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その十九 高校一年夏休み二十五日目・立村上総の天敵と対決する日々(5)

 菱本先生の姿が消えた後、ウェートレスの女性が再度注文を取りに来た。

「お代わりはいかがですか」

 すぐに父が、

「ではもう一杯ブレンドで」

「承知いたしました」」

 注文を済ませた後、深い息を吐いた。

「お前が露骨に嫌な顔するから先生にお引取り願ったわけじゃないんだからな」

「でもなんであんな言い方したの」

「あれじゃあ家庭壊すぞ、あの先生も」

 すでに珈琲を飲み終えていたのか、カップの中は空だった。再度ウェートレスによりゆっくりと継ぎ足される。ふんわりと濃い珈琲の香りが漂う。

「菱本先生がお前たちみたいな悪ガキどものために全身全霊で働いていることはよくわかるし、それはありがたいことなんだが、人間は身体が資本だろう。せっかく休みだというのにわざわざ子どもの進路について時間を割くというのは、過剰労働だろう」

 ──そうだよな。と、いうか、してほしくないよな。

 父は改めて珈琲カップを持ち、上総の手元にあるかばんに目を留めた。

「それにしてもずいぶん膨らんでるな」

「父さん来る前に駅で、矢高さんに渡す資料まとめてもらってきたんだ。無理に歩かなくてもいいよ。このままうちに帰ってもいいし」

「明日から学校だしそれのほうがいいな」

 そう言いながら、両手を組んでテーブルに置いた。また上総の顔をまじまじと見つめた。

「せっかくだからお前の質問に答えておくか。つまりだな、今日先生がわざわざお前のために時間を割いてくださったのは、お前も耳にしていた通り青大附属高校の教育方針が大幅に変わるということと、それに伴う大学推薦の基準の件を少しでも早く知らせたかったのだろうな。お前がどれだけあの先生に迷惑かけているかは自覚しているだろうから繰り返さないが」

 ──向こうから仕掛けてくるからだよ。 

 今回に限り父に一方的説教をさせておこうと思う。上総は黙っていた。

「もちろん先生は純粋にお前の将来を心配して、矢も立てもたまらずに呼び止めたのだろうし、お父さんがたまたま側にいたこともあって対策を一緒に練りたいと真剣に考えていたんだろう」

「なんとなくわかる」

「学校でもそのあたりの話は出てきてないか?」

 知らん振りを通すのもうそ臭いのできっちり答えた。

「あくまでも噂止まりだけど」

「生徒たちの間でもそういう話になってきているのならそういう方向で動きつつあるんだろうな。父母への説明はまだ行われていないし、あるとすれば二学期以降だろう。父さんとしてもこのままお前がすんなり推薦で青潟大学にあがれるのかそれ以外の選択肢を考えねばならないというのは、大きな問題だよ。学費などいろいろあるのは想像つくだろう?」

「わかってるよそのくらい」

「どこまでわかってるんだかなあ。まあいい。お前にはできれば大学まで進学してもらいたいというのは、父さんも母さんも一致している。もっと言うなら青潟に住んでもらえれば大学進学してからもお前の語学力で翻訳の手伝いしてもらったり、母さんで言えば外国人のお客さんの通訳してもらったりといろいろ助かる部分もある。このあたりは便利屋扱いだろうがその辺は大目に見とけ」

「ただ働きかよ」

「文句あるか」

 噴き出さざるを得ない雰囲気に思わず笑った。

「とにかくだ。お前の中学時代とはだいぶ推薦の基準が変わってきている以上、親としてもこれからお前の将来を真剣に考えねばならない時期に来ていることは確かだよ。今日の話でなんとなくつかめたか」

「前から知ってる」

「公立の高校生たちは早い段階で受験勉強を始めているし、もし青潟大学の推薦が難しいとなった場合の対策として、他大学の受験も視野に入れておく必要がある。このあたりも、わかるな」

「わかってる。考えてるよそのくらいは」」

 ──いや、考えてなかったかもしれない。

 父には承知しているようなことを言ってみたけれども、まだ現実味がない。噂は確かに学校内で飛び交っているし、はずされる対象のひとりが自分であることもうすうす感じてはいる。でも、さすがに英語科トップをキープしていればなんとなかるのではという気もしている。

「お前見たいに学科にばらつきのある成績だと国公立は難しいだろうから自然と選択肢は私立大学になる可能性が高い。そこからうちで捻出できる学費と、場合によっては仕送り代、その他いろいろ入用なものを考えると父さんの細い腕だけではなかなか厳しいぞ」

「それもわかってる」

 不意に思い出した。「ファビアン」を巡る会話を。上総は自分の分の珈琲カップを飲み干した。完全にアイス珈琲化していて味わいもなにもない。


 ──父さんも書きたいテーマがあるんだよな。

 具体的にそれが「何」なのかはいまだにつかめないまま。父も「ライフワーク」とかなんとか話しているし、下手したら上総や母の生活にも影響してくるものなのではと危惧しているくらいだ。相当なタブーなのだろうと予想はしている。

 いきなり破産するとか生活できなくなるとかそういうことではないにしてもこれから先、今まで通りののんびりした生活ができなくなる可能性は多分にある。青潟大学に進学するのであれば少なくとも下宿代は発生しない。アルバイトも可能だろう。しかし、他の大学に進学なんてことになれば予想もしない出費がかさむのは上総の頭でも想像するのはたやすい。

 ──あの勘違いアットホーム野郎の押し付けがましい親切はさておいても、父さんの言う通り学校側の方針転換については本気で考えたほうがいいのかもしれないな。

 父だけではない。この夏休み、狩野先生、野々村先生という二人の教師と語り合うことによりなんとなくだが「語学オンリー」の自分を耕していこうとする動きが感じられる。偶然の一致だとは思う。何かが動いているとは考えにくい。それでも自分の直感を信じるならばそれはひとつの答えだと思う。

 

「父さん、ひとついいかな」

 思い切って口を開いた。父もゆったり微笑みながら答えた。

「言いたいことあるか」

「進路のことだけど、よくわかった。調べて見る。けど、少し時間がほしいんだ」

「それはもちろんそうだよ。父さんたちももちろん必要だ」

「もしかしたら語学以外の方向で見つかるかもしれないから、少し探ってみたい気はするんだ」

「たとえばどんなのだ? 英語以外にか?」

 にやにやする父を上総は少しにらみつけた。

「わからない。けど、先生たちからは日本文化にも興味を持てとか言われている」

「そう怒るな怒るな。先生たちというと狩野先生とかあのあたりかな」

「狩野先生だけじゃないけどさ。でも、青潟大学英語科以外の進路もこれから探ってみようという気はしてる。もちろん、一番いいのは推薦で英語科に進学できることだから、できるだけ他の科目も本気でやるつもりだけどさ」

「本当にそうしてくれたらありがたいんだがな」

「けど、もし他の私大に行くしかなくなったら、その時はなんとか父さんに負担かけないような方法があるかもこれから調べてみるよ。うちの学校には特待生制度があるけれど、そういういわゆる奨学金をもらえるかどうかとか、いろいろあるから」

 言うべきか言わないべきか迷ったが、思い切って口に出した。

「少なくとも父さんのやりたいことを邪魔するようなことはしない、約束するよ」

 父はしばらく黙り込んでいた。珈琲のソーサーを指で動かし、時折上総の横顔を見つめては小さく頷いていた。

「青大附属はいい学校だよ。泣き虫だったお前をここまできっちり大人にしてくれるんだから」

 その上で大きくため息を吐いた。

「本当はこのまま大学まで面倒見てもらいたいところなんだがな」

 

 喫茶店を出た。すでに一杯目の珈琲支払いは菱本先生の手で行われていて、父のお代わり分だけ払えばよかった。

「それとだ上総。今日のことなんだが、絶対に他言するんじゃないぞ」

「なぜ」

「はっきりしたことは分からないが、菱本先生がお父さんたちに話そうとした内容は、学校内の機密事項である可能性があるんだ。特に父さんは小さいにしろマスコミの一員だ。全くの善意の塊だとは承知しているが、やはり痛くない腹を探られて職が危なくなる可能性だってある。余計なことは言うなよ」

「わかってるよそのくらい」

 頼まれたって言うものか。思い出したくもない。上総は駅のロータリーに向かった。父も腕時計を覗き込み、

「これからお前を連れて行きたいところがある。自転車で来たんだろう? ひっぱってきなさい」

 少しまじめな顔で指示を出した。



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