その十三 高校一年夏休み十九日目・立村上総の自由に未来を研究しあう日々(5)
すぐに美里は話を切り替えてくれた。
「そうだ、立村くん、杉本さんとは会ってるの」
「夏休み中にってことだったら」
うなづいて返した。それなりに考えていることがあるんだろうが。裏があるとは思わないので素直に答える。
「元気だった?」
「相変わらずだった。あのままかな」
「よかった。私、何にもし
てあげられなかったから、気になってたんだ。立村くんがそう言うなら安心だよね」
美里は微笑み絶やさずに続けた。
「清坂氏は杉本のこと、一生懸命かばってくれてたんだって噂では話聞いてた。あの、ほら、修学旅行の」
「こずえから?」
「それもあるけど、それなりにいろいろと」
おそらく視聴覚教室でのいろいろな出来事は美里の耳に入っていないと思う。その点を前提に話を進めていくことにした。
「そうか。私ね、
立村くんが杉本さんのことものすごく心配してたこと知ってたし、学校側の態度もひどいなって思ったからね。あることないこと全部杉本さんのせいにするのって許せないよね」
「うん、それはそう思う。俺も杉本から詳しく聞いたし」
「そっか。立村くんが信じてくれてるんだったら、きっと杉本さん大丈夫だね。よかった」
素直な笑顔が橙色のワンピースに映える。だいぶ日焼けしているが羽飛や関崎ほどの黒さではない。こんなま
ぶしい女子に一時期本気で想われていたことが自分でも信じられない。受け止めるだけの器がなかったことが悔いとなって残っているけれども、それでも大切な友だちとしてそばにいてくれるそんな女子を、どうして嫌うことができるだろう。東堂にもそのことをこと細かく説明してやりたい。そのためだけに、規律委員に潜り込むのもいいのかもしれない。
またボートが揺らいだ。軽くめまいがする。すぐ美里に声をかけられた。
「立村
くん、大丈夫?」
「うん、まだ大丈夫」
「ならいいけど。なんかね、立村くんとこうやっていると、聞きたいこといっぱい出てきて困る。ほら、関崎くんのこともそうだし、杉本さんのこともそうだし、最近
噂で流れてることなんだけど二学期以降の規律委員のこととかね。すっごく気になるんだけど本当のところどうするつもりなの」
ちょうど考えていたところとつながる質問に、思わずオールを握り直す。同じ答えを返す。
「A組の状況にもよるけど、話が出たら受けると思う」
「状況って、関崎くんが評議委員になったらってことだよね」
食い入るように問いかける美里。その顔を見つめていれば酔いも消える。
「そうだよ。今のA組評議は藤沖で、あいつがこれから応援団を立ち上げることになればそこが空席になる。そこで関崎が入ることになれば誰も文句は言わないと思う」
「確かにそうよね。関崎くんこの一ヶ月で実績作ってるし。A組のみんなもそ
の点は納得してるの?」
「まだ確認したわけじゃないけどさ。雰囲気見た限りは問題ないだろうな。そこで空いたポストに誰が入るかってことでもしかしたらってのは、あるかもしれない」
「評議委員長を遊ばせておいていいかってこと、天羽くんたちがかなり大きな声でみんなに話してるみたいよ。元評議の男子たちは立村くんになんとしても戻ってきてほしいっていっつも言ってる。私にもね」
となると、天羽たちは本気で外部組た
ちと戦うつもりでいるということだろう。それを受け入れていいのか正直上総は迷っている。その一方で、また委員会に戻ることもいろいろなところから悪くはないかという気もしている。
「俺もあまり規律については詳しくないんだけど、やることっていったらいわゆる週番と違反カード切りがメインだろ」
「それもそうなんだけどね。南雲くんが来たことによってもっと別のこともやりたいって雰囲気にはなってるみたい。東堂くんと一
緒に組んで計画は立ててる様子だしね。ただ、他の委員はあまりやる気なさそうなの。私も詳しいこと聞きたいんだけど、東堂くん私のことものすごく嫌ってて避けられているし」
「ああ、それなんだけどさ、あいつの彼女のことで揉めたって聞いたけどあれ、どういうことなのかな」
「だって、わかるでしょ! 桜田さんって子、とんでもないことしてた子なんだもん。いくら東堂くんががんばっても無理なものは無理!」
美里らしくない口調に聞こえた。いつもの美里なら人を一方的に決めつけたりはしない。杉本に対しての態度を知っていればこれは当然のことだ。
「俺も桜田さんとはあまり顔あわせたことないけど、杉本とはすごく仲良しだって聞いているんだ。人に教えることがものすごく上手だとかさ」
「立村くんも騙されてるの? たばこ吸ったとかシンナーとかそういうことなら人の心も変わるかもしれないよ。でもね、そういうことじゃないんだもの」
──つまりは、売春だもんな。
言葉に出せない美里の気持ちを思いやることを忘れたくはない。上総はすぐに察することにした。話を別方向に持っていくことにした。
気を遣わずにすむのは楽だった。しばらくボートを漕いで、また休み、また漕いで。お世辞にも上手とは言えない漕ぎ方にも美里は文句を言わず機嫌よく会話を楽しんでいた。
「あのさ、清坂氏」
「どうしたの」
「まだ先のことだけど、大学の学部どこにするとか考えてるのかなと思って」
誰もいないからこそ、問えることだった。オールを漕ぐ手を止め、前かがみで聞いてみる。
「もちろん考えてるよ」
「たとえばどこ」
「うちの両親は絶対文学部行けとか言ってるけどね」
さらりと美里は言い放った。
「私には無理。だって本を読んでから感想書く程度で精一杯だもん。万葉集とか古今和歌集とか読んで研究して楽しい? 舞姫とかこころとか読んで作家論したいと思えないもん」
「それ、俺が美術に対して思っていることに非常に近いんだけどな。言いたいことはわかる」
「あっそっか。そうだよね、立村くんは文学に強いもんね。私はおもしろければそれでいいってタイプ。だから絶対、文学研究するには向いてないの。むしろ商学部か経済学部あたりがいいなって思ってるの」
美里も向かい合い、上総に首を傾げて問いかけた。
「卒業したらどういう会社に入ろうかとか、思ったことなあい?」
「会社?」
思わず戸惑う。今まで企業名について考えたことなんてない。
「うん、私、よくお父さんに言われるんだよね。同じ仕事でもそれぞれの会社カラーがあるから、今のうちからよく観察しておくようにって。もちろんいろいろな仕事があるしどうなるかはわからないけど、学校でいう校風ってのかな、それが合わないと大変だよって」
「そうなのかな。俺はまだ、職種のほうありきだな。この前もさ、狩野先生や本条先輩といろんな話をして
ていろいろ考えたよ」
「え? そうなの? 聞きたい聞きたい、教えて!」
全身で上総の言葉を求める美里。
──ちょっとくらい、いいよな。
だいぶボートで揺られっぱなしだが、もう少しふたりきりでいたい。羽飛もそのくらいは許してくれるだろう。
「本条先輩は? 元気だった?」
「相変わらず。今、マイコンというのにはまったみたいで、プログラムを作って雑誌に投稿して、ものすごく高い評価されているんだ。
たぶん話の内容からして将来はコンピューターの世界に行きそうな気がするんだ」
簡単にまとめてしまったが、本当はもっと熱く語りたい。美里ならどうだろう。杉本みたいに怒ったりしないだろうか。
「雑誌の有名人? 本条先輩らしいね。青潟の大学行くのかな?」
「どうなんだろうな。わからない」
あえてごまかした。たぶん本条先輩は青潟から出ていくだろう。でもそこまで話していいのかすらわからない。
「それで狩野先生はなんて言ったの?」
「うん、狩野先生にはいろいろアドバイスされたんだ。大まかに言うと、語学につながってない仕事も考えろと言われたよ。俺は語学しか能力ないからそれ関係の仕事しか思いつかなかったけど、見方を変えればもっと可能性広がるんじゃないかって」
「たとえば?」
「日本伝統文化に関することとか、書くこととか」
「狩野先生、やっぱり立村くんのことよく見てる。私もきっと同じこと言ったと思うな。立村くん、自分で思ってるほど語学馬鹿じゃないよ。それで、立村くんはその話一通り聞いてどうしようと思ってるの?」
「俺が?」
逃げ場のない場所で問われると、答えるしかない。たとえ固まっていなくても。
「うん、このままうちの大学の英文科にしようと思ってたけど、もう少し別の学部も考えてみようかなってそのくらいはある。国文も選択範囲に入るかもな。もともと俺は清坂氏と反対で、文学をいろいろ深く追求したり書き手の考えを妄想したりとかそ
ういうのは好きな方だしさ。でも職業となると、今はまだ全然思いつかない。翻訳者とか、通訳とか、ものすごく偏ったイメージしかないからこれからの二年半はそれを探っていく時期になりそうな気がするんだ」
一気にしゃべり続けてしまった。
「立村くんがこうやってしゃべるの聞くのって久しぶり。けど、わかる、すっごく言いたいこと伝わってくるよ」
美里が満面の笑みで何度も頷いた。腰を屈めるようにしてオールを片方つかみ、
「ね、もう少し立村くんの話聞きたいから、私が漕ぐ。立村くん、向こうに回ってくれる? 私、ひたすら聞くから、どんどん話してほしいの」
漕ぎ手交代を提案してきた。




