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その二 高校一年夏休み八日目・立村上総の霧島真に振り回される日々(1)

みどり色の四季だより 高校編


その二 高校一年・夏休み八日目 立村上総の霧島真に振り回される日々


「上総、今日はどこか行くのか」

「行かない。後輩遊びに来るから、部屋にいる」

 社会人は七月なんて休みなんてことそうそうない。父がコーンフレークと温野菜のセットで朝食を終え、台所に下げた後上総に尋ねてきた。当然そう答えるしかない。

「後輩か? お前にしては珍しいな」

 どうせ「お前なんか慕ってくれる物好きな後輩がいたのか、ほうめでたい」程度の認識に違いない。上総なりに父の発想は予想ついていたけれどできればそれは個人の判断にとどめてほしい。頼むから。

「母さんも喜ぶだろうな」

「どこがだよ」

 すっかりふやけたコーンフレークをつつきながら上総は言い返す。やっぱりそうだ。こうくるんだ。どうせ自分との会話は母に筒抜けに違いない。用心してはいるけれども敵もさるもの、ありとあらゆる手段で上総のプライバシーに忍び込んでくる。

「まあいい、あんまり羽目をはずさないならのんびり過ごしなさい。サイダーも紅茶も地下室に箱ごと置いてあるからな。昼はひやむぎでもゆでて食べなさい。おやつは、まあそれなりにあるだろうし」

「わかった。いってらっしゃい」

 話を強引に終わらせるため、すぐに台所へ立つ。水で流すのが一番だ。父は白いシャツにネクタイをしっかり締め、サスペンダーの緩みを指先で確かめた後背広に腕を通した。麻布の涼しげなタイプかもしれないがかなり暑そうではある。ご愁傷様だ。

「まあ、早めに宿題は片付けておけば夏休み後半楽になるぞ。せっかく後輩君が来るのなら、先輩としていいところも見せてやりなさい。ああ上総、忘れてたがその後輩君は、男子なんだろうな?」

 ──古傷かよ。

 いたって平然を装い答える。

「当たり前だろ」

「いや、当たり前じゃないこともあるからな」

 言い返せないのをいいことに父はさっさと玄関から出て行った。車庫から車を出す音が部屋の中にも響く。父の愛車のエンジンだけは上総もなんとなくその音が聞き分けられる。

 ──二年前のことまだ覚えてるのかよ。

 上総はまず、父と自分の食器を真っ白く洗い、水気を取ってすぐに食器棚へしまいこんだ。戸をしっかり閉めた。ついでに生ごみをまとめて地下室に運び込み、客がいつきても恥ずかしくないよう整えた。台所にまで入ってくる奴が友だちでそうそういるとは思えない。あくまでも「友だち」ならば。ただ、

 ──あいつだけは、予想つかない。

 部屋の掃除、玄関のたたきの水拭き、窓ガラスの乾拭き、いわば主婦業と呼ばれることをさっさと済ませ、上総はもう一杯牛乳を汲んで飲み干した。これで少しは夏休み中、背が伸びるだろうか。切なる願いである。


 夏休み初日、押し切られる形で霧島に品山の我が家へ押しかけられた午後。

 立村上総の人生においてあれだけ強烈な訪問客はあまりいなかったと思う。

 もちろん友だちが今まで来なかったわけでは全くない。貴史も、南雲も、本条先輩も、評議男子トリオも。父がたまに皮肉る相手だってそれはきた。そうだ、清坂美里とふたりきりで過ごした冬の午後も忘れちゃいない。絶対に。

 本条先輩を除けばみな同級生で、ちゃんと友だち同士の付き合いをわきまえた連中ばかりだ。少なくともいやな思いをしたことは一度もない。まあ、終業式後に押しかけてきた関崎のような例もなくはないが、決して嫌っているわけではない。先日たっぷり仕返ししてやったのでこれで落ち着いてほしいと思うのだが、どうなることだか。

 だが、あいつだけは。

 ──信じられないよな。あいつ本当に「霧島呉服店」の跡取り息子なのかよ?

 いや違う。上総は書棚に並んでいる「和服の着付け方」という写真本を取り出した。

 ──いや、青大附中の敏腕生徒会副会長なのかよ?

 肩書きや環境ばかりが派手すぎて訳がわからない。上総からしたらあれば、

 ──犬や猫を飼ったらあんな感じなのか?

 ちなみに上総は今まで動物を飼ったことなどない。リアルな想像ではない。


 まだ九時半を回ったところだ。父の部屋と自分の分を合わせて洗濯機にぶちこみすぐまわす。乾燥機に押し込んで乾かすところまでは終わらせたい。普段ならそれからもう一度日に当てるようにしたいが今日だけはそうもいかないだろう。見落としがないかどうか確認をした後、上総はすぐに自室へ戻った。

 もともと精神的に落ち着いている時であれば部屋は片付いている。いきなり霧島が押しかけると騒いだ時も部屋だけは見せられる状態だった。ただ、まさか。

 本棚および机の引き出し、すべてをチェックする。見られてまずいものはもちろん参考書やカバーの陰に隠す。ドイツ語とフランス語のちゃんぽんで書いた日記についてはもちろん机の奥深くに押し込むのは言うまでもない。

 ──あとはないよな、まずいものって。

 年賀状も手紙も、特にないはずだ。

 ──頼むからおとなしくしてくれよ、霧島。

 部屋に掃除機をかけ、もちろん窓を開け放ち、机を水拭きした。ついでに部屋のにおい消しも思い切り吹いた。薔薇のにおいなのだそうだ。すっきりしたろうか。


 ここ一週間ほどの熱帯夜を乗り越え、上総なりにもだいぶ慣れてきたこの頃だった。毎年七月から八月にかけて上総の体力は限界を向かえ、夏休みをよいことに半分干からびた状態で過ごすのが常だ。それでも薬を飲んだり体調を整えるテクニックを身に着けたりして、以前のように貧血で即倒れることは少なくなった。全くないとは言わないが、「がまんできる」ようにはなってきたんじゃないかと思う。

 ベットにカバーをきっちりかけ、次に飲み物を用意するため地下室に下りる。

 自分ではさほど珍しいと思わないのだが、「地下室」という響きを聞くと友だちすべてが一瞬引いたような表情で上総を見る。地下室においておけば無理に冷蔵庫へ押し込まなくても飲める状態には冷えるしただそれだけなのだが。どこか上総の感覚は友だちとずれているのかもしれない。今に始まったことではない。気にしていたら日が暮れる。

 ──まだ飲み物用意するのは早いか。でも、冷麦かよ。どうしようかな。

 もちろん料理は日常でお手の物、かんたん過ぎる部類には入る。しかし、今日は相手があいつだ。あの霧島だ。しつこいようだが「犬か猫」だ。ペットに近い。台所に入られるかもしれない。それは避けたい。上総の部屋に押し込めたいのだがそうもいかないだろう。想像すると頭が痛くなる。

 考えたくない。まずは机の前に座る。改めて引き出しから日記用ノートを取り出す。先日、夏休み一日目のページを読み直して見る。


 今まで後輩を家に呼んだことはないので、どう扱っていいかわからなかったのは確かだ。ふつうの友だちを招くのと同様に連れてきたつもりだ。普通に部屋の中で話をするだけでいいと思っていた。しかし、彼の場合は今まで自分が経験した客としての態度と全く異なっていた。正直、カルチャーショックを受けている。

 礼儀作法が間違っているわけではない。むしろ中学生にしては礼儀正しすぎるところもある。家庭のしつけが徹底しているのだろうと推測される。連れて行く途中で手土産代わりに和菓子屋へ寄り道されたし、いわゆる立ち振る舞いはきちんとしている。

 ただそれは、家に到着するまでのことだ。

 玄関できちんと靴を脱ぎ、部屋に入ってきたとたん態度はがらりと変わった。まず部屋の書棚に目をやり、不思議そうに眺めやる。最初僕の部屋に入ってきた人のほとんどはそれをするのでさほど驚きはなかった。中には本を手に取る奴もいるが彼だから珍しいというわけではない。問題は次だ。

 いきなり洋服箪笥を開けて、まじまじと僕の服を眺めやるのはなんでだろう?

 たまたま夏のスーツ類を全部かけていたのが珍しかったのだろうか?

 夏休みに入ったら、例のイベント関係できちんとした格好をしなくてはならないこともあって、いつでも着られるようにかけておいたのだが、そんなに普通ありえないことなんだろうか?

 しかも、断りもしないで引っ張り出してきて生地をさわり、その質についていまひとつだとか、もっとよいものでなぜ作らなかったのかとか、手入れがなってないとか、一方的になぜ説教し始めるのだろう。まがりなりにも彼は僕より二歳下なのだ。何を考えているのか正直全くわからない。

 その後、彼がわざわざ立ち寄って用意した和菓子を食べながら話をしたのだが、全く持って落ち着かない態度の数々に僕は呆然とするばかりだった。机の引き出しを興味ぶかそうに覗きこもうとするし、本棚にいたっては一冊ずつ数えてはすべて読んだかどうかを試験しようとする。音楽テープにいたっては一本ずつ用意して、軽薄な音楽ばかりだとかだらだらと批判ばかりする。部屋をきちんと掃除しておいてよかった。下手に汚れ物がたまっていたりしたら何を言われるか想像がつかない。

 それでも、最後は機嫌よく帰っていったのでそれなりに楽しかったのだろうとは思う。彼はいったい僕に何を求めているのか、やっぱりいまだにつかめない。


 過去の経験で両親に読まれても問題のない程度の内容を書きとめておいた。

 実際は違う。霧島の暴走振りはとてもだが人には言えそうにない。

 もちろん洋服に興味深々で一着ずつ箪笥から出し、

「この生地は高いように見えてかなりコスト抑えてますね」

 とか、

「この染みなぜ早くクリーニングで落としてもらわないんですか」

 とか、

「第一、この色のどこがよくて選んだというんですか。趣味が悪すぎます」

 とか言い放ったのは事実だった。霧島がなぜ洋服に対してそこまで拘るのか、想像は若干つく。「霧島呉服店」の総領息子なのだし、いろいろとよいものに触れる機会は多いおだろう。しかし、仮にも二年年上の先輩宅にあがっていきなりする行為ではないだろうと上総は思う。

 いや、洋服についてはまだ笑って許せる。職業病なのかもな、と流せるところもある。

 問題はここから先だ。


 ──あの、いくらなんでも昼間からあんなことぺらぺらしゃべるって、いくらふたりきりで、男子同士だからって、あのさ、いくらなんでも。


 上総もそれなりに下ネタに対する耐性はある。いや、人並み以上に興味を持っているほうかもしれない。かつては淡白だと分析していたが今ではとてもだが否定できない。一時期は病気じゃないかと真剣に悩んだこともあるが、友だちの本音を鑑みてまあ、十五歳の男子としてはごく普通の反応なのではと認識している。本条先輩というきわめて極端なロールモデルがいることもあって、今は冷静に受け止めるようにはしている。

 だが常識としてその手のネタは、カーテン閉めてからのものだろう。

 軽く「お前、あいつに立たねえのかよ?」「お前巨乳好きだろ?」「初体験はいつなんだよおい」程度の突っ込み合い程度ならまだわかる。貴史や南雲、その他評議三人組とも主に受ける形で話すことも多々ある。しかし、

 ──いきなり部屋の中で、まじめな顔して、あんなこと言い出すことないだろう?

 想像するのも上総としては恥ずかしくなる。ふたりきりで気を許したのだろうと好意的に受け止める努力はする。しかし、いくらなんでもあれはないだろう……。

 ──いくら仲のいい友達にだって普通隠すぞ。そういう気持ちがないとは俺も口避けても言えないけど、でもさ、リアルにだよ。あんな妄想を、特定の人の名前出して話すのはちょっとまずいよ。それに俺だってそんな霧島のこと、詳しいわけじゃないしさ。

 いや、詳しいといえば詳しい。すでに一学期の段階で、上総は霧島の家庭事情を一通り聞き知っている。根掘り葉掘り聞き出したわけではない。例のごとく一方的に話すのを聞くだけなのだが。

 

 いわゆる健康な思春期の男子である以上、否定ができない感情ではある。

 気持ちを汲み取れなくもない。

 ただいくらなんでも。

 上総は薄いアルバムを開いた。二年の評議委員宿泊研修の際に撮影した記念写真だった。

 ──俺もいくらなんでもここまではな。

 無表情で、凍った眼差しの女子ひとりを探す。半そでで襟のリボンが品よくまとまっていたその女子。写真写りはぷっくらしているように見えるが、それは上半身のみ妙に膨れて見えるだけ。実際は限りなく細く、壊れそうなのに。上総はその女子がどれだけもろいか、触れたらやわらかいか、震えているかをよく知っている。もっとも「触れた」のは一度だけだ。名誉のために強調しておく。霧島に気づかれたら何妄想されるかわからない。

 ──けどさ、なんであいつ、俺にそんなこと話すんだ? 相手が誰だかわかってるだろ? 俺があいつの大好きな、その、あの、彼女と対立している相手と親しいなんてこと、承知しているはずだろ? 普通だったら軽蔑したっていいだろ? 一体なんで、俺にわざわざ逐一報告したがるんだ? それも、そんな、普通男子同士でも話しそうにないことをだぞ? 


 すぐにアルバムを片付け、ノートもしっかり机奥にしまった。前回の例からするとおそらくだがあいつは、野獣のごとく部屋をあさりまくり、ひとつひとつひっぱりだしては無理やりその手のネタにつなげようとするに違いない。部屋に呼ぶ以上は覚悟している。話とことん聞く覚悟もある。ただ、できるだけ火の粉が飛ぶのは避けたい。

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