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その二 高校一年夏休み八日目・立村上総の霧島真に振り回される日々(2)

 十一時に来るとかぬかしていたが最初からそんなの信じちゃいない。

 十時半前にしっかりチャイムが鳴ったではないか。

 ──やっぱりな。

 すでに準備は整っている。いつでもかかってこい。すぐに玄関に向かう。鍵をはずしてまずは出迎える。

「先輩、おはようございます」

 珍しくも今日の格好はいたってまっとうだ。上総からして夏のすっきりした服装とは、すなわち「ポロシャツか布帛のシャツにチノパンあたり、できれば薄いベストを羽織る」といったコーディネイトのこと。個人的な好み出しまくりだが、別に口に出すわけではないし勝手に決め付けておく。今目の前にいる奴は、上総個人のドレスコードをしっかり守っている。白地に細い紺の縦ストライブが入ったシャツに網のベスト、ウエストはきっちりとベルトで決めている。細い体系がますます削られて見える。手には菓子折りの入っている紙の手提げ袋、腰にはウエストポーチときた。

「自転車?それとも汽車?」

「汽車です。この暑い中とてもですが自転車に乗る気にはなれませんので」

 気持ちはわからなくもない。品山駅の電車本数を考えれば早く着くのもいたしかたあるまい。まずは部屋に上げることにした。

「ほんとに道覚えるの早いよな。迷わなかったんだ?」

「昨夜お話した通り、僕は記憶力よいので」

 髪型もきちんと整えられている。乱れていない。靴をきちんと揃え、しずしずと上総の後について来る。まずは居間に通すことにする。

「今日は親もいないから、まずは飲むもの持って来るよ。ラムネでいいか? ジュースとかも一応あるけど」

「お構いなく」

 そんなわけいかないので地下室から用意しておいたラムネをそれぞれ一瓶ずつ並べた。ガラステーブルをレースで被い、その上から薄いビニールを重ねてある。さらにコースターも竹製のあっさりしたものを用意済み。ガラスには先日お中元で父がもらったらしい巨大なみかんゼリーを封した状態で載せて持っていく。霧島を迎える準備は一通り終わっているはずだった。

「まだ昼には早いだろ? あとで何か作って食べようか。それと、とりあえずうちにあるものだけど、冷たいうちに」

「ずいぶん大きいゼリーですね」

「うん、よくわからないけど結構有名な店のものらしいよ」

 霧島がゼリーのパックをひっくり返し、賞味期限やメーカーなどを丹念に確認している。

「どうした? 何か気になるのか?」

「いえ、どこの店のものなのか、覚えておきたいので」

 ──物好きな奴だ。

 一通り目を通した後すぐにパックのフィルムをはがし、ガラスの入れ物にまるく載せる。ぷるんと震える。黄色いゼリーがゆるゆると動く。

「いただきます」

 一口、スプーンで流し込み、大きく頷いた。

「これはおいしいですね」

「そうか? じゃあ俺も食べてみるよ。そうなんだ」

 上総が返事すると、霧島はいったん食器を置いてウエストポーチからメモ帳を取り出した。白いビニールの表紙がかかった手のひら大のノートだ。空になったゼリーのパックをまたひっくり返し、何かをメモにとっている。

「何してる? 気になることでも、あるのか?」

「はい。今後のために役立つので。ここの洋菓子の店を覚えておけば、これから先いろいろとつかえる時もあると思います」

「何に使うの」

 口に運びながら上総も尋ねた。確かに甘ったるくなくてさっぱりしていて、涼しく食べるには十分満足できる品だった。ただ霧島が一口しか食べていないのにメモ帳を取り出すのがなぜなのか、ぴんとこなかった。

「立村先輩、やはり評議委員会から離れてらっしゃるので勘が鈍ってますね」

 冷ややかに微笑みつつ、霧島はすぐに答えた。

「誰かの家を訪問する際に、僕なりに手土産を選ぶ場面が出てきます。一回程度なら何でもいいですけど、二回、三回と足を運ぶ際にはいつも同じものではまずいでしょう。そのために僕個人の手土産用候補先店リストを作成しております」

「なるほどそうか」

 手を軽く拳固で打った。そうそう、その通りだ。本条先輩にも別の表現でよく言われていた。挨拶代わりのプレゼントが必要な時、ダブらないようにするための対策ということでだった。霧島の皮肉は痛いが、正論でもある。素直に認めることにする。

「ということは、このゼリーの店も候補に入るということか。誰かに持っていく予定でもあるのか? 友だちの家とか親戚とか?」

「いえ、今ではなく、近い未来です」

 霧島は冷ややかに笑う。

「これから先、僕が長いお付き合いのお客様にご挨拶する時などに必要なはずです」

「そんな先のことまで考えているのか」

「当たり前です。今でも本当は遅すぎるくらいですよ。立村先輩はずいぶん気楽にお過ごしなのですね。いただきます」

 いやみったらしい台詞を残し、すぐに霧島は残りのゼリーを平らげた。


 ──これを他の奴の前で言ったらどうなるんだ、こいつ。

 霧島真言動対策予防接種は十分受けている。もう怒る気もない。大物なのか単純に常識知らずなのか判断に迷うがあまり深いことは考えないようにしている。この程度でかっかしていたら、午前中で噴火してしまうに決まっている。そんな無駄なエネルギーを使う気もさらさらない。上総としてはむしろ霧島本人の精神状態や不安な状況を把握するために気を遣いたいと思う。前から感じていた通り、霧島の意識は将来呉服屋の若旦那として切り盛りするための顧客おもてなしに向いているのだろう。まだ十四歳だというのに将来への意識が高い。もともと青大附属の連中は自分自身の未来図をリアルに持っている奴が比較的多い。まだ将来の職業すらあいまいな上総にとっては、肩身狭いことに違いはない。

 ──この前も言ってたな。俺の服を散々さわり倒した挙句、「指先で生地のよしあしを見分けられなくては将来困りますからね」とかなんとか。あれも今の話につながっているんだろうな。人に薦めるなら着物について細かく説明しなくてはならないだろうし。

「霧島はいつもこんな風に、将来の仕事を意識していろいろ勉強しているの」

 ふたつめのゼリーパックを開いて口に運びながら上総はさらに尋ねた。

「もちろんです。誰でもそうではないのですか」

「いや、俺はまだそこまで考えてないし」

 もごもごごまかす。霧島はゼリーの入れ物をテーブルに置きなおし、反り返った。

「まあそうですね、僕の同級生たちを見ても、将来に対していい加減な奴らばかりですからね。社会に出たら力関係がひっくりがえるかもしれないのに、いばりくさる奴とか多いですね」

 ──それをお前が言うのか?

 突っこみたいががまんする。ただ、すべての連中とは言われたくないので言い訳だけはしておく。

「俺の知っている人で、中学一年卒業段階で退学して将来のために修行に出た人もいるし、その他にも画家を目指して今から大学の授業受けている奴とか、青大附高の推薦を蹴って医学部入学に有利な大学目指した人とか、結構いるよ。言いふらすわけではないけど、それなりに将来のことを意識している生徒がうちの学校、かなり多いと思うけどな」

「先輩の仰る方々はだいたい把握できました」

 確かに、目立つ奴ばかりではある。霧島も納得はしているらしくさらに二口ゼリーを片付けた。

「ですが、僕のように将来を見定めて日頃の行動をコントロールしている人間は少ないのではないでしょうか。僕は小学生の頃からこれをしたら将来プラスになるかどうかを見極めて行動してきました。商売に関してのノンフィクションや、和服についての基礎知識をまとめた本や、お得意様の世代に合った女性雑誌を中心に読書したり、などです」

「それ、面白いのか?」

「はい。僕が将来どのような店主になるかを想像するには役立ちます」

 まあ、和服に関する勉強は必要だろう。呉服屋の跡取り息子なのだから。実体験をまとめた本があるのならそれを参考にするのもわからなくはない。ただ、女性雑誌とはどういうことだろう? 話の内容からしてどう考えても「週刊アントワネット」のような娯楽雑誌とは考えづらい。

「その雑誌ってどういうこと書いているのかな」

「たとえばお得意様が日々どんな生活を送っているかということですね。具体的に言いますと、ええと、着物を購入するお客様は休みの日にどういうところに着ていくのかとか、レストランとか美術館とかお茶席とかお見合いとか、いろいろイメージするわけです。またどんなものを買っているのかとか、どんな芸能人に興味があってどんなファッションに影響を受けるのかとか、そういった内容です」

「そうか、イメージしておけばこれから先、どういうものを薦めたりできるかわかるもんな。鋭いよ」

 霧島は満足げに笑った。一気にゼリー二個目を平らげた。

「それだけではありません。お客様は店にいらした時にいつも買ってくれるわけではないのです。暇つぶしにおしゃべりをしたりもするのです。その時に会話の糸口を増やしておくために、共通する情報を仕入れておくことも必要なのです:

 ごもっとも、ごもっとも。これも本条先輩から言われたことだ。上総が近い将来誰かに惚れて口説こうとした場合、相手の情報を集めることももちろんだが興味のある雑誌を調べておくのも有効だ、といった内容だった。

 ──本条先輩すごいよな。明日、会えるんだよな。

「立村先輩、何笑っているのですか」

「いや、なんでもない」

 本条先輩のことを考えるだけでわくわくするなんてそんなこと言えやしない。

「とにかく僕は、すべての生活を将来のために費やしているというわけです。どうして他の連中は自分の未来を考えずに無駄な日々を送っているのでしょうか。理解しかねます」

 ならなぜ、今、ここにいる? 問いかけたいのだが、また強烈な言い返しが待っているだろうからあきらめる。それにしても霧島のものの言い方、上総がよく知るある人間によく似ている。もしかしたら免疫ははるか前から身についていたものなのかもしれない。

 

「先輩は明日どうなさるのですか?」

 迷う。短く答えた。

「用事があるんだ」

「何の用事ですか?」

「知り合いに会うんだ。だから外に出る」

 ふうん、とばかりに霧島も頷き、組んだ手を膝に乗せた。

「羽飛先輩と清坂先輩ですか」

「いや、違う」

 本当のことをあっさり答えてもいいのだが、何となく制するものがある。

「あのふたりとは別の日に会うつもりなんだけどさ。自由研究一緒にやるから」

「自由研究のテーマとは?」

 ずいぶん食い下がる。まあいいか。明日の予定に触れなければ。

「アメリカの有名な画家がいるらしいんだけど、その人についての研究。美術については全然わからないからあの二人に任せておいて、俺がやることはその評論集を訳することくらい。結構量があるらしいから時間もかかるだろうな。間に合えばいいんだけどさ」

「美術はお嫌いなのですか」

「嫌いってわけじゃないけど、詳しい話されてもわからない。あのふたり、いわゆる前衛芸術大好きだから趣味はちょっと合わないな。きれいな風景画とか見ていいな、くらいは思うけど」

 美術についてはいまだに謎の部分が多すぎる。羽飛と美里のふたりが選んだ前衛画家……いまだに名前は聞いていない……の歴史を紐解くにあたり、日本ではまだ翻訳されていない資料が図書館に埋もれているのだそうだ。それを探すところまではふたりにまかせておき、原文が到着した段階で一気に片付ける予定でいる。麻生先生の嫌がらせにも似た「複数人での自由研究」だがそんなことでめげる上総ではない。あくまでも自分の得意分野に問題を引き寄せて勝負をしようと決めている。ざまあみろというとこだ。

「僕も美術については自分で勉強しておりますが、奥が深いですね」

 軽く留めた後、霧島は詳しい日取りを尋ねてきた。

「いつ頃お会いするのですか」

「向こうの状況待ちかな」

 事実なのだから仕方ない。

「委員会やっていた頃は毎日学校に通っていたからしょっちゅう顔を合わせていたけど、今は夏期講習も八月に入るまで休みだしせっかく休みなら楽したいから、無理には行かない」

 部活動、委員会活動している奴らは今日も学校に向かっているだろう。珍しく休み中は何もしなくてすむ現在、有効活用もちろんしたい。

「そうですか」

 これ以上霧島は突っ込んでこなかった。胸、なでおろすのみ。こいつが上総の夏休みスケジュールについて興味津々なのは、この前家に遊びに来たときから気づいていた。

「それはそうと、忘れておりました。こちら、うちの母よりこちらをぜひ、お昼に召し上がるようにとの託でした。ぜひ、召し上がっていただけますよう」

「そんな気、遣わなくてもいいのに」

 紙袋の中身を取り出し、意味ありげに唇をゆがめる霧島。ぴりりとくる何かを感じる。どこぞの有名和菓子店の高級ようかんかそれともバターのくっきり聞いたクッキーか。あれだけ手土産に拘る霧島のことだから、それなりのものなのだろう。

 取り出されたものを見た。

 何度も目を疑った。


 ──なんだこれ?


 ホワイトソースの缶詰、たまねぎ、ほうれん草、ベーコン。そして大袋のスパゲティ。

 ベーコンと野菜類にはご丁寧にも巨大なドライアイスがくくりつけられている。誰かが持たせたものであろうことは予想がつく。

「これ、もしかして、作るための材料、か?」

 唇をくいと上げ、霧島は笑顔を満面に浮かべて答えた。

「見ての通りです。先日お伺いした際に先輩がご馳走してくださったリゾットと野菜スープが非常においしかったということもありまして。母と相談し、せっかくならばここでホワイトソースのスパゲティを作っていただければと思った次第です」

「作るって、俺が、か?」

 感謝しなくてはならない、わかっているのだが、霧島の発想に頭がついていけない。

「もちろん、僕もお手伝いさせていただきます。そのつもりで参りました。台所はどちらでしょうか?」

 きょろきょろしながらさらに畳み掛ける霧島。目の前で上総がドライアイスにくるまれたベーコンを手に取っているのに気づいたのか、

「冷やしてありますのでご安心ください。そのために汽車でまいりました。汽車なら冷房が入っていますから、生ものもさほど悪くならないのではないでしょうか。かなり冷えてますよね」

「ああ、凍ってる」

 夏のさらりとした風が部屋をすり抜ける。扇風機が回っているだけで汗は引く。たぶん腐ることはないだろう。ただ、いくらなんでも、しかし。

「ありがとう、でも霧島、お前は手伝わないでいいから。俺ひとりで大丈夫、ふたりぶんなら問題なく作ることできるし」

「いえ、立村先輩。もうひとつ我が家オリジナルの調理方法も母直伝のものを預かって参りました。その説明もしなくてはなりません。先輩、重ね重ね申し訳ございませんが、台所はどちらですか?」

 勝ち誇ったかのように質問を繰り返す霧島に、上総は無言のままスパゲティ材料一式を抱えて台所に向かうしかなかった。まずは冷蔵庫にベーコンだけでも入れておかねば。ちょろちょろと霧島も上総の後ろについて来る。犬か猫、ペットとはこういうものなのだろうか。わからない。今はっきりしているのはひとつだけ。


 ──やっぱりこいつ、台所まで押しかけてくる気だったんだ……!

 


 


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