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その八 高校一年夏休み十四日目・立村上総の跳ね返される日々(4)

 自分の分だけチャーハンを作って夕飯を済ませ、風呂もさっさと入って、部屋に篭った。電話は鳴らず、網戸をあけたままベットに横たわった。明日が夏休み最後の講習日だしさっさと寝るが勝ちだ。FM放送のエアチェック時間を確認し、テープをセットした。一時間分丸ごとノンストップなので、一旦録音を始めてしまえばあとは放置しておけばいい。本を読みながらごろごろしていた。

 ──絶対に今回に限っては、俺はちっとも悪くないからな。

 父が帰ってきて妙なことを言い出すようだったらその点ははっきりさせるつもりだった。何が「子どもの来るところではない」だ。そんなこと入り口には一言も書いてないだろうに。そりゃあ、六時以降パブタイムというのは知っていたからその前に引き上げるつもりでいた。頼んだものだってせいぜいコーヒーかコーラくらい。別に未成年だからといって禁じられたことをしたわけじゃない。

 ──なんで俺があんなこと言われなくちゃなんないんだよ。気まずいのはわかるよ。仕事中に家族と会ったら面倒くさいというのは俺もいやってほど身に染みてるから。けどまったく関係ないところで、あんな冷たい顔でさっさと帰れなんて命令されるなんて、絶対妙だよ。俺の方が迷惑だよ。友だちと一緒に来ていたのに、ひとりだけさっさと帰らなくちゃいけなかったんで義理だって欠かしてしまったようなものだし。人前だから何にも言わないでおいたけど、冗談じゃない、こっちだって納得いかないことには反発する権利あるよな。いくらなんでも親だって。


 麦茶が切れたのでお湯を沸かし、専用のポットに氷を詰込み一気に注ぎ込んだ。まだまだぬるいが、冷やしながら飲まなくてもいいくらいの温度には下がっていた。外で聞きなれたエンジンの音が聞こえる。急いで麦茶の入ったポットごと部屋に持っていくことにする。今夜は少し熱帯夜っぽさが復活しそうな湿気あり。水分補給には余念がない。部屋の戸を閉じると同時に玄関が開く気配がした。

 ──十時か。

 早くもなく遅くもなく、いつも通り。仕事のある平日のパターン。いつもなら上総も電話の前でだらだらしたり、飲み物飲んだりしていることもあるのだが今日はあえて部屋に篭った。挨拶なんてしたくもない。

 特に呼びかけられることもない。向こうだって気まずいだろう。息子に仕事邪魔されたとでも思っているんじゃないだろうか。冗談じゃない、余計な話なんてしたくもないわけだ。しばらくヘッドホンをつけて、録音中のFMラジオで流れる洋楽に耳を傾けた。上総好みではないけれど、南雲に前の日進められたミュージシャンの新曲だった。

 ノックなしに部屋の戸が開いた。飛び起きた。

「ノックくらいしろよな」

「いや、したんだが気づいてなかったみたいなんで失礼。悪いんだがそこのポット、もらっていっていいか? 喉がからからなんだ」

 しまったしくじった。父が上総の部屋に押し入ってくる正当な理由を認めざるを得ない。枕元のサイドテーブルに置いたままにしてある麦茶ポットは、今一本しかなかった。父もほしがるのは当然のこと。もう少したくさんの量こしらえておけばよかったと悔いるも後の祭りだ。

「持ってけば」

「ああ、カップも持ってきたんでここで一杯飲むよ」

 ──正気かよこの人。

 どうでもいいがやはり上総にとって父も母も普通の感覚ではない。さっさと麦茶ポット持って居間でも書斎でもどこでも行って、ごくごく飲み干せばいいのにと思う。父は上総の勉強机から椅子を引き出し、悠々と座った。かすかにアルコールの匂いがする、ということはどこかで一杯引っ掛けてきたのだろう。酔っ払いは好きじゃない。もっとも見た感じ酔いはすっかりさめているようだ。

 上総は背を向けてもう一度ベッドにもぐりこんだ。

「明日、学校早いから先に寝る」

「まだ十時過ぎだろ。いつも夜更かししてるくせにどういう風の吹き回しだ?」

 からかうように上総の側に、椅子ごと近づいてくる。枕元で顔を覗き込んだ。のんびりした口調で上総の肩を毛布の上から叩き、

「ほら、起きろ、そうすねるな」

 いつもの穏やかな父の表情で促した。


 仕方なく起き上がる。親に対する礼儀として割り切る。父と顔を合わせ、すぐ目を逸らす。何言われるかわからない。自分はちっとも悪くない、これだけは譲らない。

「しかし、なんであんなところに来たんだ? 高校生が来るような場所じゃないだろうに」

 笑いを含ませたような口調で父は問いかけた。顔を見ていないのでどういう表情かは分からない。何にも悪くないのになぜ自分がいじいじしていなくてはならないのかわからない。

「別に、学生入店禁止とか書いてなかったけど。昼間だからパブタイムにもかからないと思う。頼んだのはコーヒーだし。友だちも一緒だし」

「いやそういう意味じゃない。お父さんが聞きたいのは、なんでああいう『ファビアン』のようなところをわざわざ選んだのかが不思議なだけなんだ」

「たいしたことじゃない。友だちが用事あったってだけ」

 短く、冷ややかに答えたつもりでいるが、父の口調はまったく変わらない。なんだったのだろうあの場での冷たい言い方は。普段どおりに話をしてくれれば、こちらだって何か事情があるのだろうと判断して気持ちよく出て行っただろうに、理由もなくわけのわからないこと言われたら、頭に来ない方がおかしい。

「そうか、二人いたな。学校の友だち、か?」

「あたりまえだろ」

 横を向いた。用があるならさっさと言いたいこと言って出て行ってほしい。

「ふたり、お前を置いて後ろの集団と混じっていたが、それが理由か?」

「俺とは関係ないよ。ひとりがどうしてもあのグループの中の人とお近づきになりたいって言い張ったから付き合いでついてきただけだって。父さんだってわかってるだろ。俺がひとりでこんな複雑な道を通ってたどり着けるわけないって!」

 目は伏せたまま小声で吐き出してやる。父は何も言わない。

「なんだよ、なんで俺だけこんな責められなくちゃいけないんだよ。別に校則違反したわけでもないのに、なんであんな言い方されなくちゃなんないんだよ。知らない振りしてほしければ最初からそのつもりでいたけど、あんなこと」

「上総、よく聞きなさい」

 父が遮った。肩に手を置き、何度か軽く叩いた。

「言い方が悪かったのなら謝るよ。ただ、お父さんが言いたかったのはそういう意味じゃないんだ。今から説明するから、一通り聞いてもらえないかな。その上で納得いかないなら改めて答えるから、いいか?」

 横目で見やると、静かに微笑みを浮かべる父がいた。自分と全体的にそっくりな姿だけに、もし羽飛あたりが気づいていたら親子だと見抜いていたかもしれない。


「まず、あの場所、つまり『ファビアン』はお前の言う通り年齢制限のかかった喫茶ではない。それは正しいよ。ただ足を踏み入れた時そこにいた客層を見て、上総、お前はどう感じた?」

 普通に話してくれるのならば、上総も自然に答えるしかない。

「学生向きの店じゃない、なとは思った」

「そうか、やはりそこは理解してたんだな」

 こくこく頷きながら、上総の顔をじっと見つめつつ語り続ける父。

「なんとなく歓迎されていないといムードは、感じただろ」

「うん」

 心を見透かされているような気がして面白くないけど、事実には答えるしかない。

「次に、あの席でお前の友だちふたりが大変盛り上がっていたようだが、もしかまわなければもう少し詳しく聞かせてもらえないか。お父さんの記憶が間違っていなければあの席にいらした方々は、明日市民会館で講演会予定の絵の先生じゃないかと思うんだが、どうかな」

 やわらかく、さりげなく、食い込んでくる。

「そんなの知らないけど友だちは絵に詳しいから、たぶんそうだと思う」

「その友だちは、中学の時一緒だった金沢くんだろう? 彼の名前は知られているよ」

「そこまで知っているんだったらなんでしつこく確認するんだよ」

 いらだってくる。我がままだと承知している。でもわざとらしく確認して、何かを悟らせようとする態度に腹が立つ。父は動じなかった。

「だいたいそんなとこだと思ったが、なるほどな。わかった」

 ひとりごちた後、父は自分のグラスに麦茶を注ぎなおし、一杯飲み干した。

「金沢くんが先生と接触したいと思い立ち、お前を連れてあの店に入ったということなんだな。普通の学生街の喫茶店気分で入ってきたら勝手が違っていて戸惑うも、金沢くんは無事お前らの協力のおかげで先生とお近づきになれた、ということだな」

「最後まで確認してないけど」

 嫌味を混ぜてやる。たぶん金沢の舞い上がり方を見れば父の言葉通りの結末となっただろう。上総の推測では、おそらく金沢の騒ぎぶりが奥のグループ諸氏にも伝わり、行動を行った段階で迎え入れてもらえる準備ができていた可能性が高いと見た。

「結果としてはハッピーエンドだしそれはそれでいいんだ。ただな、上総」

 ひと呼吸おいて、父は首をゆっくり振った。録音終了の合図でテープがかちりと止まった。

「あの人たちは快く迎え入れてくれた、ありがたいことだ。ただ、あの場所をなぜかの先生たちが選択したのかを考えてみようか。お前も分かっている通り、道は分かりにくいし普通学生たちが立ち寄る場所でないのも確かだ。お父さんがあの場所にいたのは、仕事がらみの打ち合わせだが、なぜあの場所を選んだかといえば」

 言葉を選びながら続けた。

「ある程度分別のついた大人しか集まらない場所だからなんだ。そういう場所は、お前も大人になればいろいろ覚えてくると思うが、必ずしも未成年者出入り禁止を謳っているわけではない。お前の主張通りアルコールも出でこない。ただ、あの場には目に見えないルールのようなものがある。なんとなくそれはわかるな?」

 分かっている。頷くしかない。

「『おちうど』もそれに近いが、まああそこはお母さんの顔で利用させてもらっているからまた別だ。『ファビアン』に集まる人たちは、まず、子どもたちのたむろう店はできるだけ避ける。空気が合わないからな。出来る限り言葉の少ない大人しか集まらない場所を探す。喫茶店といってもいろいろあるから当然なんだがな。コーヒーも一杯五百円とは普通高いと思うかもしれないが、その金額を払っても平気と思える人たちにのみ集まってもらえればいいと店側も考えている。あの場でお前たち高校生が三人足を踏み入れるということは、もちろん迷惑をかけるつもりはなかったにせよ、それを願っているお店側、およびお客さんたちのゆるやかな時間を邪魔したことに、実はなるんだ」

「わかってたら行かないよ、けどしょうがないだろ、友だちが行きたがったんだから。俺だってそんなとこだって知らないから」

「そのことは承知の上だ。まあ今回は、お前も災難だったな。将来二十歳過ぎてお前もあの場所の空気がつかめるようになれば、また居心地よくなることもあるんじゃないかとは思う。だが、大人の世界は必ずしも未成年お断りの札を下げているわけではないということも、覚えてもらいたいんだ。その意味は上総、わかるな?」

 ──理不尽だ、絶対理不尽だ!

 心で叫ぶも、父の静かな言葉には逆らえない。ここが母相手にする時とは違うところだった。

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