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その二 高校一年夏休み八日目・立村上総の霧島真に振り回される日々(6)

 麦茶の消費も激しくなり、とうとう上総はラムネをもう一本出す羽目になった。いったい今日、霧島の奴どのくらい水分取っているんだろう。下手したら飲みつくされるんじゃないだろうか。もっとも話の内容はだいぶ色事ネタから離れてきたので上総も少しほっとしていた。延々とクラス女子のレベルの低さと醜さなどを論じられてはたまったものではない。前回たっぷりきかされたのだからもうおなか一杯だ。

「それはそうと、お前の担任誰だったっけ」

 何気ないが実は確認していなかった情報を探りに行く。

「絹先生でしたがたぶん二学期からは別の先生になるでしょう」

「え、そうなのか?」

「ご存知ないのですか立村先輩」

「知らないよ。第一絹先生って四月に転勤してきた先生だろ?」

 上総が尋ね返す。ちょうど入れ替わりらしいが詳細は不明だ。

「はい、ただ諸事情でまた休職なさるそうです」

「休職ったって早いな。身体でも壊したのかな」

「いろいろあるということでしょう。少なくとも僕のクラスメイトたちは先生をいじめたりなんなりはしなかったはずです。生徒会副会長を擁するクラスなんですから当然ですが」

「それ自分で言うなよ」

 さすがにこのくらいは突っ込んでいいだろう。霧島は動じず静かにラムネを飲んだ。ちゃんと瓶ののどもとに玉を落として上手に飲んでいる。

「でもそうか、次の担任誰になるんだろうな。さすがに休職とでもなったら、誰か入らなくちゃならないだろうし」

「そうですね。一応僕なりに情報は把握しておりますが」

「次の担任を、か?」

 早いものだ。生徒会、評議委員会ともに情報は迅速に流れてくるものではあるけれど。生徒会合宿の際にでも仕入れたのだろうか。

「はい。今のところ、話によると担任から離れてらっしゃる狩野先生が有力とも伺ってます」

 ──狩野先生が?

 少し戸惑う。上総もラムネで自分の口をふさぐ。

「そうか、俺たちの代でA組三年間持ってたもんな。本当は担任外れる予定だったんだな。知らなかったよ」

 卒業してから数回、狩野先生と話す機会はあったけれども、詳しい話を聞いているわけではなかった。自分の相談ばかりだったので相手のことを気遣わなかった自分が情けない。

「となると、二学期から正式に担任となるわけか」

「おそらくは。絹先生が復職すればまた状況は変わるかもしれませんが、無理なような気がします」

 いろいろな事情があるのだろう。霧島にもう少し突っ込んで聞けば詳しい話が聞き出せるのかもしれないが、あえてそれはしたくなかった。

「そうなんだな。でも狩野先生はいい先生だよ。きっとよくしてくれると思う」

「僕には想像つきませんが」

 霧島は声を潜めた。

「数学の教え方は非常にわかりやすいと聞いたことがあります。古川先輩や難波先輩にも」

「ああ、俺もそう思う。初めて因数分解理解できるようになったし」

 冷ややかな視線が飛んでくる。悪かったな、学年トップの秀才様。

「ひとつひとつ、丁寧に説明してくれるんだ。小学生でもわかるだろうってこと、聞いても馬鹿にしないで教えてもらえるから助かるよ。あの先生のおかげで俺は数学あれ以上落とさないで卒業できたようなもんだし」

 大げさではない。上総が数学を人並みとまではいかなくとも、小学生高学年程度の内容をなんとなく……完璧にではない……把握できるようになったのはひとえに狩野先生のおかげだ。

「ただ、いろいろよくないお噂は耳にしますね」

「たとえば?」

 全く思いつかない。霧島は顎をガラステーブルにくっつけて、にらむように上総を見た。子どもじゃないんだからとはたきたくなる。

「まず、西月先輩に対する処置です。あの件については僕の姉も関係者でしたしある程度の事情は把握しております。ある意味西月先輩はうちの姉のとばっちりを受けたとも言えます。もちろん傘を振り回して近江先輩を叩きのめそうとしたことは決して褒められたことではないのですが、ただあの件についてはどうでしょうか」

「これ、お前から聞いていい内容なのかな。もし事情が事情ならこれ以上聞かないけど」

 気にはなっている。ただしあまりにも近い関係者だし口いは出さないよう控えてはいた。

「いえ、もう公になってもよいことでしょう。つまり、狩野先生は義理の妹でらっしゃる近江先輩を守るために公私の分別なく西月先輩を退学同然の転校扱いにしたわけですから」

 ──やはりそうなのか。

 義理の妹が傷害事件の被害者になりかけたからといって、一方的に教え子を転校させるというのは正直考えづらい。似たようなことを天羽も話していたが、それが事実なのかと考えると首をひねるところもある。ただ、霧島がそう判断しているということはその見方がかなりの層に広がっていると見ていいのだろう。上総はそれでもいいと思う。もうすでに西月小春は神乃世という町に、片岡の実家に静かに住まっていると聞く。少なくとも不幸ではないと信じたい。

「たまたま『迷路道』の社長と殿池先生の迅速な行動により、狩野先生のしたたかな行動は隠されたわけですが、これから先このようなことが続いたらどうなるというんでしょうか。少なくとも僕は、胡散臭さを感じずにはいられません」

「確かにな」

 霧島がこくこくラムネを飲み干しているのを見ながら、上総は頬杖をガラステーブルの上でついた。明日、狩野先生には会う予定だ。青大附中のかつてのE組教室にて挨拶するつもりだ。メインゲストが本条先輩であることは上総の中で絶対だけども、狩野先生にはまた別の意味で話を聞いてもらいたいことがいくつかある。卒業後に学校外でじっくり話をしたことがないわけではないのだが、状況がだいぶ変わってきているのもまた事実だ。本条先輩にはさすがに、数学の今後の補習でげんなりしているなんてことを言えはしない。

「それに、これも噂ですが」

 上総以外誰もいないっていうのに、さらに秘密めかしてささやきかける霧島。

「他の先生たちとも狩野先生はあまり折り合いがよくないとか聞きます。職員旅行とか、その他いろいろなイベントなどで狩野先生は一歩引いた態度を崩さず、積極的に他の先生たちと接しようとしないというような話も伺います。特に、菱本先生とは犬猿とまでは申しませんが」

 テーブルを拳で思わず叩いた。喝采だ。ブラボーだ。大向こうかけてやりたい。

「さすがだ! 見る目あるよ!」

「立村先輩……?」

 きょとっとした目で霧島は上総を見やった。驚いているのだろうが知ったことじゃない。上総は立ち上がった。ラムネ瓶を持ったまま霧島に呼びかけた。

「ああ、霧島、もう二学期は安心しなさい。大丈夫、狩野先生だったらまっとうなクラスになるに決まってるからさ! いいよあの先生。しつこく話しかけてこないし、聞きたいことには静かに答えてくれるし、何よりもうっとおしい情熱ぶつけて絶叫したり、しつこく心を開けとか騒がないし、お前の大好きなだれだれだとか、お前の女房はいい女だとか、中学生に対して言うべきじゃないことを延々とわめきちらしたりしない人だから! わかるか霧島、そうされないで静かに過ごせることがどれだけありがたいかって。よかったな、ほんと。いい先生にあたったよな」

「立村先輩、それ、されたんですか?」

「ああ、あの野郎にな」

 当然、目指す先は、カンガルーのふくろに赤ちゃん詰込んでにやにやしているあの男に向くわけだ。ファミリーレストランでやたらと噛み切れないステーキをご馳走になり、余計な裏話を開かされたりなんぞして、拳骨を握り締めたまま下ろす先に迷った記憶を忘れてはいないのだ。

「それ、先輩、誰ですか」

「狩野先生とおない歳で、しかも俺の三年間担任だったっていうあいつだよ!」

 窓に向かって吐き捨てた。品山からいくら怒鳴っても奴には聞こえないのが幸いだ。ざまあみろ。


 われを忘れかけたのはさすがにみっともない。もう一度じゅうたんに座り込み、ラムネをまた一口飲んだ。だいぶぬるくなっている。すでに時計は二時半を回っている。昼下がりという奴だ。たらたらしゃべっているだけでも時間は自然と経ち、退屈もせずにすむ。霧島の様子を時々伺うが、飽きている様子もなく、時々威張り、時々べそかきながらそれでも上総の隣に陣取ってしゃべり続けている。

「あのさ、霧島」

 何度か問いかけた言葉をもう一度投げた。

「なんですか、先輩?」

「学校ではさ、誰と遊ぶこと多い? 例えばクラスの連中とか、それから小学校の時の友だちとか」

「僕はほとんど、生徒会室におりますのでクラスの連中とはあまり話をすることがございません」

 きりりと言い切る。予想はしていた。クラス連中からもお断りだろう、こんな高飛車でかつ勘違いしたプライドの持ち主は。第二のだれだれじゃないかとひそかに心配していたのだが、本人は意にも介せずといった風情だ。

「それなら生徒会役員同士か?」

「まさかそんなことはありません。馴れ合いは嫌いです」

 ──じゃあ今何してるんだよ。

 隣で足をだらんと伸ばして。頭をソファーの座席にもたれて、だらだらしゃべっているこいつが。

「じゃあ、放課後は」

「生徒会室にいずっぱりです。そうでなければ父について家業の修行でしょうか」

「修行?」

 呉服屋の跡取りとしてどういうことをするんだろうか。興味はある。霧島は上総にあどけなく笑いかけた。たまにこういう子どもっぽいかわいいところを見せることがある。

「そうです。もちろん勉強優先ではありますが、お得意様のお宅に反物を運ぶなど男手として手伝いに行くこともありますし、夜いらっしゃるお客様の接客を隣の部屋で聞いていることもあります」

「隣の部屋で聞くってどういうこと? 盗み聞きじゃないだろうし」

「厳密に言いますとそれに近いことですね」

 霧島は悪びれず答えた。

「いわゆる店での接客とは違いますが、お客様が自宅の客間にいらっしゃって、両親と語らっていることがあります。もちろん僕は自室におりますが、実はその部屋が居間に直でつながっている場所なのです」

「客間につながっているって、例えば襖で区切られているとかそういう感じか?」

「はい、客間は洋室ですが、ちょうど六畳の和室が僕の部屋になり、襖で仕切られています。いやおうなしにお客様と両親の会話が聞こえてきます」

「それってちょっと、かなりプライバシースペースきついんじゃないか?」

 上総なりに部屋のイメージを膨らませてみる。指先でまず霧島邸の客間をこしらえてみる。次にその隣、襖で仕切られた霧島自身の部屋。襖だとまず物音ははっきりくっきり聞こえるだろうし、互いの物音も気にかかるだろう。

「そうです。僕が中学二年の四月より両親の指示でそこで寝起きすることになりました」

 まあ、六畳の部屋なのだから狭くはないだろう。しかし、客間が隣というのは、結構神経使うのではないだろうか。

「僕はテレビもラジオも見たり聞いたりしませんし、することといえば勉強か本を読むかのどちらかです。ただ、お客様がいらした時にはできるだけその会話を聞いて様子を伺うようにと両親より言いつかっております」

「盗み聞き、ってことかそれが」

「はい。僕なりに耳学問しなくてはということです。将来のためにも。それに」

 霧島は仰向けになり天井を見上げた。小声で「あ、でかいシャンデリア」とつぶやき、話を続けた。

「何かがあると僕を呼び出して、ご挨拶するようにと言われることも多々あります。そのこともあるのであまりふざけた格好はできません。制服を脱ぐのは寝るときですね」

 ──で、普段着があれか。

「そうか、お客さまって帰るのは何時頃?」

「夜十二時過ぎのこともありますがたいていは九時頃ですね」

「その間、ずっと正座して、襖越しに耳済ませているわけなんだな。想像するとかなり大変だよな。察するよ」

「まあ、確かに、自由になる時間は少ないですね。もっとも僕も友だちを呼んでしゃべるわけではないですし、部屋にいてもすることないですし、それは仕方ないことかもしれません」

「お客様が帰った後だけど、さすがにそこから先はプライベートタイム過ごせるだろ」

「はい、両親が二階に上がって休めば、あとは僕がこっそり部屋から抜け出しても気づかれることはありません。服を着替えて目立たない格好で窓から抜け出すことくらい簡単です。慣れてます」

 ──だからあんな格好いつもしてたのか。

 上総は霧島を横目で見た。思わず目が合った。なぜか笑みを交わしたくなった。


 霧島の家庭事情をぺらぺら聞かされているうちは、

 ──霧島さんもこんな弟いたら気、休まらないだろうにな。

 いろいろと同情していたものだった。しかし、訴えるわけでもない日常の一こまを拾い上げていくうちに、それなりの輪郭が浮かび上がるのを見た。

 ──自分の部屋が襖一枚で仕切られいていて、しかもいつでも公開して大丈夫な状態にしておかねばならないということか。

 いつお呼び出しが来るかわからない緊張感のもと、青大附中の制服を着たまま過ごす霧島。もちろんひとりでベッドかふとんかどちらかにねっころがるわけにも行かない。将来の自分の仕事を膨らませるために日々、耳を済ませるのみ。夜中に客人が帰った後、こっそり羽を伸ばしに真夜中の街に繰り出す。ジーンズとトレーナー、今の時期であればよれよれのシャツで外に出て、こっそりピンクチラシの店に潜ってエロ本を楽しむ。

「あのさ、霧島。外に出るったって、いわゆるディスコとかそういうとこに行くわけじゃないだろ」

「行くわけありません。補導されたらどうするんですか。せいぜいコンビニで食べるもの買ったり、雑誌読んだり、その程度です。群れるのは嫌いです」

 やはりそこのところはまじめだ。南雲とは違う。上総は霧島の仰向けにした顔を覗き込み深くため息を吐いた。やれやれ気分ではない、別のものがふっともれた。


 ──だからあの本を持って帰れなかったんだな。

 霧島呉服店の跡継ぎとして、日々強く意識を持って自分の行動を制している霧島。

 かつて姉のゆいが激しく「私だってちゃんと跡継ぎになれるのに弟ばっかり評価してひどい!」とか叫んでいたが、かえって彼女の場合はそれでよかったのかもしれない。学校ではひとりぼっち、生徒会でも仲良しを作ることなくただひたすら自分を貫くのみ。女子たちからの憧れ視線すらも「おろかな女子」として切り捨てている。

 それもすべては将来の自分のため。そう割り切っている。

 霧島なりに総領息子なりの意地もあるのだろう。姉に対する過去からの怒りも混じっているのだろう。ただ、話を聞いている限り自由はかなりの部分制限されているように見える。

 ──部屋にあの、縛られたお姉さんの写真集なんてあろうもんならどうなってしまうんだろうな。

 いつでも客間から見られる襖一枚の部屋には、いわゆる写真集なんて隠すことも難しいだろう。霧島が前話してくれた内容によると、部屋はいつも母親が掃除してくれると聞く。それもかなり、引き出しやら箪笥やらすべてと聞く。隠し場所にも不便しているんじゃないだろうか。出来のよすぎる息子が、ひそかにあんな激しい写真に興味津々と知ったら、霧島の母はどういう反応を示すだろうか。ただでさえかなりのマザコンと噂されている霧島だ、母も溺愛する息子の闇の部分など知りたくもないだろう。

 ──先輩のうちに遊びに行くなら、って材料一セット用意する親だからな、霧島の家は。

 家で本性を出さず、両親の求める賢い跡取息子として過ごし、夜中だけだらだらした格好でコンビニに繰り出すのが関の山。しかも派手な街に行く度胸も実はない。

 ──俺もかなり変わった家庭で育っているって言われているけど、霧島ほどではないな。少なくともひとりで写真集見る分には不便ないし、母さんに部屋かき回されることもあるけど基本的には隠せるし。ひとりでいる時に邪魔されることは、あんまりないしな。

 

「霧島、俺の部屋来るか?」

 勢いつけて立ち上がり、上総は霧島に尋ねた。ぼんやりした顔で霧島は上総の顔を見上げた。

「え、先輩の部屋ですか?」

「そう。もしかしたらうちの親が来るかもしれないし、ここで散らかしているより落ち着くだろうし。飲み物は持ってくよ」

 言い終わる前に霧島は飛び上がり、上総をあっさり追い越して目的地へまっしぐら、走りぬけた。すでに上総の部屋がどこにあるかはよく覚えているらしい。もちろん何も持っていこうとはしなかった。ガラステーブルのグラスをシンクに運び、軽く洗ってふき取った後、本日何本目か忘れたラムネ瓶を持っていくことにした。

 ──もう時間も時間だし、好き勝手させてやるか。

 午後二時半。そろそろ下ネタが混じってもぎりぎり許せる時間帯に突入だ。

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