嘘つきになっちゃった
専業主婦の敏子は、息子の勇人が結婚してからというもの、夫の啓一とは会話がなく、唯一の話し相手はテレビだった。暇を持て余している敏子は、家事をこなした後は、居間でお茶を啜り煎餅を齧るくらいしかやることがない。
「お父さんも、帰って来たって、ビール飲んで野球観て寝ちゃうしね~。私の話なんて聞いてもくれやしない。何か良い事ないかね」
『プルプルプル・・・・』
「あれ、電話なんて珍しい。勧誘のお兄ちゃんかね?ちょっと話でも引き延ばしてみようかね」
「もしもし。・・・・・・相変わらず暇だよ・・・・・・良い事聞いたよ。それじゃまたね」
「さ~て、これからどんな嘘をつこうかね。楽しみだね~」
敏子は、電話の相手から良い事を聞いた。
「昼ドラのワンシーンが使えるね。あれなら、あのお父さんだって相手にしてくれるかな」
敏子は、啓一が帰宅してくるのを待ちわびていた。
「ただいま~。おい。お前どうしたんだ」
敏子は、シャツのボタンを外し、服を乱して、へたり込んでいる。
「お父さん。助けておくれよ」
「お前・・・・何があった」
「今し方、勇人の借金取りが現れて、襲われちまった」
「なに―――――?」
啓一は、敏子のボタンを閉めて、乱れた服を直した。
「お前。大丈夫か。勇人の野郎―――アイツが変な所から金なんか借りちまうから」
敏子は、想像以上の感触を得ていた。
『本当に、お父さん心配してくれたよ・・・・やって良かったね~』
啓一は、勇人に電話を掛け、怒鳴り散らしている。
「勇人。お前って奴は、変な所から金なんて借りて。母さんが大変な思いをさせられたんだ。バカ野郎」
『勇人。これはアンタの大事な母さんの為だと思って我慢しておくれ』
勇人に申し訳ないと思いつつも、啓一が心配してくれた事に敏子は満足げだ。
電話を受けた勇人は、何事が起きたんだと、嫁の由利恵に電話の内容を聞かせた。
「親父、おかしくなっちまったのかな?」
「お義母さん、暇で変な冗談でも言ったんじゃない」
由利恵は、たいして気に留めている様子ではなかった。
敏子の嘘で、今まで話を聞かなかった啓一も、家に帰って来ては、敏子の話に付き合うようになり、心を痛めたと思われる敏子を気遣って優しく接していた。
「お前。俺がいない間、あれから変な事はないか?」
「お父さんが心配してくれるお蔭で、何もないよ」
「俺が・・・あ~そうか。何もないか。それは良かった」
「これからも、お父さん。私の話を沢山聞いておくれよ。私は心を痛めているんだからね」
「あ~そうだな。お前は、勇人のせいで心を痛めているんだもんな。話を聞くよ」
しかし、一週間もしないうちに、啓一は帰って来るなりビールを飲んで、野球を観ているスタイルに戻っていた。
「お父さん。まだ私は心を痛めているんだよ。話を聞いておくれよ」
「あ~。もうあれから何もないし、もう、あの事は気にするな」
「そうかい・・・・・」
敏子は、啓一に、あのネタは飽きられたんだと思った。
次の日、敏子は居間でお茶を啜り、次なる嘘を考えていた。
「次は、どうしようかね~」
敏子は、今朝玄関でつまづいて足を擦りむいた事を理由に、また嘘をついてみようと思った。
「ただいま~」
「お父さん。聞いておくれよ」
「どうしたんだ?」
「今日ゴミ出しに行ったら、隣の奥さんに突き飛ばされてね。こんな怪我まで負わされちゃったよ。近頃、近所の人に虐められているんだよ」
「あ――――?」
「私は、辛くて痛くて」
「あの隣の嫁。ちょっと言いに行って来る」
啓一は、隣に行って、隣の旦那と嫁に怒鳴り散らしている。
「いや、お隣さん。そんな事、ウチの家内はしていなよ」
「ええ。私、そんな事していないし、今日はゴミ出しにも出ていません」
「嘘をつけ―――。ウチの女房は怪我までしているぞ」
「そんな事言われても・・・・」
啓一は、カンカンに怒り、顔を赤くして家に帰って来た。
「お前。もう隣とは話もするな。アイツら、とことんシラを切ってやがる」
「それよりお父さん。足を消毒しておくれよ」
「あ~そうだな。痛かったな。消毒しような」
敏子は、啓一に介抱され、また話を聞いて貰えるようになった。それでも、一週間が過ぎる頃には、前と同じ様に啓一はビールを飲み、野球を観ている。
「お父さん。もう心配してくれないのかい?」
「もう傷も治ったし、いつまでも気にするな」
それでも、啓一に心配してほしい敏子は、毎度の様に嘘をつき続けた。
「おい、お前。何でそんなに、お前だけ色んな災難が起きるんだ?」
「いや。そんな事言われても、起きちまうものは仕方ないよね」
この頃、簡単な即席の嘘では、啓一には通用しなくなり、敏子は頭を悩めていた。
『どうしようかね~。お父さんの心配も、長続きしないね~』
啓一から過剰に心配された事を忘れられない敏子は、昼ドラで観た過激なシ―ンを思い出していた。そして、仕事中の啓一の携帯に電話をかけてみた。
「もしもし?」
「・・・・・・・・・・」
「おい。お前、どうした?」
「・・・・・・・・・・」
「おい、お前。電話なんだから、何とか言えよ」
「お父さん・・・・私、死にたくなっちゃった・・・・」
「なに言っているんだ――――」
『プ―、プ―、プ―、プ―』
電話は切れた。
啓一は、慌てて仕事を抜け、四十分の道のりを車で飛ばした。
『ブ―ン。バタン』
「よしよし。お父さん帰って来たね。さて、早く準備しないとね」
敏子は、勇人が昔使っていた画材セットをから、赤い絵の具を用意していた。絵具を口元に塗り付け倒れた。
「お前――――生きているか――――」
啓一が台所に走ると、口を赤く染め、吐血している様に見える敏子が倒れていた。
「おい。お前。お前。しっかりしてくれ」
啓一は、敏子を揺さぶり、目には涙を溜めている。
敏子は、想像以上の反応に笑いが込み上げ、吹き出してしまった。
「プ―、プ―、プ―。ハッハッハ―」
「・・・・・・・・・・・・お前」
一度笑ってしまったものは、もう取り返しがつかず、敏子は笑い転げてしまった。
「お前――――――バカにしているのか―――」
啓一は、カンカンに怒り、職場へ帰って行ってしまった。
「あれ~参ったね~。とうとうバレちゃったね~。どうしようかね」
それでも、敏子は幾度となく嘘を試みるが、啓一は一切信用しなくなってしまった。
嘘をつき始める前は、少ないながらも啓一との会話はあったが、嘘がバレた今では、敏子の話は聞かなくなっていた。一人寂しくテレビを見て、独り言を言うくらいしか敏子の喋る機会はなくなってしまった。
『どうしたものかね。お父さん、信用しなくなっちゃったよ。こんなはずじゃなかったのにね』
敏子は、嘘をつき始めた頃は、啓一との会話にも花が咲き「嘘も方便」だと満足気だったが、今となっては嘘ついた事に後悔しはじめている。
『プルプルプル・・・・・』
「あれ?電話だよ」
「もしもし」
「あれ~お義母さん。随分、元気ないですね」
「う~ん。テレビが言ってた通り、色々と嘘をついてみたんだけどね。最初は、お父さんも相手にしてくれたけど、もう今じゃ話も聞いてくれないんだよ」
「あ~。お義母さんの嘘、下手だったんじゃないですか」
「そうかね~。自分で言うのもなんだけど、なかなかの物だったと思うんだけどね」
「あ、そう言えばお義母さん。この前、写真の整理をしていたら、勇人さんと私の写真を見て思い出したんですよ」
「何をだい?」
「お義母さん。私達の結婚を凄く反対していましたよね」
「あ~確かに、そんな事もあったかね?」
「お義母さん、覚えていないんですか?」
「まあ、そんな感じだった様な気もするけど。それと嘘がなにか繋がるのかい?」
「そんなんだから、お義母さんは人から恨まれちゃうんじゃないですか」
「そんなん?」
「あっ。もういいです~。私、これからマサトの幼稚園のお迎えもあるんで」
「あ~そうかい」
「それじゃ、また掛けます」
一か月前――――――
由利恵は、敏子に電話をしていた。
「もしもしお義母さん」
「なんだい?」
「昨日のテレビ観ました?」
「なんのテレビ?」
「あのね、深夜番組なんだけど、それまで仲の悪かった夫婦が、ちょっとした嘘をついた事で、ラブラブになったって話なんだけど・・」
「へ~。知らなかった。昨日は夜遅くまで起きていたんだけどね」
「お義母さん程のテレビ好きが、観ていなかったんですね」
「あれ~何チャンネルだったかね?」
「まあ、それは良いですけど。今まで、気にも留めてくれなかった夫が、ちょっとした嘘で心配する様になったり、話をよく聞いてくれる様になったんだって」
「へ~。て事は、嘘も方便って事だね。良い事聞いた・・」
一か月前に、敏子は由利恵から、そんな電話を受けていた。
「そう言えば一か月前、由利恵さんからテレビの話を教わったんだよね」
電話のやり取りを思い返して、三十分間考えた敏子は、おろおろと居間をふらつき、遂には居ても立ってもいられず啓一に電話をした。
「もしもし」
「お父さん。聞いておくれ。私は、由利恵さんにハメられた」
「お前、次はなんだよ。いい加減に嘘ばかりつくのは、やめろ」
「いやいや。今度こそ嘘じゃないんだよ。由利恵さんが、嘘をついたら夫婦が仲良くなれるって話をテレビで見たって言ってたんだよ。本当だよ。信じておくれよ」
「信じるも、信じないも、テレビの内容を聞かされただけなんだろ」
「あ~。確かにそうだね」
「一体、何が言いたいんだ。嘘をついたのは、お前自身の問題だろ。それをお嫁さんのせいにするな」
「いやいや。さっき由利恵さんが電話を掛けて来て、勇人との結婚を反対した私に、恨みを持ってるみたいなんだよ」
「お前は、そこまでして嘘がつきたいのか?」
「う・・・・ん。お父さん、そうじゃなくて・・・・・」
「いい加減にしろ」
『プー、プー、プー、プー』
「お父さん・・・私は、ただお父さんと仲良く話がしたかっただけなんだよ・・・・なんで、電話切っちゃうんだよ」
その頃、由利恵はマサトの幼稚園にいた。
「ねえ、ねえ。マサトママ。あの『罠』上手く行った?」
「バッチリよ」
完