その十二 高校一年夏休み十八日目・立村上総の思わぬ三つ巴に巻き込まれる日々(2)
せっかくの休憩時間ということもあり、二階に上がって食事を共にすることにした。
「まあ、お似合いねえ」
などと冷やかされるがそれも気にならないのは、互いわかりあっていることだから。むしろ母の方がはらはらする様子で、
「上総、あんたなつめちゃんにでれでれするんじゃないの。もう、冷静に考えなさいよ。あんたと歳、一歳しか違わないんだから」
「わかってるよ、何あせってるんだか」
上総があっさり流して、それでも花森なつめの隣に座り、プラスチック漆器に盛り込まれた和風弁当に箸をつけてからも、母の視線はやたらときつかった。
「踊りも始めたんだね」
「そうです。三味線だけだといろいろ無理がありますし、少しずつ稽古はしているんですよ。本当は音楽だけの方がいいんですけどね」
話を聞いて見ると、花森なつめの事情は上総の想像していた内容とかなり異なっているようだった。てっきり芸者修行のため青大附中を退学し、地元の公立中学に進学し、そのあとは店デビューという流れだと思っていたのだが、
「そのつもりだったんです。私はもうやる気まんまんだったんですけどねえ」
「何か事情が変わったの」
「面倒くさいったらないんですよ。周りの人たちからこのまま中卒だと将来問題あるから、芸大に行くことも視野においてとにかく高校行きなさいってうるさいんですよ。私に今更高校受験するだけの根性あると思います? ないですよねえ」
「でも青大附中に合格したんだからそれなりには行けるんじゃないかな」
「よしてくださいよ、先輩。もう公立の中学ではなーんもやってませんから。周りの友だちにも、私は勉強の頭を青大附中にすっこーんと置いてここに来たんだって言っちゃったくらいですよね。まあ、青大附中よりもはるかに居心地いい環境ではありますけどね。同じような子もたくさんいるし、どっかの誰かみたいに成績いいからって勘違いして威張り腐る馬鹿男もいないし」
やはり、と思う。花森の性格を考えれば青大附中のカラーは明らかにそぐわなかったと思うし、自主退学という形で転校するのももちろん正しい判断だったと感じる。別の視点から上総は、できれば花森なつめにもう少し長く青大附中にいてほしいとは考えていたけれど、彼女の判断を否定することはできない。
「でもいまさらどうしろってんですかって言いたいですよねえ。私、もう参考書なんか捨てちゃいましたし。いくら公立高校の勉強しろったって無理っちゃ無理ですよ。定時制も考えましたけど、ほら、夜が勝負でしょ。無理です無理。先輩も、ほら、そう思いますよねえ」
「私立の推薦とかは」
「ああ、それもあります。私も成績がった落ちですのでやるならそこですよね。腐っても青大附中合格実績ありますから、いざとなったらそっちで私立単願するしかないかなあ。でもこの辺の私立って行きたいってとこないし」
いろいろと受験の話で盛り上がる中、上総は味付け玉子を口にしながら改めて花森なつめの横顔を観察した。去年の秋頃には本格的に花街デビューもという話と聞いてたが、いろいろ現実的な問題も露出してきたのだろう。詳しい事情はわからないけれど、せめて高卒、できれば芸大で勉強することを薦めるのは大人の判断としては正しいことなのかもしれない。
「ところで立村先輩、いろいろ噂聞いてますけどどうなんですか。卒業式に英語で答辞読まれたそうですね。私英語思いっきり落ちこぼれてますけど、よくそんなことできましたね。尊敬しちゃいますよ」
「ずいぶん昔のネタを出すよな」
杉本から聞いたのかと問い詰めたいが、すぐ隣のテーブルに母が先生たちと語り合っている様子が伺える。あえて控える。
「時辻さんが自慢げに話してましたからね。杉本さんのこと名前出して称えてたって聞いた時にはもう、しびれちゃいましたよ。さすが立村先輩、って。さぞあの馬鹿男子連中や能無し女子連中は悔しがったでしょうね。ざまあみろって言いたいですよ。その瞬間だけは青大附中生に戻りたくなりましたね」
「いや、花森さんが想像しているような展開じゃない」
残念ながら、と伝えざるを得ない。事実として半年前の卒業式で、確かに英語答辞は読んだ。得意分野だったので自分なりはやり遂げたし、いろいろ面倒な事情を片付けたくて小細工もした。杉本を称えた、というのもそのひとつには入る。しかし誰一人叩きのめしたわけではないし、いまだに杉本の立場は不安定なままだ。上総は相変わらず「伝説の出来損ない評議委員長」としてささやかれるのみだ。
「立村先輩は相変わらず謙虚ですね。謙虚って褒め言葉じゃないですよ。卑下、って言ったほうがいいかもしれません。もっと威張ったっていいんですよ。あんなわけわかんない言葉を暗誦してぺらぺらしゃべることできるって、貴重ですよ。うちにもお客さんでたまに来ますよ。外国人のみなさまが。こういう時、立村先輩がいれば楽だろうなあってついつい思っちゃいますし」
「語学が出来るからって、何もかも話が伝わるわけじゃないよ。俺は何にも知らないし、聞き取れることは聞き取れてもその意味を理解できているわけじゃない」
お吸い物も一緒にいただく。松茸の匂いがする。澄んでいる。
「ただ、杉本の意見があったから、自分なりに工夫はできたしやりたいことはできた。あの答辞で言えることはそれだけかな」
「杉本さんには直接聞いてませんけど、きっと喜んだと思いますよ。先輩、お礼は言われませんでしたか」
少しだけ考えた。口を紙ナフキンで拭く。
「言われたよ」
会場で、全観客の前で。
「それならそれでいいじゃないですか。杉本さんは形だけのお礼を言わない人です。嘘を言えない人です。それで答えが出てるじゃないですか」
「ところでさっき言ってた杉本のことって、何かな」
食事も一段落し、まだ舞台再開まで間もある中、上総は花森なつめに問いかけた。三味線をくるんできた風呂敷の結び目をはずし、糸をはじきつつ音の調子を整えている。
「母さんもまだ来てないし、終わったら終わったで手伝いしないといけないしで時間取れないかもしれないから、もしよければ聞かせてもらえると助かる」
「ああそうかも、じゃあさっさと聞いちゃいますね」
花森もすぐ納得し、上総の側に寄り添った。袖で口を隠すようにして耳元にささやきかける。
「杉本さんが青潟を出て別の女子高に進学するって噂、聞いたんですけど本当ですかそれ」
下げられた弁当を見送りながら、上総は花森wの顔をまじまじと見た。
また片手を肩に当てられ、ひそひそと。
「私、来週杉本さんに会うつもりなんですけど、本人は公立進学のつもりでいるんですよね。手紙でもずっとそういうこと書いてましたし。でも、周りから強く、すっごい山の中の女子寮に入れられるかもしれないって話、聞いてます。さすがに聞けないし、どうしようかなって思って、立村先輩ならもっと詳しいこと聞いているかなと思って」
大人びた風情の花森が、この時ばかりは寂しそうい俯いた。
「噂では聞いているけど、杉本からは何も」
「そうですか。ならやはり、あの学校のやりそうなことですね。裏でまた手を回そうとしてるんでしょうね。やだやだ、まったく」
「どこでそんな噂、流れてきたんだろうな。俺もたまたま知り合いからちらっと聞いたんだけどさ。あまりにも非現実な話だったんで本気にはしてなかったんだ」
「そうですよねえ、いくらなんでも『なずな女学院』なんて」
思わず顔を見合わせた。「なずな女学院」と確かに言ったから。
「今、なんて言った?」
「先輩の聞いた噂も、同じ名前の学校で、ってことですか」
頷いた。見つめ合った。ため息を吐いた。




