85.オレンジ
「あ、あのこれ置いて行ってますよ……。」
「ああ、それあげるよ。引っ張ってきたお詫び。一色君がクッキー嫌いなら市禾ちゃんにでもあげてよ。」
「……ありがとうございます、もらいます。」
僕が緋和ちゃんの失神で覚えた危機感は家に帰ってからのことだ。一色君がなかなか帰ってこなかったら、市禾ちゃんが家にいなかったら。倒れてから長時間放置されるかもしれない。ただの熱ならまあまだしも、もし何かすぐに対応が必要なことが起きたら終わりだ。
「一色君は病室入るよね?」
「……はい。」
病室のすぐ近くまで戻ってきたところで少し、一色君の歩速が落ちた気がする。そんなに気が進まないのか……。距離の取り方がつかめないとはいうけれど、そんなになものなのか……。おそらく一緒に暮らしていてこういう風にこじれた兄弟は一色君たちの他に見たことがない。
本人でないとわからないものなのかもしれない。
「……あ、先生!」
緋和ちゃんたちの病室が視界に入ると声が聞こえた。
「夏目ちゃん。遅くなってごめんね。彩ちゃんは?」
「まだ体調が万全じゃなさそうだったから病室に戻した。」
「そっか、ありがとう。……もう夕方だ。」
気づくと窓からはオレンジ色の夕日が差していた。カーテン越しから見えるその光は、普段と変わらないはずのカーテンの厚みを意識させるかのように、こちらまで届かないような薄暗さを感じた。
「今日は八号室の西尾彩ちゃんにMRIの話をすることを朝言っておいたんですけど、僕が思っていた以上に怖がってしまって病院から脱走を試みる事態になってしまいました。僕の考えが甘かったです……。ですが、彩ちゃんのことを考えるとやっぱりMRIの話は避けては通れないかと思うので、明日はもう少し気持ちを受け止めたうえで話を進めていきたいと思っています。」
夜の小カンファレスで看護師と彩ちゃんに関わる人をはじめとする先生たちにそう伝えた。子供の扱いはなかなかに難しい。
「春上先生それ、同じように話しかけたら意味ないからね。いくらこっちが気を付けていようがそれが嫌な子には嫌でたまらないんだから。」
「唯木先生……。はい、わかっています。彩ちゃんは人一倍痛いことは勿論病院自体が大嫌いなので……。」
「いるよね、そういう子。仕方ない、僕らには慣れたことだって患者さんにとったら初めての恐怖案件だ。知らない間にその子の地雷を踏んでしまうこともある。」




