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その二 高校一年夏休み八日目・立村上総の霧島真に振り回される日々(8)

 霧島が寝付いたわずかの時間を利用して、部屋を片付けたり居間を整えたりしているうちに四時過ぎとなった。徒歩で十五分程度なのでそろそろ起こした方がいいだろう。そう思いきや、

「先輩、どうもお世話になりました」

 気づかぬうちに身支度をした霧島が涼やかな顔して立っている。

「いや、たいしたこともできなかったけど。なら行こうか」

 言いかけて思い立つ。地下室に飛んでいって冷蔵庫から羊羹を箱ごとくすねる。これも母の話だとかなり高級な店のものらしいので、手土産には最適だろう。

「重たいけど、家族の人たちと分けてくれないかな」

「ありがとうございます。それにしてもずいぶんありますね」

「うちにはやたらといただきものばかりあるんだ」

 野郎友だちに土産なんてめったに持たせないのだが、今日はさすがに霧島家のみなさまの気遣いを考えると何もしないわけにはいかないだろう。靴を履いて、財布を確認しふたり連れ立って駅までの道を歩き始めた。帰りのために自転車を引き出した。見咎めて霧島が口を尖らせた。

「先輩だけなぜ自転車ですか」

「いや、やはり帰りは早く着きたいから」

「それじゃ、僕だけ不公平じゃないですか」

「不公平ったって」

 別に霧島をほったらかしにして駅に向かうわけではない。ちゃんと押していくつもりでいる。何が癇に障ったのだろう。機嫌取るため顔を覗き込む。

「二人乗りって方法だってあるのに、なぜそれをおっしゃっていただけないのですか」

「ちょっと待てよ。二人乗りってまずいだろ?」

 法律に触れるんじゃないだろうか。さすがにそれはまずい。いや、全くやっていないとは言えないけれども、品山で顔の割れているところでそれをするのはできれば避けたい。

「だってずるいですよそんなの」

 本日何度目かのため息かわからない。しかたない。裏道通っていこう。

「わかった。それなら乗れよ」

 

 なんとか駅まで着いて霧島を下ろした。幸い誰にも顔をあわせないですんだのと、いわゆる道路は走らずにきたのでぎりぎりセーフというところだろうか。

「どうもありがとうございます。まだ余裕ですね」

 時刻を確認すると、四時十七分。あと十分程度は待ちそうだ。人の少ない待合室に入ってまずは汗をぬぐう。

「なんか飲むか」

「コーラ飲みます」

 当然のごとくリクエストする霧島。もう何も考えずに缶コーヒーを一本自動販売機で買ってきた。おいしそうに飲んだ。いったい何杯飲んだというんだろう。

「うちではコーラとか飲めないんですよ」

 照れくさそうに霧島は笑った。

「親の方針で添加物の入った食べ物飲み物は一切禁止です。珈琲も表向きはカフェインが入っているから決して口にしてはならないと言われてます。そんなの知ったことじゃないですが」

「現実問題それってかなり、厳しそうだな」

「将来のためですから」

 霧島は膝に片手を置き、一気に飲み干した。

「僕があの店を継ぐにはたくさんのハードルがあります。とりあえず身内との戦いには勝ちましたが、僕自身がレベルを高めていかないとどうなることかわかりません」

「身内、か」

 姉との後継者争いのことだろう。頭脳明晰さも含めて考えれば、弟に軍配が上がるのも当然のような気は確かにする。

「それに、あの愚かな姉が誰か馬鹿な男をたらしこむ可能性もあります。たまたまそいつが家をのっとりにきてしまう可能性だってゼロではありません」

 ──難波、元気かな。

 全く関係なく、青大附属のシャーロック・ホームズを思い浮かべた。

「とにかく、僕は一瞬たりとも、気を抜くわけにはいかないのです」

「それなら将来は、青潟大学に進学するつもりなのか?」

 なんだかそれはもったいないような気がしてきた。どこか別の大学の、それこそ商学部か経済学部か、仕事に役立ちそうな学部を目指したほうがいいんじゃないだろうか。

「たぶん青潟大学に進学せざるを得ないでしょう。他の地域に出たらたぶん親が苦しむ羽目になります。ただできれば短期でもいいので留学はしたいですね」

 親の面倒を見るというのは確かに重たいことだろう。霧島家の事情を考えるとそれも仕方がないのかもしれない。

「立村先輩はどうなさるおつもりですか?」

「俺の頭だと他の大学は受け入れてもらえそうにないから、青潟大学の英文科を目指すつもりだけどどうなるかな。そこすら推薦もらえないかもしれない」

 現在の英語科ではなんとかトップを……例外一回あるが……保っている。ただし、大学推薦の基準が理数科目もかねてということであれば、厳しい現実が待ち構えていることは承知している。そのこともあって、明日、狩野先生に相談をしたかったのだ。

「将来のお仕事も考えてないのですか」

「そうだな、今はまだ、はっきりしたものはないよ。語学関係で何か仕事があればいいんだけどな。通訳とか、翻訳とか」

 将来の夢と問われて何も答えられなかった自分。どのような仕事につくか、そのこと自体があいまいだ。上総なりに自分の得意分野は把握できているけれども、その内容と仕事が結びつくかどうかも判断できない。とりあえずは英文科、ここまでの到着駅はよしとしてもそれ以上の路が見えずにいる。どんな駅が待ち構えているのか、予想がつかない。

「だから霧島はすごいと思うよ。もうこの時期に自分のすべき路を見極めているんだから。そのために目標たててきちんと勉強しているなんて、ふつういないよな」

「それが僕の義務ですから。そうしないといけません」

 缶コーラを空にして、ゴミ箱に捨てて霧島はまた上総の隣に腰掛けた。まだ日の暮れる気配はない。まだまだ遊んでいても怒られない時間帯のはずだった。

「先輩、明日はお忙しいと伺いましたが」

「そうだよ、用事あるし」

「あさっては?」

「わからないけど、自由研究とかそのあたりもあるしな」

 やんわりと制したつもりだった。

「霧島は夏休み、八月に入ってから講習とかあるだろ? それから生徒会関係の、ほら学校祭関係の準備とか」

「はい」、そうですね」 

 霧島はそれ以上しつこく迫ってこなかった。青潟行きの切符を買い、軽く角をはじいた。

「そろそろ参ります。本日はおもてなしいただきありがとうございました」

かすかに汽車のきしむ音が聞こえてきた。霧島は一礼した後、改札口に消えていった。


 西陽もまだ射さない空のもと、上総は自転車のペダルを強く踏み直した。徒歩なら十五分程度、自転車なら五分で自宅に着く。霧島が部屋で居眠りした間に部屋も片付け終わったので、とりあえずはゆっくりできる。

 鍵を開けてすぐ部屋の空気を入れ替え、冷蔵庫から氷を拾って口に放り込む。思いっきりかじると、水よりもすっと喉が冷えた。

 届いていた夕刊のチラシをテーブルの隅に寄せ、社会面からじっくりと読み込んだ。つい三十分前の霧島が運んできた喧騒が嘘のようだった。夏休みはたいてい、いつも静かなはずだった。

 ──今日は特に載ってないな。

 霧島と知り合ってから、新聞広告をさりげなくチェックするようにしていた。霧島呉服店の広告はでかでかと一面を埋めるほどではない。むしろ、週に一度程度、死亡広告の隣あたりに店名と電話番号だけ細く挟み込まれている目立たないものだ。結構青大附属関係者の関係している企業が掲載されることが多い。

 ──それにしてもあいつの生活、ほんと、大変なんだな。

 最初のうちは姉とのトラブルが一因かと想像していた。その後、生徒会関係のいざこざ、そして最近は「跡取息子」としての巨大なプレッシャー。上総には想像できないほどの重荷を背負っていると見た。今日だってそうだ。せっかく休みの日、合宿終了の次の日に、親同伴でお得意様との会食があると聞く。たぶん大人相手だろう。いくら後継者といっても上総相手の時のように言いたい放題なわけがない。きっときりりとしたスーツをまとい、品のいい貴公子面して物静かに微笑んでいるに違いない。大人をだますのは慣れっこにきまっている。クラスの連中とは浮き上がった関係だったとしても。

 

 あと十分で五時だ。上総は夕刊をチラシはさんでたたみ直しテーブルに置いた。父が帰ってきたらすぐに手に取りたがるから、こうやって放置しておく。母に見られたらどやされるんだがそこが男二人暮しの気楽さだった。立ち上がり、受話器を取った。忘れないうちに、できれば陽が落ちないうちにしておくべきことがある。

 手帳に書き込んだ電話番号をひとさし指でゆっくり押す。プルル音が流れるのを待つ。

 ──はい、杉本でございます。

「立村です、ええと、杉本か?」

 声だけですぐにわかる。杉本梨南の一本調子なささやき声が受話器の向こうから聞こえてきた。はっきりと、耳に届く。

「立村先輩、こんばんは。何か御用ですか?」

 全く感情の感じられない機械的な言い方で杉本は返事してくれた。

「私のいない間に何度もお電話をいただいたと母から伺っておりますが、急ぎの御用でしょうか?」

「急ぎじゃないけど、しばらく連絡取れなかったからどうしたのかなと思って、それだけだけど」

「お暇なのですね。その時間をもっと有意義にお使いになろうとはお考えではなかったのですか」

「いや、だから有意義なこととか思って、杉本に連絡してみたんだけど、まずいかな」

「相変わらず先輩は幼児化してらっしゃるのですね」

 きつい言葉ではあるけれども、いつもの杉本の調子だと確認が取れただけで十分だ。すぐに次の展開を急ぐ。

「あのさ、杉本、突然なんだけどあさって、一日暇か?」

 ──一応、空いております。

 飛びつくのは危険だ。まずは様子を伺うため別の質問を投げかける。

「塾の夏期講習とか、学校の講習とかは行かないのか?」

 青大附中でも公立入試のための準備を行わないわけがないだろう。そっと探りを入れてみる。杉本の口調は変わらなかった。

 ──はい。主に自宅で勉強いたします。ただ、この一週間ほどは友だちの勉強を手伝うため忙しくしておりました。

「それ何? 友だちの勉強って? もしかしてあの桜田さんと?」

 ──それもあります。ただ桜田さんは成績がよろしいので私が手伝うまでもありません。先入観で決めることは許されざることです。

 確かに。不良だからといって成績悪いとは限らないというわけだ。東堂にあとで半殺しにされるところだった。

「でも、それだったら何か予定でもあったのか?」

 ──はい、いろいろとございます。人に教えると自分のあいまいだった部分がよくわかります。非常に自分のためになります。友だちも大変喜んでくれます。青大附中の愚かな男子連中とは大違いです。感謝していただけるという、素晴らしい経験ができます。

 いや確かにそうなのだが、杉本にしてはずいぶん的をはずした返事をする。上総が知りたいのは、この一週間ほど連絡が入らなかったのはなぜなのか、なぜ、杉本は毎日出歩いていたのか、塾とか学校の講習でなければいったいどこにほっつきあるいていたのかという一点にある。

「誰に教えてたんだよ」

 ──立村先輩には関係ないことでございます。私には私のプライバシーがございます。それとできれば、東堂先輩にも同様のことをお伝えいただけると助かります。桜田さんは東堂先輩の所有物ではないとお伝えくださいませ!

 これはかなり、夏休み中東堂の奴、付きまといまくっているとみた。できれば上総も東堂に接触して、杉本たちが何をたくらんでいるのか確認したいところだ。

「わかったよ杉本。それなら聞かない代わりに教えてほしいんだけど、あさって本当に暇なら、青潟東高の下見に行くとかさ」

 口走った瞬間後悔した。杉本の反応が怖い。言葉を切って様子見するしかない。

 ──それはよいかもしれません。

 棒のような言葉が続いた。感情の揺らぎが微塵もない響きだった。 

 ──お付き合いいたします。それでは待ち合わせ、どちらにいたしましょうか。立村先輩が迷わないですむように、まずは駅前にいたしましょうか。

 しごくあっさりと夏の散歩予定は組み込まれた。手帳に書きこみながら上総は、霧島の持ち出した極秘情報の記憶をまずは封印することに決めた。

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