ここで多くのモノをわたしは学んだ
その後も十分弱にわたって彩は泣き続けた。彩の頭を撫でながら優しい言葉をかける春上先生と、その様子を見ている緋和。
「疲れ切って寝ちゃった」
彩は泣き疲れ、春上先生の腕の中で寝てしまっていた。そんな彩の向きを変え、座るような体制に折り曲がっているベッドに寝かした春上先生。
「緋和ちゃん、明日……?」
春上先生は彩の泣きじゃくった乱れた寝顔を見ながら、緋和に問いかけた。
「はい。先生がいると、六年前を思い出します」
「君はあの頃と何も変わってないね。強く意思を持って前を向く。後ろ何て一度も振り向かずに――さ。」
「そう、かもしれませんね」
春上先生は彩から視線を外し、緋和の方を向いた。
「君は、もう少し周りを頼るべきだ。それに、彩ちゃんみたいに泣きたいときに泣けばいい。笑いたいときは笑えばいい。」
「わたしは……今の自分が正解のカタチだと思っています。頼れる人なんていない、みんな自分のことで精一杯です。なのに自分のことを押し付けるなんてできるはずがないじゃないですか。泣くのだって、他人に迷惑をかけてまで自分の痛みを伝える必要はないと思います。」
「他人の痛みは背負うのに?」
「わたしはもう慣れましたから。自分を取り巻く痛みに」
「最後に僕は君が心から笑っているところを見たのは六年前だ。あれ以来、君を見かけても……いつも痛そうな顔をしていた。」
「そう、かもしれませんね」
「…………緋和ちゃん君は――百萌ちゃんと七生ちゃんの背中を追っているんだね」
「……あの二人がいなければ、今のわたしはありません。二人はわたしの痛みを背負ってくれました。」
「百萌ちゃんたちは、もう少し我が儘だったよ」
「わたしは我が儘になる方法を知りません」
寂しそうに笑う緋和ちゃん。その顔に、僕は心を何度、締め付けられてきただろうか。
その笑顔の奥にある痛みを知りながら、僕は何度、見て見ぬふりをして、いろいろなことを、強要してきたのだろう。
何度、緋和ちゃんの辛い優しさに触れながら、それを「当たり前」のように強いてきたのだろう。
「ごめん、本当にごめんね」
「わたしは、先生の事、好きですよ。誰にでも優しく、患者のことを一途に考えるその姿勢に憧れていました。」
初耳だった。ずっとずっと僕のことが緋和ちゃんは嫌いだと思っていた。緋和ちゃんの身体に傷をつけるような手術を行い、嫌なはずなのにそれを緋和ちゃんが言えないことをいいことに、痛い思いばかりさせた。
「先生の対応で痛みが和らぐわけじゃない。先生のせいでわたしが手術をしないといけないわけじゃない。」
「いいや。対応によって、患者の心を和らげ、痛みまでもを和らげることができる職業だ、医者っていうのは。でも、僕はそれができなかった」
「わたしはこの身体で後悔したことなんてないですよ。健康が一番だろうですけど、健康な人たちより多くのことをわたしはここで学びました。学校なんかでは学べないようなこともたくさん。それに足掻いたって変えられないものもある。だから前を向くんです」
何かを思い出すように優しげな表情の緋和ちゃん。緋和ちゃんの重い言葉が僕の胸には溜まっていった。
自分としっかり向き合い、その上でしっかりと前……未来を見据える緋和ちゃんは、いつになく輝いた目をしていて自分の小ささを改めて理解させられた気がした。
「ごめんね、何か。明日……頑張ってね。」
「いいえ。今日、先生と話せてよかったです。」
――病室から出ていく春上先生とそれをベッドから見届ける緋和。そして寝ている彩。重い業を背負ったそれぞれは、同じようで違う時間を歩いていた。
疲れていたのか、彩はそのまま朝まで眠り続けた。他三人はいつも通りの時間を過ごし、それぞれの朝を迎えた。