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その二 高校一年夏休み八日目・立村上総の霧島真に振り回される日々(7)

 霧島が上総の前では本能に準じた行動しかしないのは明白だった。

 部屋に入りまずやりだしたのは本棚いじりだった。世界文学全集なわけがない。

「先輩、本、これだけですか?」

「わかってる、ちょっと待ってろ」

 上総も完全にあきらめの境地にいる。こうなることを予想して引き出しの奥に袋詰めしておいた雑誌一式を出さざるを得ない。勝手に引き出しかき回されるよりましだし、なにしろ霧島の嗅覚は半端でなく強すぎる。隠しても無駄だろう。掘り出される前にこちらから用意する。もっとも、露骨にエロティックなものは避けたい。友達からまわしてもらったいわゆるグラビア雑誌程度にしておく。

 思った通り、霧島はベットの上に座り込み、膝を抱えてめくりだす。礼のひとつも言いやしない。五冊程度脇においてやると、一ページずつ丁寧に繰り出す。ちなみにその雑誌は、お姉さんたちのグラビアだけではなく、十代後半~二十代全般の男子向けに編集されているものらしく、下ネタだけではなくけっこうまじめな内容も掲載されている。言い訳ができる内容ではある。

 しばらく静かに読みふけっている霧島だが、ふと本を開きっぱなしにして問いかけてきた。

「立村先輩、いいですか」

「どうした」

「この年代しか写真ないんですか」

 絶句する。どれどれと覗き込んでみる。霧島が読みふけっている雑誌のグラビアには、二十歳前後のお姉さんが水着姿で横たわっている。ちゃんと着るものは着ている。

「どの年代ならいいんだよ」

「もう少し上の世代とかないんですか」

 ──そうだった、こいつの好みは断然年上なんだ。

 霧島と知り合うきっかけとなった例の写真集を思い浮かべれば想像はつく。こいつは究極の年増好みと見た。更科と顔つき合わせてやれば話が合うんじゃないだろうか。

「俺の好みじゃないからないよ、そんなの」

「こんな若い子なんてどこがいいんですか」

 あっけらかんと言ってのける霧島。人の好みに口出しする気はないが、お世辞にも人様にさらけ出せる趣味とは思えない。上総なりに無言で流すことにした。

「しかし不思議なものですね。先輩」

 しみじみとつぶやきながらページをめくり続けていく。

「この程度の品のない女性たちに興奮するとは、いかにみな見る目ないということでしょうか」

「見る目ったっていったいなんだよそれ」

 少なくとも、霧島のように佐賀はるみを盲目的崇拝する奴に言われたくはない。

「世の中には本物を知る者が少なすぎるということです。よく見てください。この女性はただ薄い布でもって自分の肉体を申し訳程度に隠し、下品に見せびらかしているに過ぎません。せめて僕としては、きちんと服をまとった状態で」

「紐で縛られているというわけか」

 さらっと言い返してやる。

「違います! 僕が言いたいのは、ただ生身をさらけ出してはしゃいでいる女子よりも、気品ある格好で色香を漂わせる女性こそ本物ということです!」

「そんな人いるのか?」

 上総からしたら霧島の趣味は到底理解しがたいものだった。そんな細かいこと考えずに使うだけ使えばいいだろうに、程度のものしかない。もっとも上総自身も好みはうるさいほうだと自覚はしていて、その手の本を手に入れるにはかなり吟味する。確かにそうなのだ、はしゃいでいるような水着グラビアはあまり好きではないし、どちかというと清楚で品のよい女性の方が……いや、それ以前にそういう人はあまりこういうグラビアに出てこないような気がするが。

「だから探さざるを得ないのです。今の時代はつまらぬものばかりです」

 古臭い言い方をしつつ、それでも霧島はじっくり読みふけっていた。


 こうやって集中して女性のグラビア写真をめくるなんて事、我が家ではきっと許されないのだろう。霧島の家庭事情を聞いていればだいたい想像はつく。部屋には何も隠せない環境下、せいぜいコンビニの立ち読みで飢えを満たすしかないし、過激な本を見たければ例のピンク書店に足を向ける程度だろう。

 ──十四歳、十三歳、どっちだろう。

 霧島の誕生日を確認してはいないが、どちらにしてもこういう本に興味が湧きすぎて困る時期だろう。自分の経験からしてもそれは感じる。ただ霧島の場合、クラスの男子たちとその手の話題で盛り上がったりとか、仲のよい友だちとこそこそしゃべったりとか、せめてひとりで思う存分妄想にひたったりとか、そういうことが簡単にできる環境にはいなさそうだ。せいぜい、上総の部屋で言いたい放題わめき散らす程度に過ぎない。

 ──ほんと俺は恵まれてたよな。本条先輩もいたし。

 人のことは言えないし、友だち……主に羽飛や南雲、評議男子連中……とその手の話が自然に持ち出せるようになったのもつい最近になってからだ。ただ上総の場合は本条先輩がいて、自分自身が興味ない振りしていてもすぐにフォローに回ってくれた。当時は気づかなかったけれども、本条先輩からしたら丸見えだったのだろう。今、霧島を見ている時のように。

 上総は黙って手帳を取り出した。とりあえずは明日、本条先輩に会って霧島のことを相談してみよう。本条先輩も霧島ゆいを知っているしその弟キリオとしての情報も把握しているはずだ。もう少し、自分自身霧島のために何かできることがあるかどうかを探ってみたかった。こうやってグラビア雑誌をえさ代わりにやっているだけではなくて。


 いきなり電話が鳴り響いた。居間の窓も開け放していたので外からも響く。

「誰だろうな」

 一声かけて居間に戻り、まずは受話器を取った。母の可能性が多分にある。

「はい、立村です」

「……霧島です」

 かすかに甘い響きがする。女子の声であることには変わりなし。ただ上総の記憶するその女子とはうまく重ならなかった。力がほんの少し、弱まっているようだった。

「霧島さん?」

 同じ苗字でありながら、呼び捨てと「さん」付けとでは大きな違いがある。上総は小声で答え、居間の戸を閉めた。窓も閉めたいが手が届かない。

 ──霧島さんか、どうしたんだろう?


 姉の霧島ゆいとは評議委員会で三年間一緒だった。人呼んで「C組の美少女アマゾネス」とささやかれてきた女傑だが、諸事情で青大附高への推薦を受けることなく、可南女子高校に進学した人だった。弟からは「最低女、いつでも下着を平気で脱ぐ女」などと聞くも耐えがたい罵倒を受けているがこれは立場からすると仕方ないことかもしれない。もともと子どもの頃犯罪に巻き込まれ、そのことの後遺症が響いて現在にいたるとも聞く。もっとも上総はそのことを美里や難波から聞いたことでしか把握していない。弟の霧島から聞いた限りでは一方的な恨みつらみの羅列なので、話半分に流している内容だ。

「お久しぶりね、立村くん」

「こちらこそ、元気だった?」

 もともと一対一で話す機会のない女子ではある。もちろん同期の評議女子なのでそれなりの会話は成り立っていたけれど、話す際にはいつも美里がいたし、他の男子連中も混じっていた。連絡するのもすべて美里に任せていた。電話線一本でつながるのはやはり、電波がぴりぴりして落ち着かない。

 霧島ゆいの口調は、青大附中にいた時とは異なり、ほんの少し柔らかだった。

「うちの弟が行ってるって聞いたけど、今いる?」

「いるよ」

「側に、いる?」

「いや、部屋にいるから話は聞かれてないよ」

 なぜ回りくどい返事をしてしまったのか、実は自分でもよくわからない。

「そう、なら伝えてもらえない?」

「いいけど何を」

「今日の六時にお得意様と食事するから、五時までにうちに戻りなさいって。それだけ言ってもらえたらあいつわかるはずだから」

「わかった、いいよ、伝えておくよ」

 今はちょうど三時過ぎ。そろそろ追い出さねばなるまい。品山駅から出る汽車は確か四時二十五分発の青潟駅行きだとちょうどよさそうだ。

「ありがと。それと、この前美里から聞いたけど」

 やはり静かな口調で霧島は言葉をつないだ。

「うちの弟のこと、いったいなんで興味もったの? 美里も不思議がってたけど」

「いや、なんとなく。けど霧島さんのこと陰口言ったりはしてないから、それは大丈夫」

「無理しなくていいのにね」

 やはり、卒業してからの霧島ゆいの様子には違和感がある。アマゾネスである以上、クラスの女子たちを守るために過激に叫び、いざという時には身体を張って戦おうとする姿が強烈だった人なのに。青大附属から可南に旅立ってからはいろいろ思うこともあったのかもしれない。弟が全く気づかぬ間に、彼女なりの道をたどっているのだろう。

「一応伝えておくけど、うちの弟が男子の友だちのうちに遊びに行くなんてこと、今までめったになかったことなの。ずっと大人の世界ばかり見てきたガキだから、失礼なことしでかしてるんじゃないかって思うけど、今のうちに謝っておくわ。ごめんなさい」 

 ──やっぱりわかってるじゃないか。

 もちろんそんなことは口に出さず上総は答えた。

「そんなことないよ。中学二年にしては将来の意識高すぎるよな」

「うちの母も、最近立村くんがあいつのことを気にかけてくれていると知って喜んでるわよ。真が友だちを作ろうとするなんて信じられないって。大丈夫よ、私も立村くんのこと全く知らないわけじゃないし、それなりにいいように言ってあるから。そうそう、お土産役立った?」

 笑いを含んだ声で霧島ゆいはささやいた。

「土産って、ああ、昼ごはんのパスタセットか。ありがとう、全部ふたりで食べたよ。びっくりしたけど」

 小声でくすりと笑う声。もうかつてのアマゾネスの気配はなし。

「前、美里から聞いたことがあるのよ。二年のクリスマスに立村くんのうちにおよばれして、豪華なご飯でもてなされたって。しかも全部立村くんが作ってくれたらしいって」

「そんなことあったなそう言えば」

 かすかな記憶。まだ美里と付き合いが深まろうとした頃のほのかな思い出。その後の父による不要な留めには蓋をしておきたい。

「それなら、変に外で食事してお金使うよりも、うちでおいしく作ってもらったほうがいいんじゃないって母に言っておいたのよ。母は真が外で何かするんでないかって心配でならないから。それなら役立ったのね」

「うん、ありがとう。豪華なランチになったんじゃないかな」

 思わず微笑みが溢れる。そうか、あれは姉の思いやりだったというわけか。霧島自身は気づいてないだろうが、家族はそれなりにあいつのことを見守っているというわけだ。

「それじゃ、さっきのことだけど伝えておくよ」

「うん、それと」

 また静かな、深い声で霧島ゆいの声が、電話奥で響いた。

「杉本さんのことも、どうかよろしくね」

 ことりと電話の切れる音がした。


 ──あれがあの、霧島さんだろうか?

 すぐに部屋へ戻り、「お前早く帰る準備しろ」とか言って霧島の尻を叩かねばならないはずだ。ただどうしても頭が働かない。なぜ、霧島ゆいは穏やかに微笑んでいるのだろう。きんきんとうるさいほど叫びちらし、男女平等を激しく訴えていた姿とは違う。

 上総はソファーに座った。ほんの少しだけ休みたかった。

 ──いや、可南に進学決まってから、ずっとああだったかもしれない。

 自分には一切価値がなくなってしまった、この世に存在する価値などない。何度も彼女は「価値」がほしいと訴えていた。青大附高に、たとえ生徒でなくてもいいから残してほしいと殿池先生にぶつけていた。学業不振というまっとうな理由により霧島ゆいは、いわゆる「女子刑務所」とささやかれるような底辺私立女子高校に進学せざるを得なかった。美里たちは今でもそうなった彼女のことを思いやりため息をついている。

 ──でも、残酷なようだけど、彼女が打ちのめされてから始めて霧島さんのよさを認識した奴らも、たくさんいたな。

 上総は決して口には出さない。ただ、がむしゃらに男子たちとぶつかり合い戦い続けている姿よりも、おとなしくうなだれてE組で杉本を囲み語らっている姿の方が何千倍も美しいと見る者の方が断然多い、それが現実だ。

 ──霧島さんは、すべての戦いに敗北してから、初めて男子たちから認められた人なのかもしれない。最初からこうやって静かに、ぶつからずに過ごしていれば、もっとたくさんのものを得られたかもしれない人だったのかもな。

 電話ごしで語らった霧島ゆいとのひとときは、今まで彼女に感じたことのない不思議な安らぎが含まれていた。それがどういう成分なのか、上総には全く見当がつかなかった。


「霧島、お前いったい何してるんだ?」

 たぶん部屋の中はとんでもないことになっているだろうと思っていた。本棚はかき回され、へたしたら引き出しの中もひっぱりだされているんではないかと最悪のパターンも頭の中には残っていた。そのパターンから考えれば、ベットの上で完全にくつろぎきって、カセットテープを引っ張り出してラジカセで聞いている姿はまだましだ。

「人のテープを持ち出すなよ。だいぶ伸びているのもあるんだからさ」

「先輩はもっとロックとかパンクとかそういうのは聴かないんですか。全然ないですね」

「ないわけじゃないよ。海外の放送局で録音しているものは結構あるし。ただあまりうるさい曲が苦手なだけなんだ」

 南雲とよく「全米チャート」「全英チャート」からはじまり「全独」「全伊」「全仏」といった風に海外のベストチャート楽曲を録音してやりとりするのもしょっちゅうだ。面倒なのでそれは言わないでおいた。

「イージーリスニングがほとんどなんですね。なんか個性がないというか」

「悪かったな。だったら早くしまえよ」

「何本か借りてっていいですか」

 ほしいのがあれば持って行けばいい。許可は頷いて出し、上総は霧島にまずは呼びかけることにした。

「さっきお前の姉さんから電話があったよ」

「あの存在価値のない女からですか」

「その言い方よせ。六時からお得意様と食事するから、五時までに戻れとのご通達だから、品山発十六時二十五分の汽車に間に合うよう準備しろよ」

「まだ一時間ちょっとありますね。十分間に合います」

 グラビア雑誌は一冊しか手をつけていなかったらしい。霧島はラジカセに一本カセットテープを押し込み、我が物顔で再生ボタンを押した。流れてくるのは霧島曰く「個性のないイージーリスニング」楽曲で、偶然にも上総の一番好きなメロディだった。

 真顔で一瞬天井を見上げ、また霧島は目を閉じつぶやいた。

「先輩、ちょっとだけ寝させてください。時間がきたら起きます」



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