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その七 高校一年夏休み十三日目・立村上総の南雲秋世訪問顛末(1)

 前日までの雨もようやく上がり、また陽が照りつけ始めた。講習三時間を耐えるのも少ししんどくなりつつある。窓を開け放したままでシャープを握り締め、ふと瞼が重くなる。なんとかつっぷしていねむりこくのだけは免れ、鐘が鳴るのを聞いた。

「りっちゃん、お疲れ。腹空いたよなあ」

「ほんと、何か食べたいよな」

「じゃあさあ、外でなんか食べよっか」

 南雲が手早くかばんに勉強道具一式ぶち込んだ後、東堂含めて呼びかけた。

「学校だとなんか落ちつかないし、ハンバーガーみたいな腹持ちいいもん食いたいよなあ。りっちゃんも来る?」

「よければ、いくけど」

 東堂と顔をあわせて南雲は頷いた。

「だめなわけないじゃん。じゃあさっさと出ようよ、また先輩方に捕まったらめんどうじゃん」

 いろいろとしがらみのある南雲を励ますように、東堂はおおらかに笑う。

「まあまあ、お前さんのように女子がごろごろしている奴だと、振り払うのもひと仕事だもんな。先に玄関出て待ってるからな、あ、立村先生もどうぞどうぞ」

 ──何が先生なんだか。

 上総は答えず、頷くだけにした。


 話の流れで東堂も含めて三つ巴での南雲宅訪問と相成った。例の「修学旅行濡れ衣事件」をきっかけに、一度は上総のほうから持ちかけたものだった。もっともその時は事情が入り組んでいたことと、南雲、東堂それぞれの都合もつかず結局お流れ。無理に再開することもなく今に至る。

 ──いい機会かもしれないしな。

 上総はかばんを持ち、手提げに詰込んだ大きな菓子箱……家からくすねてきた手付かずのバウンドケーキまるごと……をぶら下げ、そのまま南雲についていった。できれば羽飛と美里とは顔をあわせないで玄関に向かいたかった。いろいろと面倒だ。

「あーあ、バイトのない一日、なんて幸せなんだって思うよなあ」

「ずっとバイトだったのか」

 尋ねると、南雲は大きく手を広げて頷いた。

「もう、義務、義務ったらないんだよね。学校休みの間そんなにお客さん来ないから楽かなと甘く見てたんだけどね」

「結構来るのかな」

 違う違う、南雲は首を振りながら肩をすくめた。

「面倒なんだよ。今年の春までバイトの主だった人がいてさ、その人が就職したにも関わらずしょっちゅう様子を見に来るんだよ。どうも俺のことがお気に召さないみたいでさあ、見つけるたびひたすら説教。ぐちぐち仕事と関係ないところまで突っ込むんだよな。それでやたらと、もうひとりのバイト君と比較して嫌味を言いまくるってわけ。あまりにもしつこいと」

「言い返すのか?」

 バイトの分際で、とか言われそうだが南雲はにっこり首を振った。

「違うよ。黙って俯いていると、たいてい店の奥さんがかばってくれるんだ。おいしいお菓子があるから休みなさって俺を奥に呼んでくれるんだ。そのバイトの主だった人をうまく言いくるめてどっかへ追っ払ってくれるんだ。やっぱり俺、おばあちゃんには愛されちゃってるから、ほんとありがたいよなあ」

 ──おばあさん以外にも、全年齢的に受けがいいような気がするけど。

 上総は思ったことを言わずに調子を合わせた。

 たぶんもうひとりのバイト君とは、関崎のことだろう。相変わらず朝一番でバイト先の荷解きを行ったり掃除や片付けに余念ないという。夏休みだから勤務時間を長くするということもないらしい。朝は関崎、昼は南雲、といったタイムテーブルは平日時期とほぼ変わらないようだった。

「まあでも、なんとか最近は慣れたとこ。うまくやってけばなんとかなるかなって」

 南雲は軽やかに続けた。襟もとを緩め、肩からかばんを背負い直した。

「同じ下宿の連中も同じ飯を食っていれば気心も知れるし、連日連夜の勉強行脚もうまく抜け穴見つけられるし、夜中は夜な夜なマージャンだし。そういう生活もなかなか楽しいよ。今日はそれも含めてフリーだから、もうめいっぱい遊ぶぞって感じかなあ」

「なぐちゃんは夏休み中家には戻らないの」

 自宅は市内、下宿先とほぼ変わらない距離。上総も何度か南雲の自宅へ遊びに行き、一度は泊めてもらったこともある。なんのために下宿生活しているのかが今ひとつ理解しかねるところもある。普通下宿とは、遠距離に済む生徒たちが通学時間を無駄にしないで済むようにするために用意されているものだろう。なぜ南雲が一人暮らしする必要があるのだろう。詳しいことを聞いたことはなかった。

「講習終わるまではいるつもりだよ。お盆前には戻る。ばあちゃん、きっとうちに帰ってきてるだろうしそんときはやはりお迎えしたいよなあ」

 修学旅行中に亡くなった南雲の祖母、すでに一周忌を迎えたはずだ。おばあちゃん子だった南雲がどんな想いでその日を迎えたのだろう。明るく振舞う南雲の心に去来するものを想像して、上総は再び口をつぐんだ。軽々しく触れるべきことではない。

「ま、予想してない展開でいきなりの下宿生活だけど、やっぱり自由っていいなって思うよ。親にはうるさく言われないし、こうやって暇な時友だちを連れ込んだりもできるし。お勉強タイムだけはしんどいけど、慣れればなんとかなるし。バイトもがんばればお小遣いにもなるし。それはそれでいいのかなって思うんだよね」

「学校とバイトを両立させるなんて、すごいよな」

 嫌味ではなく素直に感慨を述べると、南雲は上総に極上の笑顔を振り向けた。

「りっちゃんに褒められるとさ、ほんっとうれしいよ」

「どうして」

「だって、嘘言ってないじゃん、心にもないお世辞言わないって知ってるから、素直に信じられるんだよね。ああ、今日はいいこと絶対あるよな! さ、りっちゃん早く行こうよ。東堂大先生が腹空かせて待ってるよ」

 南雲は勢いよく生徒玄関のすのこに駆け出していった。東堂が心配していた通り、あっという間に女子たちの視線にさらされ、「南雲くん、やっぱかっこいいよねえ」とため息とともに語られることとなる。中学時代からちっとも変わっていない南雲のアイドル的評価だった。


 三人で連れ立ち校門を出て、南雲の下宿へそのまま歩いていくことにした。南雲曰く、

「すっごいうまいハンバーガー屋があるんだよ。そこでテイクアウトしてうちで食おうよ。300円なんだけどたぶん二人分は入ってるんでないかってくらい巨大なハンバーガーがはさんであって、フライドポテトも三人分くらいのものがたった200円なんだよね」

 とのよだれたらたらな情報に、男子ふたりは逆らわなかった。

「やはり講習があれだけ続くと腹も減るよなあ」

「同感。何はともあれ食べないと、生きていけないよな」

 店の前は押すな押すなの大行列、一応今日は夏休み真っ只中のはずで、学生たちもそれほどいるとは思えないのだが、南雲に解説を求めると、

「最近、観光客の間で人気らしくって、口コミで広がっているらしいんだよね。たぶん今ここに来ている人の九割がたは、観光客だと思うんだ。でも大丈夫、俺ちゃんと手を打ってあるから」

「ほう、それはなんと」

 東堂が面白そうに語りかける。

「そりゃあもちろん、あれでっせあれ!」

 あうんの呼吸。にやにやしながら南雲は入口に向かい、上総に振り返り、

「すぐ戻ってくるから、そこで待ってて、では!」

 敬礼してすぐ中に入っていった。


「待たされそうな気がするけどな」

 列が途切れないのを上総がぼんやり眺めていると、側でのほほんとしている東堂が答えた。

「昨日のうちから南雲がちゃあんと手を打ってあるから、大丈夫」

「手、って?」

「ほらあれ、昨日の段階で俺と立村が遊びに来るって話になっただろ? 授業終わってからたぶん南雲、店に予約を入れて、昼の時間になったら三人分作っておいてもらうようにって予約を入れておいたんじゃないかなあ。あいつそういうとこはほんっと気が回るから」

「え、でも、三人分だったら相当の金額になるんじゃないか」

 もちろん割り勘のつもりでいる。ただ一括で払うのは学生にとってはきついんじゃないだろうか。

「そんなことありゃあせんよ。心配しなさんな立村、南雲はそのためにバイトしてるようなもんだし。あ、戻ってきたよ、ほらほら、はええなあ」

 行列の人々が白い目で見るのを無視して、南雲が大きな包みを三袋ほどぶら下げて出てきた。ざっと観るに、かなりの量だ。スーパーのビニール袋で言えば牛乳にパンにコーンフレークの箱を詰込んだくらいの大きさじゃないかと思う。それが三袋だ。

 東堂と一緒にそれぞれ袋を受け取った。ハンバーガーとフライドポテト以外にもまだいろいろ入っているらしい。

「下宿、すぐそこだから急いで入っちゃおう。あったかいうちに食っちゃおうよ。あ、飲み物もうちに冷蔵庫で冷やしてあるからご心配めさるな。じゃあ行きましょう!」

「なぐちゃんありがとう、けど、かなり高かったんじゃないかな」

 上総がそっと尋ねるのを、南雲はまた笑顔で振り切った。

「大丈夫大丈夫、まだまだバイト代たんまりあるから、ここいらでふだんお世話になりっぱなしのりっちゃんにはご馳走しないとね。それにこれから、英語を教えてもらわなくちゃあならないし、講師代としては安すぎるくらいでっせ。あ、ついでに東堂先生もおんなじもんだけど」

「俺はおごってもらえないのかなあ、立村だけか」

 つっこんでくる東堂に南雲は首をひねるふりをし、

「まあ、今回だけは、特別サービスするしかないか、ってとこかなあ、東堂には次回俺にたっぷり焼肉おごってもらう予定だし、それはそれでまあいっかってとこっすね」

「ひでえ話だ。じゃあ今日は遠慮なく食わせてもらうぞ、よっしゃ!」

 南雲と東堂がいつもの調子で楽しげに語り合うのを、上総は後ろで黙って眺めていた。このふたりの乗りは自分にないものだとわかっていた。相手がもし南雲だけだったとしたら、決してこんな会話を交わすことはないだろう。たぶんそれは、南雲が上総にあわせてくれているからなのだろう。しかし南雲の本質は、こうやって東堂とアホ話をやらかしながら盛り上がっているところなのかもしれない。そんな南雲がなぜ、今まで上総を日々気遣い、友だちとして尊重し、今日もこうやって自宅まで招いてくれるのか、その理由も今だにわからなかった。


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