その六 高校一年夏休み十二日目・立村上総の霧島真に再度振り回される日々(2)
ここまで裏表がはっきりした性格だと、かえってほっとする。こちらも心の準備ができる。なんとか霧島の性格を把握しつつあるこの頃、上総は教師用の校門から出てくる霧島を待っていた。
「昨日の雨でずいぶんと涼しくなりましたね」
「本当だな」
七月末までのうだるような暑さとは違い、空気の中に細い風がすり抜けていくような感触がある。青潟の夏は短い。八月も半ばを過ぎればもう秋の声。蝉より鈴虫が鳴き始める。
「立村先輩は今日も講習ですか」
「そう、六日間連続だけど毎年のことだからな」
のんびりと答える。霧島もただ生白いわけではなく少しずつ肌に赤みが差してきてはいる。それなりに街中には出ているのだろう。
「今日は生徒会の仕事はないのか」
「たまには休むこともあります。中学はそれほど忙しくもありませんし」
クールに交わす。外で他人の目がある限り、霧島は決して自分を出さない。完璧で冷ややかな貴公子を演じ続ける。その一方で上総以外は誰もいないと気づいた瞬間からあっさりとそれを脱ぎ捨てる。その切り替えのすばやさは見事なものだ。今はまだ、中学の生徒たちが霧島を見つめる可能性もゼロではない。それならとことん王子になりきる。
「先輩は、あの後本条先輩とお出かけになったのですか」
「そうだよ、本条先輩の家でいろいろと話してた。やはり先輩だからさ」
「とっくに別の高校へ行ってしまった人に対してずいぶんご執心ですね」
「なんか意味を取り違えたらまずい返事だと思うよ、霧島」
野郎相手にやきもち何ぞ妬くわけでもないだろうが、霧島の性格上それもそれこれもこれ。そういう奴なのだ。
「たいしたことじゃない。本条先輩はコンピューターに詳しいからいろいろ教えてもらったりしたし、そのくらいだよ」
「コンピューター? いわゆるマイクロコンピューターのことですか」
勘が鋭い。霧島は興味深げに上総を見上げた。
「そう、マイコンって言ってた。自分でプログラムを組んで、それでいろいろとゲーム作って雑誌に投稿して、その世界では有名人になっているみたいなんだ」
「雑誌に載った程度ですか」
他の奴に言われたのなら思い切り説教してやるのだが、相手は霧島だ、がまんするしかない。上総はしばらく呼吸を整えた後、静かに答えた。
「価値がなければ載せないよ。本条先輩は青大附中時代から天才だった。公立に進んでもちゃんと成功している。これがすごくなくてなんていうんだよ」
「立村先輩は、ずいぶん視界の狭いことをおっしゃいますね」
きりきり、とんがった声で霧島は返す。
「僕もあまりデジタルの世界には詳しくありませんが、なんでも小学生あたりからコンピューターに関しては天才と呼ばれる人たちがたくさんいるそうです。プログラムもすらすら書いて、グラフィックも独創的なものをどんどん作って、中ではすでに会社を作って利益を出している中学生もいるとのことです。そういった才能溢れる人々と比較して、果たしてプログラムを投稿して満足しているだけの本条先輩が、どこまでものだか」
「それなら聞くけど、霧島、お前、何かの世界でそれだけ頭角出していると自覚あるか?」
少し絞めてやる必要は感じた。ゆるく、皮肉ってやる。
「うちの学校は賢い奴が多いと思うけど、外で高く評価されることしている人って意外と少ないような気がするんだ。俺の代だとせいぜい、美術の金沢くらいかな。学校内でそれなりに成績がよくても、全国で比較するとどこまでついていけるのかあいまいなところもあるような気がするんだ。本条先輩が組んでいるゲームがどこまでのものだか正直、俺には全然わからない。でも、それを学校外の第三者に認めさせるということは、能力がなければ決してできないことだと思うんだ。どう思う? 霧島?」
霧島は黙った。しばらく考え込んでいた。悔しげにうつむいているかのように見えた。
「立村先輩だって同じじゃないですか」
一言、しぼりだすかのようにつぶやいた。
「俺は最初からそんな野心なんてない。これ以上嫌われなければ、それでいい」
「『向上心のないものは馬鹿だ』という言葉がありますが」
「だから前にも言っただろ、それで人を追い詰めてもしょうがないよ」
腹は立たない。陽が照ってきたからだろうか。大学校舎から中学校舎を大回りしいつもの森を抜けた。今日はほとんど人がいない。すっかり木々で覆われた緑の道を歩きながら、上総は霧島に向けて語りかけた。
「けど、そういう才能のある人を見守る方が俺には向いているんだと思うんだ」
「才能のある人って本条先輩ですか」
「先輩だけじゃない、まだまだたくさんいる」
空を見上げる。天に突き刺さる針葉樹の先が、こぶしを振り上げている腕に見えた。
「そういう人たちを助けることも、大切な仕事じゃないかなって気がするんだ」
霧島はしばらく黙っていた。森を抜けるまでそのまま唇をかみ締めていた。道路に出て初めて口を切った。
「いやです。僕は、必ずトップに立ちたい。誰にも負けたくありません。立村先輩がそんなに助けたがりなことするんでしたら、僕あたりを手伝ってくれればいいんじゃないですか」
──結局そこかよ。
苦笑するしかない。これ以上突っ込まない。あと数メートル歩けば「おちうど」に到着だった。
──一度しか連れてきてないのによく覚えてたな。
一学期、いろいろあって無理やり連れ込んだのがここ「おちうど」だった。和風喫茶店と呼ばれてはいるが、いわゆる帰宅帰りの中学。高校生が立ち寄るには敷居が高すぎる雰囲気だった。二階は小さな舞台が設置された和室が用意されていて、日舞のおさらい会やお茶会、その他日本伝統芸能関連のイベントなどが定期的に行われている。そこで上総もしょっちゅう手伝いに駆り出されていることから、中学入学以降「おちうど」は母のつけ……ほとんど身内扱い……でただ食いのお許しをいただいていた。いわば親戚の家に遊びにいってお菓子をもらうような感覚だ。ただし、上総もひとりで出入りするわけではない。特定の友だち……たとえば杉本梨南とか……を連れて学校内関係者には知られたくないをするために通うのみ。今まで連れてきた友達は、よく考えるとほとんどいない。本条先輩、清坂美里、羽飛貴史、南雲秋世……親しい友だちだからといって引っ張り込んだことはない。例外的に関崎乙彦を連れていったのは失敗だったと思う。花森なつめにいたっては、上総と同様「おちうど」の常連なのだから例外としておく。
ただ、霧島からしたらここにひっぱりこまれた記憶はあまり楽しいものではないだろう。高い鼻を思い切りへし折ったような出来事なのだから当然だ。過去の傷が痛むのもかわいそうだと思ってできるだけ触れないようにはしてきたのだが、まさか霧島のほうから「おちうど」通いをねだってくるとは思ってもみなかった。
──呉服屋の若旦那ともなれば、行きつけにしておきたい店なのかもな。
霧島の性格を思い返して無理やり納得することにした。隣で小脇に抱えた夏用ブレザーに袖を通し、霧島はハンカチで軽く汗をぬぐった。それだけではない。あぶらとり紙で丁寧に鼻を押さえた。
「何、それ」
「先輩ご存知ないとは。鼻がてかっているのは決して見栄えがよいものではありません。立村先輩、一枚差し上げましょうか」
──杉本みたいなこと言うなよな。
それでも受け取ってしまう自分が情けない。顔を言われるがままに押さえてみた。
なじみの店、引き戸を開ける。かすかな抹茶の香りと、三味線の音色から清元だろうと見当をつけた。レジにいたおかみさんと顔をあわせた。
「あら、かあさくん、こんにちは」
「こんにちは。あの、今日も友だちを」
言いかけて振り返る。やはり王子面の霧島がきりりと微笑みながら立っている。
「立村先輩、恐れ入ります」
「さあさ、どうぞどうぞ、奥の席が空いてますから、今日はソファーでゆっくりなさいね」
夏休み中で昼間、あまり人がいないらしいかった。ソファー席が空いているということは上総が「おちうど」参りした時もそうそうない。運がいいのか悪いのか。杉本梨南を連れてきた時も最近はめったに当たらない。先に霧島を座らせると、おかみさんが上総を手招きして、小声でささやいた。
「あのお坊ちゃん、もしかして」
「ご存知ですか」
電流めいたものが走る。霧島に関してはいつもそうだ。周りの人たちがなぜか霧島に対しては用心深い態度を取る。
「かあさくんの仲良しさんかしら」
なんだ、あっさりしている。拍子抜けした。
「仲良しというか、学校の後輩です」
「そう、それはよかった」
おかみさんはほっとした風につぶやいた。
「かあさくんがかわいがっている男の子なら、安心ねえ」
──だからそれ、誤解招くよ。俺悪いけど、そういう趣味じゃないから!
年上受けしそうな気品ある振る舞いが、特定の層には確実に受けるのだろう。きっとおかみさんは霧島の猫かぶりに見事だまされている。いきなりヒステリックにわめきだしたり、好きな子の純潔疑惑にパニック起こして泣き出したり、手当たり次第人の食べているものも手を出したりとやりたい放題野郎とはきっと思っていないのだ。
メニューを持ってきてもらいふたりでにらめっこする。
杉本と一緒の時はたいていコーヒーだったが、霧島とだと何がよいだろう。
「抹茶がよいですね」
「ケーキ三個ずつ選べるよ」
「いただきます」
もう上総がおごるものだと決め付けているようなその振る舞い。今更だが怒る気にはなれない。実際、上総のふところは傷まないのだからそれはそれでいいのだが。しかし霧島、食い物に対しては遠慮がない。この調子だとたぶん、上総の分もぶんどりにくるんじゃないだろうか。おにぎりセットもらおうかと思案する。一応、昼だ。
「かあさくん、お雑炊あるけど、用意しようか?」
「ほんとですか。ぜひお願いします」
お雑炊と侮るなかれ。タイミングが合わずにめったにお目にかかることがないのだが、「おちうど」のお雑炊は、ミルクをたっぷり混ぜてその中に魚介類をたっぷり煮込んで作った美味な逸品なのだった。あまったのだろう。ありがたくいただく。当然霧島の分も用意してもらえるのだろう。ふたりぶんと頼んだ。
「それにしてもねえ、かあさくん、人はね、縁なのよ。そうでしょう? お坊ちゃん?」
お坊ちゃん扱いにもぴくりともせず、霧島は優雅に頷いた。
「もっともです。僕も最近、つくづくそう思います」
微笑みを交し合う霧島とおかみさんのしぐさに、またかすかな漣を感じたがあえて忘れることにした。今は食べることだけ考えよう。




