高校一年その四 夏休み十日目・立村上総の杉本梨南を振り回しあう日々(11)
指先をこれだけたたきつけたのは生まれてから初めてじゃないだろうか。
マイコンコーナーの男性店員にプログラムの保存方法を習った後、杉本は上総に、
「それでは、参りましょう」
静かに促し、再度店員に頭を下げて出て行った。上総ももちろん後を追うのだが、どうもその男性店員の目線が妙なところに集中しているような気がして、落ちつかなかった。二十代後半だろうかと予想してみる。
「立村先輩はこういうゲームをしたことありますか」
「友だちの家でたまにね。でもあまり面白くない。テレビゲームって苦手なんだ」
「本条先輩が評価されるのも頷けます。テレビゲームとはどういうものか私もよく把握できておりませんが、こういうものを一から作り上げることのできる才能には素直に感服いたします。かしこい方はやはり素晴らしいのです」
「かしこくなくて悪かったな」
外を出る。そろそろ四時半を回ったところだ。杉本は五時までに家へ戻らねばと話していたような気がする。女子だしあまり遅くまで連れ回すのもまずい。雨が戻る気配もなさそうだ。自分も汽車に乗って品山に戻らねばならない。たぶん五時半くらいには着くだろう。
「残り二本のプログラムも打ち込みたいので、今度の休みにまた参ります。店員さんも非常に丁寧でしたし、心地よい空間でした」
「そうか? ざわざわしていて落ち着かない感じがするけどな」
「立村先輩は苦手なのですか?」
「当たり前だよ。キーボードなんて打てないものな。本条先輩とこで少しずつ教えてもらうよ。それの方がいいし」
「立村先輩は最初から最後まで本条先輩のことしか考えてらっしゃらないのですね」
ため息吐きつつ杉本は脈の部分で時計盤を確認した。
「帰りの時間か?」
「はい、そろそろ帰りませんと家族が心配いたします」
一時期、母親との関係も悪化していたと聞いた記憶があるのだが、その点は改善されたようだ。詳しいことはあえて聞いていないが、あの気の弱そうな杉本の母親が娘に何を思っているのかは、なんとなく想像ができた。心配しないわけがない。
「そうか、でもまだ少しぐらいなら時間あるだろ」
「いいえ、私も受験勉強しなくてはなりませんし、桜田さんの漫画に情報を増やす意味でももっと本を読まなくてはなりません」
「漫画に情報ってなんだよ、面白いな」
からかい調子で尋ねると、杉本は真顔で噛み付いてきた。いつものようにだった。
「真剣な話です。桜田さんはじめお友だちの名誉を回復するためにも、素晴らしい作品を書き上げていただかなくてはなりません。狩野先生や公立の先生方を呼んで私たちが後ろ暗いこと一切していないと証明する意味でも、です」
杉本の横顔をそっと眺めた。もう日差しはさほど強くないがそれでも麦藁帽子をまだかぶっている。路に長く映る影が濃い。まだまだ明るい。
──聞こうか。
駅に向かう足が重たい。
噂話どまりの情報を確認していいんだろうかとも迷う。
杉本の語る言葉を一通り整理していくと、霧島が持ってきた杉本梨南のなずな女学院進学疑惑はかなりの線で正しいと見ていいのかもしれない。青潟東高でのかたくなな態度や、修道院での静かなたたずまい、本条先輩の話に対する過剰な対抗心、ひとつひとつはささいな内容だが、つなぎ合わせてみると結論はひとつしかないようにも見える。
──けど、俺の思い込みかもしれない。単純に杉本の気まぐれに過ぎないのかもな。
上総の知っている杉本梨南はすでに少しずつ形を変えていっているのかもしれない。一学期の出来事も含めて考えると、杉本の価値観にはやわらかみが出てきている。濡れ衣事件にしたって、かつての杉本なら渋谷名美子を息の根止めるまで叩きのめしたはずだ。上総もそれが前提にあったからあえて杉本をけしかけたところもある。しかし、杉本の判断は逆だった。
横断歩道を渡り、駅のロータリーに向かいながら、杉本のなびく長髪を眺めて見る。
外見はそれほど変わったようにも見えない。
──相変わらず関崎のことばかり考えてるんだろうな。
今日、一番恐れていたのは、関崎を含む外部三人組と何かの拍子で鉢合わせすることだった。幸いそれはなかった。青大附属関係の人間にも一切会わずにすんだのは救いだった。もし誰かと会っていたら、こんなに気楽に過ごせていただろうか、否、ありえない。
「立村先輩、何をお考えなのですか」
駅前の道路を渡ろうとして、不意に杉本が呼び止めた。
「え、何も考えてないけど」
「珍しくまじめに物思いにふけってらしたので、少し気になりました」
「そうか、俺のことも少しは気にしてくれてるのか」
わざといやみっぽく答えてやる。いつもなら「関崎ほどではないかもしれないけどさ」くらい言ってやりたいのだが、さすがにこれ以上嫌われたくはない。そのまま道路を渡り、駅の待合室に向かった。品山行きの汽車は、まだ十五分程度間がある。
「杉本も、門限があるだろ。帰らないとまずいだろ」
「何をおっしゃいますか。私にまだ時間があるだろうとおっしゃったではありませんか」
相変わらずの抑揚のないまっすぐな言葉で杉本は、待合室の椅子に腰掛けた。夕方近く、部活帰りの学生、観光客、ビジネスマン、その他いろいろな人々がすれ違っていく。待合室の席もだいぶ埋まっている。ふたり仲良く座れたのは奇跡かもしれない。
「今日はお誘いいただきありがとうございました」
立ち上がり、まず丁寧に礼をした。すぐに腰掛けた。
「楽しかった?」
「それなりに。ただ、立村先輩の突発的な行動には少し困るところもあります」
「それは俺の台詞だろ。なんだよ朝から俺を振り回していたの杉本の方だろ」
「だから私は何度もお帰りくださいとお伝えいたしました!」
「その選択肢だけはなかったんだからしょうがないだろ。本当にな、なんだよ、なんで青潟東に寄ろうとしなかったんだよ。高校の下見に来るんだったら学校側だって文句言わないと思うよ」
今更ながらごねてやる。杉本は答えなかった。まっすぐ上総を見据えるだけ。男子たちをむかつかせるあのきつい眼差しで。上総はそんなの慣れっこなので全く気にならない。
「立村先輩、私にあれだけ一方的にお話なさったのであれば、私もお伝えしたいことがございます。よろしいですか」
「ああいいよ、いっくらでも言えばいいさ」
腹の虫が鳴いたような気がした。当然ざわめきで打ち消される。家に帰ったらボリュームのあるものをこしらえたい。何がいいだろう。冷やし中華にでもしようか。頭で材料をこねくり回しているのも知らず、杉本は再度上総を呼んだ。
「立村先輩! お聞きくださいませ!」
「聞いてるよ」
「今朝からこの瞬間まで長い時間立村先輩とお話させていただきました。こんなに延々と長い時間過ごしたのは初めてです。改めて気づきました」
ぴぴっと電気が走ったような気がする。まじめに話を聞かねばならないような気がする。大至急夕飯のことを忘れることにし、向き直った。
「立村先輩は、本条先輩に依存し過ぎではございませんか」
これが杉本梨南の、男子連中を怖気奮わせる眼差しだ。すべての力を瞳に向けて発射するきついもの。怖くはない、がちゃらちゃらしたままで接することは、絶対にできない。
「朝から夕方まで、立村先輩がお話なさったことの大方七割がたは、本条先輩すごい、本条先輩だからできる、本条先輩は天才、その類のことばかりです。もちろん集計を取ったわけではございませんが、私と話をしている際に本条先輩の話題が出てこないことはほとんどありません。先輩、自覚はお持ちですか?」
凍りつく。クーラーが利いて心地いいはずの待合室が、突然氷壁の部屋となりそうだ。溶かす言葉で言い返してみる。
「自覚ったって、それは本条先輩、すごい人だからいまさら」
「立村先輩、またおっしゃいました! いつもそうです。本条先輩への枕言葉には必ず、『すごい』とつくのです。私は立村先輩が本条先輩を尊敬する気持ちを間違っているとは思いません。確かに本条先輩は立村先輩と違いリーダーシップに優れてますし、私と同様学年で成績トップでした。運動神経も素晴らしく、立村先輩が一回しか参加できなかったクラス対抗リレー大会も三年連続参加なさいました。その他評議委員会でのご活躍の数々、それを否定することなどできません。立村先輩よりはるかに上のランクの方であることは認めます。しかし」
ここで杉本は言葉を切った。あたりを見まわした。声を潜めた。膝を上総に寄せた。
「それはあくまでも青大附中時代のお話でしょう。立村先輩から伺った限り、青潟東において本条先輩は演劇部でご苦労なさり、その後自分のやりたいことを見出しマイコン同好会をこしらえ、ついには外部の出版社にも認められることとなった姿。確かにゲームは素晴らしい出来だったと思いますし、立村先輩に同じことができるとはこれっぽっちも思いません。ですが」
また言葉を切り、きりりと睨みすえる。ドリルのようだ。息の根止められている。怖い。先輩風吹かせて黙らせたら最後、全身煙となり杉本が消えてしまいそうな気がする。
「それでよろしいのですか。立村先輩は本条先輩はすごい、本条先輩だからなんでもできる、マイコン研究会も本条先輩だから成功した、そう仰いました。ですがそれは青大附属のものさしで図れる内容ではありません。本条先輩の力ではありますが立村先輩が引け目を感じる必要はないのではありませんか」
「引け目は感じてないさ。ただ、やはり俺には無理だなって思うところも正直あるよ」
言い返した。ただし小声で。即、却下された。
「私が申し上げたいのはそこでございます! 立村先輩はなぜここで、本条先輩とは別の方面で力を発揮させようと思わないのでしょうか。本条先輩のすごさをたたえているだけで、肝心要のご自身が何をなさろうとするのか全く想像がつきませんでした。演劇部のお話、マイコンのお話、それぞれ本条先輩のご事情を把握することはできました。でも、立村先輩は本条先輩の『すごさ』が何なのかを本当の意味で理解してらっしゃらないような気がします。本条先輩が見事なのは、ご自身が苦労された後、自分の道を見つけて出版社に投稿という形で売り込んだことでございます。もともと才能がおありなのもあるでしょうが、ご自身で路を切り開こうとなさったことです」
「そうだよ、俺もそう思う。だから本条先輩は」
「お黙りなさいませ!」
近くに座っていた老夫婦がちらとこちらを見てささやき合っている。きっと噂話の種になっている。でも逃げられない。杉本が「すごすぎる」からに相違ない。
「青大附高と青潟東は別の校風です。それぞれよいところはありますが、一方的にまねができるものではありません。それに立村先輩と本条先輩は天と地ほどの差がありすぎます。どうしていつも立村先輩は本条先輩と比較していじけたことをおっしゃるのでしょうか。私は以前より腹立たしく思っておりました」
「そんな説教するなよ。本条先輩を尊敬しちゃいけないのかよ」
「いいえ、そういう意味ではありません。私の言いたいことはひとつでございます。立村先輩は本条先輩を真似なさっている限り、何をなさっても勝つことができません」
静かに、目だけ飛び出しそうなほどににらみつけ、
「今後私の前で、『本条先輩だからできる』とか『本条先輩はすごい、自分にはできない』などといった寝言のようなことを仰るのであれば、私は金輪際立村先輩と縁を切らせていただきます。それでは、失礼します」
「おいちょっと待てよ、なんだよいきなりまたわけわからないこと言い出すんだよ、せっかく楽しく話してたのに、気まぐれにもほどがあるだろ?」
腹立たしい想いと、杉本のいつもの勘違いと、どちらかを天秤にかけている。はっきり言って、上総は全然怒っていない。他の野郎なら怒鳴るか殴るかするかもしれないが、杉本にはその「怒り」のセンサーが壊れているようだった。むしろ、なだめて、すかして、自分が汽車に乗り込むまでになんとかせねば、そこに尽きる。
「それなら、今度杉本に会う時にはこういえばいいのかな」
軽く、ばかっぽく続けた。
「『本条先輩なんて目じゃない、この程度のことなら俺の方がよゆうでできる、本条先輩じゃなくても、誰でもやる気があればできることなんだ』って。なんだかそれだと、本条先輩に会った時にどやされるよ。さすがにそれは怖いし」
杉本は上総の腕を取った。いきなりのスキンシップだった。そのまま話さない。身体の血が全身突然上に昇ってくるようだった。改札口で品山行きの汽車がそろそろ入るとのアナウンスが流れている。
「本条先輩の前で言うようにと、誰が申しましたか」
「え、そう言ったの杉本じゃ」
言いかけた上総をぴしゃりと跳ね除け、杉本は上総の腕をがっちり握り締めた。跡がつきそうなほど、痛みがある。
「非常識なことは申しません。私の前のみで、おっしゃっていただければ結構です。本条先輩だから、という特別扱いを私と話すときはどんなことがあってもおっしゃらないでいただきたいと、それだけのことです。おわかりですか!」
それだけ言い放ち、杉本はあっさり腕を離した。 後ろに一歩下がり、深い礼をした後、
「本日はお付き合いいただきありがとうございました。それでは失礼いたします」
上総の言葉を待たずに背を向け、すっすと待合室を出て行った。上総が左腕をあたらめて見ると、やはり杉本の指のあとがくっきりと赤く残っていた。




