その二 高校一年夏休み八日目・立村上総の霧島真に振り回される日々(3)
全部予想していた通りの展開だった。まず食器棚から頼みもしないのに皿を選んで運んでくる。フォークとスプーンも掘り出す。わざわざマグカップを引っ張り出してきたのはいったいどこから見つけてきたのだかわからない。全部霧島の仕業である。
「先輩、そろそろできましたか」
「ああ、もう少しな」
お手製のレシピなど見てはいない。スモークサーモンが少しだけ残っていたのでベーコンと一緒にオリーブ油で炒めた。缶入りホワイトソースは牛乳で少し伸ばしてみた。あまりべたべたしたものを食べたくない。スープスパゲティに仕上げることにした。
「先輩はどうして料理を覚えたのですか」
「そうしないと食べていけないから」
茹で上がったスパゲティをボールにあけてさっとオリーブ油をまとわせる。煮立ったホワイトソースにスモークサーモンとベーコン、および野菜を絡める。あまり癖のない味が上総の好みだ。文句は言わせない。霧島の味覚など知ったことか。
「もう少し深い皿、取ってくれないかな」
「はい、ただいま」
手伝うと言っておきながら実は全く役立たずだった霧島をほっといて、上総ひとりで結局作り上げたホワイトソース味のサーモン&ベーコンスパゲティ。量はたぶんふたり分で足りると思う。具が多すぎるのが失敗かもしれないがまあいい。気にしない。たっぷりホワイトソースならぬホワイトスープでひたひたにして盛り付けた。
「それにしてもよい食器がたくさんありますね」
「そうか? 全然検討つかないけど」
そんなことでひっかかっていたら日が暮れる。上総がフライパンで香ばしく炒め物している間に霧島は茶碗をひっくり返したりティーセットを弄繰り回したりしていたようだ。
「うちの親が拘る人だったからそうなのかもな。とりあえずは食べられればそれでいいかな」
「運びます」
そのくらいは働けよ、そう思う。
十一時半過ぎ。ふたりでまずは熱いうちにいただくことにする。日が昇りだいぶ暑苦しくなってくる時間帯だが、部屋の中はなぜか心地よいぬくもりのみ。一台の扇風機だけで十分涼しく過ごせる我が家は天国だ。
ふうふう言いながらまず、無言で麺を巻き取る。サーモンとベーコンを最優先で口に放り込む。わりと味付けはよかったのではと自画自賛したいがもちろん黙る。
「先輩よろしいですか」
「何?」
「サーモンください」
──何?
上総が答える間もなく、霧島がすばやく麺に絡まったサーモンとベーコンをつまんでいく。野菜を混ぜないで拾い上げるところがみそである。留める間もない。
「霧島、お前さ。せめて俺が返事するまで待てよ」
「もう食べたんで」
もごもご言いながら、あっという間に平らげた。霧島の食事スピードは想像以上に早い。上総がまだ半分しか食べていないのに。しかも食欲も比例しすぎている。
「先輩、もう少し食べたいんですけど、作ってもいいですか」
「お前作るのか? もったいないだろ。食べるか残り?」
冗談で言ってみただけなのだが、甘かった。
「それでは全部いただきます」
他人が口をつけたものを全く抵抗なく食いまくる霧島。あきらめて上総は珈琲をマグカップにたっぷり入れて飲んだ。もちろん、熱いものを啜る。アイス珈琲にしてもよかったのだが、霧島にまた奪われることを予測して避けたのは賢い手だったと思う。
──それにしても、やりたい放題だなこいつ。
気品ある貴公子で、中学の女子たちからも熱い視線を送られていると聞く。成績優秀なのは言うまでもない。しかしいまだに彼女らしき存在はなしとも聞く。そりゃそうだろうと納得してしまうのはこいつの性格をよく観察した結果。からかう気はないが、ファンの女子たちがこの姿を見ようもんならどんな失望を味わうのか、哀れでならない。
「あのさ霧島」
「なんでしょうか」
「昨日まで合宿だったんだろ。生徒会の。楽しかった?」
さすがにしばらくは食べたくないだろう。皿を台所に運んで水洗いだけした後……もちろん霧島は一切手伝う気もないらしく客人に徹している……上総は尋ねてみた。
「まあ、まあですね」
「奥歯にものの挟まった言い方するね」
「それなりに、有意義ではありました。他中学の生徒会と交流もありましたし。水鳥中学のみなさんとも会いました」
──関崎の学校だな。
そんなことは霧島も承知しているだろう。あえて無視して続けた。
「生徒会運営の実情について熱く語りましたが、やはり公立の話とは違いすぎて、ずれがありますね。正直退屈でした」
「学年が一年ずれてしまうものな。しょうがないよ。高校入試優先しなくちゃならないしね。公立の人たちは」
そう、関崎とも話をよくしたものだった。麗しき蜜月時代。
「それはそうなのですが。まあいいです。ところで僕が今日話したいということをご存知ですか? 立村先輩」
忘れているわけがない。タイミングを狙っていただけだ。
「ごめん、そうだった。霧島、たしか杉本のことだったよな」
ここはフェイントだった。霧島のことだ。もしかしたら忘れた振りして夕方までシカト決め込むつもりなんじゃないかと思っていた。午前中の段階で話が飛び出すならこれはありがたい。上総は珈琲を手元に引き寄せた。少し熱いが、かえって心地いい。
「ここなら盗み聞かれる心配もございませんので、はっきり申し上げます」
霧島はアイス珈琲……わざわざ氷を十個詰込むようリクエストして注ぎ込んだ代物……をガラスのマグカップでストローさしつつ啜っていた。何を思ったのか、椅子から降りてじゅうたんの上に正座した。
「先輩も、いらしてください」
「え、椅子に座ってもいいのに」
「いえ、先輩いいですか。壁に耳あり障子に目ありと言うではないですか。確かに品山までわざわざスパイする物好きがいるとは思えませんが念には念を入れる必要があります」
仕方ない。上総も付き合った。霧島と真正面に向かい合った。
「まず、ご存知でしょうが殿池先生の役割ですが」
もったいぶった言い方で霧島は語り始めた。
「うちの馬鹿姉ばかりがクローズアップされますが、実際あの人は陰でいろいろ動いているとの噂です。何も知らない人たちは、単純に非論理的な風習愛好家と笑っていますが、実は他の生徒たちをも仕分けするという仕事を担っているようです」
「何それ、その動きって」
ぴんとこない。そもそも殿池先生がそんなに大きな権力を持っているとは全く思えない。
「うちの姉を例に申し上げますと殿池先生はまずご自身から、青大附属から出すようにと提案なさったそうです。当たり前ですよね。ろくに漢字も読めず、計算もできない姉が、このまま青大附属の高校に進学しても落ちこぼれるのが目に見えてます。早い段階でその提案はなされていたようですが。試験を受けずに、青大附属出身のめっきをを活用し、迎えてもらえる学校を選んだ結果があの可南というのが情けないのですが。しかも、姉は可南でなんと、特待生になり損ねているんですよ! 青大附属出身者がなれないなんて笑いものじゃないですか」
「霧島悪い。話を戻してくれ」
「失礼しました。とにかく僕が言いたいのは姉以外にもいろいろ問題を起こしたみなさまたちがいらっしゃいまして、そのほとんどは殿池先生の手によって振り分けられたということです。僕の知る限りですとあとはそうですね、姉の友だちだったあの西月先輩です」
「西月さん?」
もちろん知っている。卒業二ヶ月前に起きた傷害未遂事件。上総が聞いた限りでは小競り合い程度で片付けられたと聞いていたが、それでも西月小春が即、実質的退学としか思えない形で転校させられたはずだ。自分自身のごたごたも関係して、あれ以来上総は西月小春の姿を見たことはない。あえて言うなら、現クラスメートの片岡経由でちらちらと噂を耳にするがそれ以上は何もない。
「西月先輩がなぜ、あんなにあっさり、転校できたかということですが。ご存知ですよね」
「だいたいは」
確か、片岡の親が神乃世町と呼ばれる田舎町に住んでいて、たまたま西月小春とも家族ぐるみの付き合いだったと聞く。事件後、片岡の両親より申し出があってすぐに神乃世の中学に転校したというところまでは知っている。
「先輩もご存知でしょうが、『迷路道』の後継者に当たる方が現在英語科にいらっしゃるとか」
「ああ、片岡のことだろ。知ってるよ」
「僕の聞いた限り、事件から転校までの間、あまり間がなかったはずです。あまり騒ぎにもならずに片付いたという記憶があるのですが、その理由が殿池先生の手際のよさだそうです。事がおきてからまず殿池先生はすぐに『迷路道』のオーナーと交渉して西月先輩を転校させるよう手続きを行ったそうです。いくばくかのお金が動いた可能性もありますが知ったことではありません。通常なら大混乱の中でごたごたした挙句、西月先輩はつるし上げに遭い下手したらゴシップ誌にスクープされ、青大附中の腐敗ぶりが暴露されるという情けない展開が繰り広げられていたはずです。それを学校内だけで食い止め、かつ丸く治めたのは殿池先生のおかげでもあります」
「霧島、お前どうしてそんなこと知ってる?」
「常識ですが」
憎たらしくも霧島は言い切った。そうかそうか。
「その他にも殿池先生は青大附属にいてはならない生徒たちを、もっともベストな形での進学をさせるべく努力を重ねておられたそうです。僕が知る限りはそのあたりですが、他にもあるようです。そこで、今日の本題に入るわけですが」
「杉本のことか」
大きく頷いた。
「そうです、殿池先生が杉本先輩に接近しているのは一学期に入ってかららしいとも聞いています。先輩が卒業なさってからですね。その後、例の修学旅行事件が起きたわけですが杉本先輩の判断によりこれもまた、大事を丸く収める方向にすすんだと、いうわけです」
──ああそうだな。あれで丸く収まったというのかよ。
突っ込めない。痛すぎる。
「学校側ではひれふして感謝しなくてはならないわけです。ひとり、自殺者が出るかも知れなかったのに、濡れ衣を喜んで着てくれる生徒がやってきたわけですから。人の命が重たいのならばなおのこと、学校を救ってくれた相手にそれなりのお礼をしなくてはなりません」
「霧島、杉本に学校側が何のお礼を用意する必要あるんだ?」
少し胃が重たくなってきた。決してベーコンやスモークサーモンのせいではない。
「簡単です。中学三年で青大附高に進学できない生徒に対してのギフトはやはり進学先でしょう」
「でもそれは」
杉本は一年の時から青潟東受験を考えていたはずだが。
「公立入試は水物です。風邪を引くかもしれませんし、さらに言うなら運もあります。いくら杉本先輩が学年トップの才媛だったとしても、百パーセントということはありえません」
「それはそうだな」
「学校側としては、やはり『安心』を用意したいでしょう。そのために今、殿池先生はさまざまな情報をかき集めて、杉本先輩のお宅に届けているようです。その情報が実は入ってきまして」
霧島の姉経由だろうか。杉本のことを優しくかわいがってくれた人だった。
「なずな女学院、ご存知ですか?」
「知らない」
さすがに上総も青潟の公立私立高校はすべて知っている。聞いたことなどない。
「僕も初耳でしたが、どうやら事実のようです」
「何が事実なわけ?」
霧島は腰のウエストポーチから四つ折りの紙を取り出した。
「青潟から百キロ離れた、山奥です」
山の上に小さく赤い点が打たれた地図だった。青潟市が掲載されていない。
「青潟の地図だと載っておりませんでしたので、図書館でコピーしておきました」
受け取り、そっと見据える。
地図を読むのは苦手だ。
青潟市の概況すら載っていない町に存在する女子高校か。
「なずな女学院って、最近開校したのか?」
霧島に尋ねても埒があくわけないのに聞いてしまう。だいぶ珈琲がぬるくて飲みやすくなったようだ。そっとどけて地図に場所を譲った。
「この、赤い点がそこなのか?」
「はい。ごらんの通り、山頂近くと言ってもよいでしょう」
「こんなところに学校なんてあるのか? それ以前に人、いるのかよ」
「僕もわかりません。ただはっきり言えるのは、ここが全寮制女子高校だということです。こんな山奥に寮を作る必要のある学校がそうそうあるとは思えません」
ここで言葉を切り、言いづらそうにつぶやいた。
「隔離、に近いんじゃないでしょうか」