科学者からの依頼 7
ダンジョンに潜ってから半日が経った。一人なら仮眠をとって、深層部へと突入するのだが、ルナの体力がどれくらい残っているかなど、わからない事が多いので今日はここで野宿することに決めた。ここまで虫や小動物は見かけるものの、まだ人にも獣にも出会っていない。聞こえてくるのは最下層から聞こえてくるであろう例の獣の叫び声だけだ。夕飯の支度を済ませ、寝床の準備を整える。寝床と言ってもダンジョン内ではテントなどを作ることはしない。雨の心配や強風の心配がほとんどないからだ。風が全くないわけではないが、身体にダメージを与えるような天候的影響はほぼないと言っていいだろう。逆に空気の流れが少ないので、火を使った時は二酸化炭素や、不完全燃焼による一酸化炭素を発生させるを防ぐため、火は使い終わったすぐ消化する事を心がける。焚き火を眺めるのが好きな私には少々残念だが、これも旅人の鉄則だ。
今日の夕食はカレーっぽい何かだ。鬼族の食事形態がわからないかったから心配だったが、特に問題ないようだ。一応出発前に確認はしておいたのだが、何を聞いても食べられると頷くのみだったので、少々不安があったが、本当に大丈夫なようだ。
「明日は最深部まで行くつもりだが、疲れていない?今日より少し短いとは思うけど、同じくらい歩くことになるんだけど。」
彼女は頷く。
「それで多分、獣と戦う事になると思うんだけど、その覚悟をしててもらってもいいかな。」
彼女はこちらをジッと見つめている。
「えっと、戦うと言っても僕がすぐ獣を倒すことになると思うんだけど、その際、血とかが出ちゃうんだけど、そういうの見るの嫌いだよね。」
彼女は頷く。
参った。獣を倒して鉱石を集めて終了だと思っていたのだが、彼女のことを配慮していなかった。獣と遭遇する前に彼女を置いて行くと言う手もなくはないが、その場合は彼女が獣に狙われそうだし、連れて行く場合は必ず血が流れる。逃げ回りながら鉱石の確保をするしかないのだろうか。そういえば、冒険者などもそこにいる可能性を考えなければいけない。『いる』ではなく『ある』かもしれないが、死体が。何れにせよ、獣への対策は考えておくべきだろう。こんな小さい子にトラウマを押し付けてしまったら、寝覚めが悪いから・・・。
「じゃあ、獣と戦うのはなしにするけど、いっぱい歩くから今日はゆっくり休むんだよ。」
彼女は頷く。
「じゃあ、おやすみ。寝具の使い方はわかるね。」
彼女は頷き、寝床に着いた。一日一緒にいたが、彼女との心の距離が埋まった感じはしない。もちろん、奴隷市で売られていたということは、ほぼ間違いなく誘拐されてきたという事で、誘拐した『人間』である私に信頼や安心を感じる事がないのはわかっているのだが、正直頑張って優しく接しているつもりなので態度の変化がないと少し悲しい。敵対心や憎しみをぶつけられるよりマシなのだが、何か『諦め』の様な物分りのよさを感じて切なくもある。これが終わったら里に帰らしてあげるよと言えば、少しは変わるのかもしれないが、この依頼が終わるまでは希望だけチラつかすのはやめようと思う。
「光は消しておくから。」
そう言って私は光玉を消す。あたりは完全な一瞬闇に包まれる。すると突然壁がほのかに光りだした。これが噂に聞く飛行石・・・ではなくシルベスタだ。ただし最下層以外で採れる鉱石はシルベスタの純度が低いらしく、役に立たないらしい。なんでも、シルベスタ光を吸収し発光する特性を持つが自身が発光するわけではないので吸収した分が切れると光は消えてしまう。
寝床に着く前に周りを警戒するが相変わらず気配というものがまるで感じられない。ので、私は寝床に付き明日の対策を考えてみることにした。
声から感じ取れたことは、獣は1体であることと最下層から移動していないことだけだが、事前の情報を含めて考えると少し違和感を感じる。それは、なぜ生存者が一人もいないのかという事だ。討伐依頼を受けたパーティーは最下層に戦いに行ったであろうから全滅するのはわかるが、隠し通路の探索は道が複雑化する中層から行うのが一般的である。
考える事が増えてしまった。獣への対処法と生存者ゼロの謎。色々考えを巡らせるが答えが出ないまま、私は眠りに落ちていった。
目が覚めるても、そこに在るのは闇のみだった。急いで光玉を付ける。ルナはまだ眠っている。すると例の雄叫びが聞こえ始める。まるで、早く来いと言っているように連続して吠え続ける。その声でルナが目を覚ます。相変わらず怯えている様子は見えない。ただ淡々と寝具を片付ける。
「よく眠れたか?まず朝食を食べようか。」
ルナが頷く。
軽い朝食を済ませ、最深部へ向かう。順調に思えた行程に突然変化が起きたのは、最深部到達まで残り数時間に差し掛かった所だ。光玉が突然点滅しだし、そして消えた。一週間継続可能なはずの光玉が2日間も持たずに消えるなど普通ならあり得ないことだった。理由はすぐに判明した。シルベスタだ。光を吸収するという特性を私は浴びた分だけ光る蓄光テープ的な物と勝手に解釈していたが実際は、『吸収』していたのだ。つまり、光玉の光はシルベスタに吸いとられ続けていたのだ。それはなぜ生還者がゼロかという謎の答えでもある。光玉の光を吸収したシルベスタの光はより純度が高いシルベスタに吸収されていく。つまり光が最下層へとゆっくり移動していくといことだ。松明を作って帰るという選択肢もあるが、この地下で使える蒔きは食事用に持ってきた木材のみで、とても上に帰るまで持つとは思えない。何より光量の弱い松明では心もとない。他の冒険者も同じ考えで最深部のシルベスタのみが唯一の道標であると判断したのだろう、純度が高いシルベスタから低いシルベスタへの光の吸収は起こらないらしいのは現在進行形で起こっている光の移動方向を見れば推測がたつ。最高純度の発光しているシルベスタを光玉の変わりに灯りとして地上を目指す、これが今、私が思い付く最善の解決策であり、生還者がゼロな理由であろう。望む望まないは関係なく、獣と遭遇する道を選び戦った。そう考えるのが自然だろう。そして、それは必然的に私たちの進む道でもある。
「見ての通り僕たちは光玉を失ってしまったので、たぶんこの明かりは最深部に向かってる。元々、最深部に行く予定だったので目的地は変わらないけど、進むペースをこの光が進むのにあわせなくちゃいけないから頑張ってね。」
ルナが頷く。
最深部が近づくにつれ獣の方向が大きく聞こえ、死の臭いが漂ってくる。これは比喩ではなく、たぶん全滅したパーティーの死体から発せられるものだろう。ニュースで動物の腐った臭いが部屋からしてきて警察が突入、死体遺棄事件発覚というパターンをよく耳にするが、実際、死臭というのは強烈で出来れば近づきたくない。
「臭い、大丈夫?」
彼女は首を横に振るが、
「ごめんね、我慢してもらうしか出来ないから頑張ってね。」
と、歯医者の痛かったら手を上げてくださいと同じように意味のない会話がなされた所で、最深部が見え始めた。私は慌ててルナの目を塞ぐ。強い光を発している鉱石が辺りを昼間の様に照らしているお陰で、そこら辺に散乱している冒険者の武器や防具、そして遺体までバッチリ見える。これは獣を殺そうが殺すまいがルナのトラウマになっちゃうんじゃないのという焦りを圧し殺して、彼女に伝える。
「あそこにあるもはあんまり見ない方がいい。目をつぶっていてもらって良いかな、獣は僕がどうにかするから。僕が良いって言うまで、目を開けないでね。必ず僕が君を守るから。ひょっとしたら君を抱えて走ったりするけど、僕を信頼して目をつぶったままでいて欲しいんだ。」
彼女が頷く。
ヤバい、嬉しくてちょっと泣きそうです。
「さて。」
そういって私は改めて最下層をみる。そこにはあり得ない獣が存在していた。
体長2メートル、鋭い牙と鋭い爪、筋肉で覆われた屈強そうな体、怒りに満ちた瞳、そして長く美しい白いたてがみ。そこにいたのは見事なホワイトライオンだが、あり得なかったのはその体から常に雷系の魔法を発していたこと。
「勘弁してくれ。」
自然と愚痴が口からこぼれ出ていた。