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その十九 高校一年夏休み二十五日目・立村上総の天敵と対決する日々(3)

 ──あいつとうちの父さんとの年齢差ってどのくらいだろう。

 最初はびっくりしていた父だが、すぐに社会人の礼儀でもって丁寧に挨拶をした。その後ハブのようにくらいつく青春勘違い熱血教師を無碍にあしらうこともできず、結局、

「いやあ、ここの海鮮丼は初めてですよ」

 うに・いか・たらこがてんこ盛りのどんぶりを目の前にしてため息吐きながら食事をする羽目となった。

「本当は早朝が一番いいんでしょうが、なかなかそうもいかないもので」

「それでもやはりうまいものはうまいですな」

 ──ひとりで食べるんだったらどれだけおいしかったんだろう。

 上総も無言でオレンジ色のつややかないくらの粒を箸で掬い、ご飯と一緒に口へ運んだ。値段を見たが、ほとんど学食価格と言ってよい。それでいてご飯よりも海鮮のほうが圧倒的に多い。はみ出しそうだ。舌でぷちっとつぶれた時の甘さとご飯のやわらかさが溶け合い、まさに口福感で溢れたひととき、本当はそう思いたい。

 ──うにもこんなにたっぷり入ってるのって見たことないな。

 たっぷり盛り込まれた濃い目の黄色見がかったうにも、もちろん一気にほおばる。母には生ものを食べる時は気をつけるよういつも注意されていた。せいぜいこのどんぶりの三分の一程度食べられればいい方だった。

「いかも新鮮ですね。今度家族と来よう」

「これも本当は朝イカが一番適度な甘みがあり、歯ごたえ含めてお勧めなんですが」

 ずいぶん父もこだわりを持っているものだ。菱本先生と父との会話はほとんどが駅前近辺の食事処に関する情報交換のみ。実のある会話は全くしていないように聞こえる。実際一番意味があるのはこの海鮮丼につきる。

 ──父さん、早くこの暑苦しい奴、おっぱらってくれないかな。

 すばやく頭の中で計算した。今年父は三十六歳、ということは担任菱本よりも五歳は上のはずだ。五歳といえば、小学一年と五年生の差。なんとかならないものか。


 とはいえ男性三人ともなれば、食欲旺盛も当然のこと。あっという間に平らげた後、追い出されるように店を出た。

「こういう場所はあまり長居ができませんね」

「そういうものです。我々はたまたますぐに座れましたが、ほら、まだ行列ができていますよ」

 父が落ち着いて、今さっき出てきたばかりの食堂前を眺めて言う。

「なかなか息子を連れてゆっくり飯を食うという機会もないものですからね」

「こちらこそいい店を発見できました。ありがとうございます」

 会話が成り立っていないような気がする。上総なりの観察眼で判断する限り菱本先生の暑苦しい会話を父は適度に聞き流し、それでいて相手を立てるような言い方でもって終わらせているように見える。さすが同じ血が流れているだけある。このテクニックは盗まねばなるまい。

「先生は、これからどうなさるご予定ですか。明日から学校ですし、いろいろご準備で大変でしょう」

 さりげなく父が問いかける。うまく追っ払ってくれるきっかけとなればいいと願うが、

「いえいえ、さっき彼にも話しましたが、僕は今日午前中担当でしたのでこれからゆっくり過ごす予定です。子どももまだ小さいですからオムツを替えたりなんなりの手伝いもしないと、嫁さんにどやされます」

「この時期の育児を手抜きすると一生恨まれますよ」

「もっとも」

 また意味もなく笑い合う始末だ。そろそろ親子の時間だと認識してさっさと消えてくれればいいのだが、菱本先生は汗をタオルで拭きながらにやつき顔で上総をちらりと見た。

「申し訳ないのですが、あと三十分程度お時間いただくことは可能ですか?」

 父に向かい、また丁寧な口調で尋ねている。そりゃそうだ。五歳違いだ。礼儀である。

「ああ、でも先生こそお忙しいのではないですか。私は別にかまわないのですが、それこそ家族サービスも大変でしょうし」

「いえ、この機会だから早めにお伝えしておきたいことが一点ございまして。上総くんのことです」

「上総のことですか?」

 少し驚いたのか、父も立ち止まった。もちろん上総も硬直したままあとに続く。待合室でも確かそんなことを話していたような気がする。すっかり忘れていた。もちろん嫌な予感もセットでくる。

 菱本先生はまた上総をちらりと見て、父に対して頷き返した。

「オフレコの部分もありますので、よろしければどこかお茶を飲めるスペースなどあればよいのですが」

 ──おいおい、まだこいつ張り付いてくるのかよ!

 一人息子の教育問題で、「オフレコ」扱いまで求められるとなれば、ふつうの親なら誰もが菱本先生の言いなりになるだろう。残念ながら父は「ふつうの親」だった。いつもは常識はずれの価値観で立村家をきりもりしているくせに、こういう時に限って「よくある高校生の父親」に戻ってしまう。

 結局父は、駅前ロータリー商店街の喫茶店を選んだ。

 上総からすれば、「なぜ」と言いたくなることの連続だった。

 ──まさか、父さんここ、行きつけにしてるなんていわないよな。

 確か真向かいには「佐川書店」があり、その二階からは入っていくところまで丸見えだったという話を関崎から聞いた。雑居ビル二階の珈琲専門店だった。


 二階まで階段で昇り、そこからガラス戸を押す。この前と同じく、つっとんげんな態度のウェートレスが迎えてくれた。ただ上総の顔は覚えていなかったらしく、先日よりは愛想よく、「いらっしゃいませ、お三方ですか」と確認している。もちろん父相手にだった。。

「奥の席は空いてますか」

 様子を伺うようにして、ウェートレスはすぐに案内してくれた。

「珈琲を三人分。ブレンドで」

「かしこまりました。ミルクはお付けしましょうか」

 父が上総に向かい、「どうする?」と尋ねる。もちろん首を振る。

「先生はいかがですか。ここの珈琲は濃いので砂糖があったほうがいいかもしれませんね」

「では遠慮なく、砂糖とミルクで」

 ──甘いのが好きなのかこいつ。

 ブラックで十分おいしいと思える自分の舌に、少しだけ誇りを持つ。

「それにしてもずいぶんよいお店をご存知ですね。さすがです」

「仕事の打ち合わせで利用する喫茶店は開拓しておかないといろいろ大変ですからね」

 また無駄話で時間を持たせている。父からしたら自分の息子が中学三年間へまばっかりやらかしていて、五歳下の担任に対して頭が上がらないのだろう。その張本人たる上総としては何も言い返すことはできない。高校入ってからも、麻生先生まで交えて上総を常識はずれのスパルタでしつけようとする母に対し懸命にかばってくれたとも聞く。そんなの感謝する気、さらさらない。ただ父が恐縮することには申し訳なさすら感じる。

 すぐに三人分のブレンド珈琲が運ばれてきた。父の目線で一礼し、

「いただきます」

 すぐにカップを持ち上げた。杉本梨南と隣り合いながら珈琲とケーキを食べながら……でもちっとも腹の足しにはならず……過ごした赤い皮の椅子は座り心地がよい。ただ右隣に父が、まん前にあのにっくき天敵野郎のお気楽面ときては、せっかくの珈琲もただの泥水に代わってしまう。


「それでは、先生、うちの息子の件と伺いましたが」

 ウェートレスが席から離れたのを父は確認し、すぐに周囲の席空白状況を把握した。

「近いうちに麻生先生からもお話があるかと思われますが、できるだけ早いうちに対策を取っていただきたいというのが僕の所存です。彼の、将来のためにも」

 言葉を切り、菱本先生は上総を真正面から射すくめた。鋭い眼差しで思わず上総もたじろいだ。

「大学推薦の基準に関する噂が、最近いろいろと流れているかと思われますが、立村さん、その件についてはご存知でしょうか」

「存じております。小耳には挟んでおります。仕事の関係で御校の改革に関するさまざまな噂は、いやおうなしに入ってくるものです」

 五歳差の父は、見事打ち返した。

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