」
「ええ、もちろんです。私はあなたのお父様の使いにより参りました」
父親? あの人がそんなことをするだろうか。しばらく会ってないせいかもう顔もしかっりと思い出せそうにない。
「使い? 一体なんの?」
「話し相手とでも申しましょうか。その程度に思って頂いて結構ですよ」
話し相手……。中々魅力的な言葉だ。ここに来てからというもの最後に会話という会話をしたのがいつかもわからなくなってしまった。そのくらい人が恋しい。
ただ、問題があるとすればコミュニケーション能力だ。ここ5年近く私の話し相手にあっていたのは感情を持たないAI、ただ一体。だからもう人との話し方なんて忘れてしまった。
「とりあえず、入りますか? 大したものは出せませんけど。」
「ありがとうございます。」
玄関先で話していても仕方がないので中へ招き入れる。
この程度の会話なら大丈夫。それに、この人は話しやすい。まるで話したことがあるみたいに。微妙な距離感をとって話してくれるからだろうか。だからと言って警戒取れるわけじゃないけど。
「なにか飲まれますか? ダイトンさん」
「お構い無く。それから私のことはウィルズとお呼びください。敬語も外していただいて」
「敬語はお互い様じゃないですか」
「私はこの話し方が素なんです。せっかく話し相手としているのですからもっとラフにしてただいて構いませんよ」
敬語を外す……。難しいことをさらっと言ってくるウィルズさん。呼び捨てでも少し躊躇するのに。
「あぁ、この茶葉はなんですか? 私の故郷のお茶とよく似た香りがします」
「アールグレイの紅茶……です。」
「ゆっくり慣れていけばいいですよ」
柔らかく微笑んで暖かな作り出してくれる。ウィルズは美味しそうに紅茶を飲むけど私は沈黙に戸惑う。別に気まずい雰囲気とかじゃないけど、対処の仕方がわからないので困る。
「ウィルズ、さんの故郷ってどこですか?」
やっぱり難しい。敬称はつけたくなるし、言葉遣いも。それに絞り出した質問だってあまりにありきたりすぎて自分に嫌気が差す。そんな質問にだって笑顔を向けてくれるのだからウィルズさんはいい人だ。
「私の故郷は人々が活気付いている良いところですよ。私はあの国ほど良い国を知りません」
「へぇ。行ってみたいな、ウィルズさんの国」
「……本当にそうお思いになりますか?」
少し間をおいて、いきなり真摯な瞳を向けてくる。真実を見定められているようで手汗がにじむ。この瞳は怖いけど、逸らしてはいけない気がする。
「はい。羨ましいです。ウィルズさんは色んなところに行けるんだろうから」
「そうですね」
「私は、ここから出れないんです」
「ここから出たいですか? 外に出た時ここよりも過酷なことが待っていたとしても」
「はい。恐ろしいけど、解らないことの方が多いんだろうけれど、それでも私は外を見てみたい」
何も知らない今の自分なんて好きじゃない。
不自由はないけど、退屈で。
窮屈ではないけれど、どこか寂しくて。
私って何だろう? 何も無い中身が無い自分なんか自分じゃ無い。いつか、記憶が戻ったとしても戻らなかったとしても。人生を“ワタシ”のために使う権利があるならば私は外を見たい。一人になりたくない。
はじめてあった人に何をいってるんだか。普段は蓋をして考えないように、感じないようにしていることがボロボロと出てくる。
時折、紅茶の香りに混じって懐かしさを駆り立てる香りが鼻をかすめる。まるで酔ったみたいだ。
「この世界に来てよかった」
「えっと、」
「あなた様を連れ戻せる」
「えっ?」
「先程の言葉お忘れなく。私たち一同フウ・ジティーム・リン様のお帰りを心待ちにしております」
わけが分からないことを言うウィルズさん。
次の瞬間には空間全体が緑色の光に包まれる。家が吹き飛びそうなくらいの風が吹き付けてくる。床を見れば魔方陣のような模様が浮かび上がっている。その模様がいくつも重なっていく。
人間っていうのは理解しがたい現象を目にすると一周回って冷静になるらしい。
「ウィルズさん!!」
「向こうでお会いしましょう」
ありったけの声で助けを求める。にこりとあの穏やかな笑みを落とすウィルズさん。
光の強さに耐えられなくなって目を瞑る。吸い込まれるような感覚に襲われ視界が真っ暗になる。