第3話
「……はい、それじゃあキャンセルと言う事ですね。」
「ええ、すいませんね。エミーナさん。」
そう言ってカウンター越しに笑顔を返してくれた女性はエミーナ。
ソーンの冒険者ギルド本部の受付嬢だ。
ミサキ達の話を聞いたあと、セージは何も聞かされないまま依頼を受けていた事情を説明して依頼のキャンセルを申請していた。
幸いな事に、既にいくつかの冒険者チームが討伐に向かっており、問題ないと判断されたので申請はあっさりと通る事になった。
「いえいえ、緊急性が高いとはいえ甲殻蟻ですし。大丈夫ですよ。」
「助かります。」
セージは軽く頭を下げ礼を言う。そしてエミーナは残りの二人の方を向き
「セージさんとアルトさんはキャンセルとして、ミサキさん達はどうしますか?」
「あたしとシアちゃんは行くよー。お小遣い稼がないとそろそろピンチで……。」
ミサキは元気にぽよんぽよんと跳ねながら答える。まだクロマルに踏みつけられた蹄の後が残っているがいつもの事なのか周囲は誰も気にしない。
「ピンチって……ミサキってセージと同じくらいお金持ってたよね?」
「マスターは無駄遣いが多いので財布を取り上げました。今はお小遣い制です。」
「シアちゃんの主ってあたしだよねっ!?」
3人のやり取りをみてやれやれと肩をすくめる。
「とにかく、行くなら二人で行って来い。」
そんなセージの態度にミサキは
「せーちゃん行こうよー。お金稼げるよー?」
「別に金に困ってないし、隠居したい奴を無理に行かせようとすんなよ。」
そう、セージは冒険者を続けるつもりが無いのである。
10年近いプレイ歴のあるセージ総資産は並のプレイヤーより遥かに多く、こちらの世界に来てもそれはそのまま残っているので生活には全く困っていないのだ。
勿論、そう言った経済的な問題とは関係なく冒険を愛する人も居るが、セージとしてはあまり乗り気にはなれなかった。
「それに、今の俺達が死んだ時どうなるかってのがな……。」
そう、冒険をしたがらない理由として『死んだらどうなるのか』が不明という点だ。
ゲーム時代は死亡したら各地にあるセーブポイントにペナルティを支払い戻るだけだったが、現在そのセーブポイントは知りうる限りの範囲では全て『消失』している。
つまり、死亡してリスポーンをしようとした場合『何処に飛ばされるか分からない』上に本当に『死んでも復活できるかすら分からない』と言う状態なのである。
─それに、ここが本当にシルフィードオンラインの世界か分からないしな─
セーブポイントもそうだが、他にも細かい点をあげたらキリがない。
この世界は自分の知っている物とは限りなく近いが確かに違うのだ。それでも……
「……ジ。セージってば!」
「……ん?」
ふと、顔をあげるとそこには心配そうにセージを見つめるアルトの姿が目に入る。
「すまん。考え事をしてた。」
素直に謝罪して頭を下げる。
「セージ、難しい顔してる。」
「悪い悪い、大した事じゃないから気にするな。」
アルトはまだ納得してないようだったがとりあえず気にしない事にしてミサキ達へ
「ともあれ、お前ら二人なら甲殻蟻程度どうにでもなるだろうが気をつけろよ。」
「お!せーちゃんがデレた!ついにデレ期キター!」
「ねーよ。」
「またまたそんな事言っちゃってー。良いのよ!おねーさんいつでもウェルカムよっ!………はっ!?」
「……マスター?」
アリシアが極上の笑顔でミサキに声を掛ける。
その可愛らしい花のような可憐さを持つ彼女の表情は何も知らなければ誰もが目を引くに違いないだろう。
……背中に般若のオーラが見えていなければ。
「お、おーけー!マイスイート!落ち着こう!?あたし、まだ何もしてないからっ!」
「『まだ』なんですね?」
「せ、せーちゃん!へるぷっ!へるぷぅぅぅぅっ!い、いやぁぁぁぁ…!」
顔を青くするミサキをアリシアは片手で身体を掴み上げ、そのまま外へと連行。
しばらくすると遠くで絶叫が聞こえてくるが、とりあえず聞かなかったことにした。
「……俺達も行くか。」
「……そうだね。」
そうして、セージとアルトはその場を後にしたのであった。
ギルドから出た二人はそのまま街の商業区へ足を運んでいた。
そこには所狭しと様々な商店や屋台が並び。人々の活気に溢れている。
「おっアルトちゃん!一本食ってけよ。サービスするぜ!」
「アルトちゃん、今日は良い鶏肉が入ってるよ!買ってきなよ!」
「アルトちゃん、お、俺の嫁にげぶふぁっ!」
次から次へと店の人々からアルトへ声を掛けられる。
ちなみに最後の奴は途中で他の男勢にボコられていた。
「相変わらず大人気だな。」
「んぐんぐ、人気者は辛いね~。」
アルトはいつの間にか手にしていた串焼きを一人かぶりつく。
「んぐ…ごくん。ねぇ、セージ。もう少しお店見て回ってて良いかな?」
「ああ、それじゃ俺は雑貨屋を見てくるわ。」
そう言って手をひらひらと振りその場を離れようとしたがアルトは不満気に
「えー……一緒に来てくれないの?」
「俺は商店の連中に嫌われてるからなぁ……。」
「そんな事ないと思うんだけど。」
「ここに来るといつも睨まれるんだよ……。」
「そんなのは私が全員ぶっ飛ばすから気にしなくていいのに。」
セージの腕にしっかりと抱きついてくるアルト。
周囲の視線が明らかに鋭くなるのが分かり、「畜生!いつもあの野郎ばかり!」とか「ヤツを消すしか……!」とか不穏な言葉しか聞こえてこない。そんな状況にため息をつきつつ
「今日の夕飯はお前の好きなの作ってやるから我慢してくれ。」
そう伝えて、赤いリボンのついた小さながま口を手渡す。受け取ったアルトは「やった!」と喜んで財布の中身を確認してる姿を眺める。きっと渡された金額で何を食べようか考えているのだろう。
「食材の買い出しとかは頼んだぜ。」
はーい、と元気な返事が聞こえたのでその場を後にする。
喧騒に包まれた商業区の裏通りへ進むと、表通りに比べて静かでのんびりとした雰囲気の場所へ抜ける。セージはその中の看板にヴェイル雑貨店と書かれた一軒に入ろうと入口の扉に手を掛けそのまま中に入る。
カランカランとドアに付いた小さなベルが音を奏で来客を伝える。
「いらっしゃい。」
中に入るとそこはまるで日本の駄菓子屋のような陳列方法で日常雑貨を始め、冒険者がよく使うツール類に回復剤。それ以外にも薬の材料になるものや、詳細不明なマジックアイテム等が並べられていた。
「よう、婆さん。」
「ふぇふぇ、セージ坊かい。丁度いい所に来たね。」
「いい所?」
「ちょっと急ぎでね。回復用と攻撃用のポーションを作りたいのさ。」
詳しく話を聞いてみると、現地に向かう冒険者に在庫を無償で全て持たせた為、店に並べる分が無くなってしまったらしい。
「相変わらず商売気の無い婆さんだな。」
「ふぇふぇ、客がみんな死んじまったらそれこそ商売上がったりさ。」
それに大した数でも無いからね。と婆さんは愉快そうに笑う。
「それで、俺にも作るの手伝えってか?」
「ああ、そうさ。材料は裏にあるから勝手に使いな。」
「へいへい。」
セージは婆さんに言われるままに店の奥にある工房へ入り、ポーションを作り始める。
鉄で出来た大鍋に目分量で大雑把に薬草を掴んで放り込み、煮込んでいく。やがて様々な草の汁で出来た煮汁に今度は何種類もの石のような物を一つずつ乳鉢で摩り下ろし、その粉末を鍋に入れていく。一つ、また一つと新たな粉末を入れていくと鍋の液体は濁った茶色から段々と透明になっていき、最終的には透き通った赤い液体になった。様々な薬品の素体になる赤色ポーションの完成である。
セージは手鍋に完成した赤い液体を汲み取り小さなガラス瓶に一つ一つ注ぐ。全ての瓶に注ぎ終わった頃には100本のポーションが出来上がっていた。次にセージはそれを50本ずつに割り振り、片方に黄色いイクラの様な物を入れ、もう片方に乾燥した小さな葉っぱを入れていく。すると前者は段々と橙色に変わり、後者は紅茶の様な琥珀色へと変じていく。完全に色の変わるのを確認してから橙色の方には導火線付きのコルク、琥珀色の方には普通のコルクで栓をしていく。攻撃用アイテム『ボムポット』と回復用アイテム『低級ヒールポット』の完成である。
「婆さん、出来たぞ。」
セージは完成した2種類の薬品の内、数本を婆さんに見せる為に店の方へ運ぶ。それ受け取った婆さんはそれを光に透かしたりして眺めると満足そうに笑い、陳列棚へポーションを並べていく。
「セージ坊がこの店を継いでくれれば、アタシも楽が出来るんだけどね。」
「何言ってんだ。婆さんはまだまだ現役だろ?」
「ふぇふぇ、師匠を楽にさせようって気はまだ無いのかい?」
「弟子をコキ使いたいだけだろ。」
まだゲーム時代の頃、セージはこの店の常連だった。
当時の婆さんはただの販売NPCで、ここで『薬術士』のスキルの一つである『薬品調合』の熟練度稼ぎをしていたのである。
婆さんからはひたすら薬の材料を買い込み、奥の工房でポーションを作ったら全て婆さんに売却するという事を繰り返していただけなのだが、実際にこの世界に来た時に店に来たらどういう訳か「師匠と弟子」の関係になっていたのである。
「その内で良いから考えておいておくれ。老い先短いババアの頼みさ。」
考えとくよ。と言い残し、セージは雑貨店を後にした。




