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その十九 高校一年夏休み二十五日目・立村上総の天敵と対決する日々(2)

 青潟駅に着いたのは十一時半過ぎだった。もちろん自転車を持ち出した。朝方に比べると多少気温も上がっていたが、ふらふらになりそうな暑さではない。久しぶりに思い切りスピードを上げて車道脇を走り、髪もぐしゃぐしゃにしたまま駅裏の自転車置き場につけた。もちろん、だいぶ腹も空いた。

 念のために待合室を覗いて、父が到着していないかどうかを確認する。

 ──よかった、まだ来てないや。

 次に駅構内のきっぷ売り場をうろつく。今までまじまじと観察したことはなかったのだがここには青潟市の観光名所や公共施設を取り上げたパンフレットがたくさん並んでいる。五種類のラックを眺めると、子辺の男子修道院あたりの地図も用意されている。今更ながら気づいたのだが、パンフレットの中には結洲市にまつわるものも混じっている。

 ──最初からここに来ていればよかったんだな。

 何度も駅には出入りしていたというのに。これこそ灯台もと暗し。でも今の目的にはぴったりだ。用意しておいた大きめの封筒に、一部ずつパンフレットを引き抜いて詰込んでいく。夏休みの旅行客もかなりうろうろしているので上総ひとりが悪目立ちすることもない。


 二袋分つめたがまだ足りない。父がどういうところへ連れて行ってくれるかはわからないが、かなりの分量になるのは覚悟せねばなるまい。矢高さんもさぞ驚くことだろう。さらにお菓子もセットとなるのだから大荷物になるだろう。

 ──それだけのことしてもらったんだから、当然だよな。

 すっかりぱんぱんになったかばんを抱え、上総は待ち合わせ場所の待合室へ向かった。だいぶ椅子が埋まっている。どこか空いているところを目で探し、壁際の一角にいた家族連れが立ち上がったのを見つけた。タイミングを逃すものか。すぐに隅を陣取った。

 時計はまだ四十五分を回ったところ。父の仕事が時間通りに終わるものとも思えない。一応は雑誌記者なのだからインタビューが長引いたとか取材でてこずったとかイレギュラーな出来事がないとも限らない。

 ──何か飲み物欲しいけど、食事まずくなるのもあれだよな。

 結局、食べ物にすべて釣られている。しょうがない、これこそ健康な十五歳の少年なのだからと自分で自分を慰める。上総がかばんから文庫本を取り出そうとした時だった。


「よお、こんなところでどうしたんだ、いいところに会ったなあ」

 ──ちょっと待て、その声もしや。

 背中を何千匹もの蛭……見たことないけど……がよじ登ったような感覚が蘇る。

 夏休みに入ってから一度も耳にしたことのなかったその声。

 厳密に言えば、終業式で強引に連れて行かれたファミリーレストラン。

 まさか、そのまさかだ。

「あの、お久しぶりです」

 覚悟を決めて顔を上げる。唇をかみ締める。かばんにつっこんだまま本をぐっちゃりと握りこむ。

「明日から学校だな。どうした、今日はこれからどこか出かけるのか?」

「いえ、これから父と」

 口を開きかけすぐ閉じた。まずすることは、立ち上がって一礼。それのみ。弟子は師匠を敬うのが勤め。どんなに目の前で脳天気に笑っている奴が夏ど真ん中の青春勘違い野郎教師であったとしても、だった。

「菱本先生、先日はご馳走様でした」

 結局、食い物のお礼でごまかすしかできなかった。


 取りすがりでさっさと駅からとんずらしていただきたかったのだが、上総が腰を低くして接した来たのを誤解したのか、菱本先生はわざわざ隣りに座り込んできた。肩掛けかばんをぶら下げている。青大附中も高校と一緒の二学期始業式を迎えるはずだから、教師ともあろうものがこんなところで油売ってていいとはどうしても思えないのだが。 

「お父さんとか。旅行か?」

「いえ、調べ物がありその手伝いをしてくれるという話だったので、それに甘えるつもりできました」

 あいまいにぼかすのも骨ではある。自由研究とか言えばおそらく羽飛や美里との話題につながってしまうだろうし、「友だちと会う」ともなれば下手したら杉本との誤解を招く交際疑惑までわきあがってしまうだろう。幸い霧島とのつながりについてはばれていないと思いたいがわからない。霧島に張り付かれている件についてはどうだろう。狩野先生が担任となると言うことは教師である以上知らないわけがないだろうし、そうなると最近霧島が上総にくっついていることも情報取得済みの可能性が高い。よって、余計なことは口にしたくない。

「お前のお父さんは穏やかそうな人だからなあ。お母さんと違っていろいろ話もよく聞いてくれるだろう?」

 父親になったばかりでまだ舞い上がっているのか、勘違いしたことを聞いてくる。鈍い振りをして聞き流した。

「よくわかりません。あまり家では話をしないので」

「いやいやそれはないだろう。よく学校でお会いするが、やはりお前のことを心底気にかけているありがたいお父さんだろう。もっと感謝しないとだめだぞ」

 ──あのさ、この暑さで早く溶けてもらえないかな。

 手をかばんの中につっこんだままだったのに気づいて抜いた。汗ばんでいるのが分かる。時計をさりげなく眺めたがまだ五分も経ってやしない。父が時間通りくるという期待など一切しちゃあいないが、この時ばかりは念力で時間の早回しをしたい気分だった。

「夏休みはどうだった。充実してたか」

「はい、それなりに」

 愛想は振りまかずに事実だけを淡々と述べるに徹した。

「どこか行ったのか? 今日とは言わなくても」

「おとといまで結洲に用事があって二泊三日で出かけてきました」

「結洲か、ずいぶん地味なところだなあ。墓参りか」

 ──親戚なんていないって。それとうちはお盆七月なんだよ。一緒にするなよ。

 心では激しく毒づきつつも、顔は穏やかに整える。いわゆるポーカーフェイス。

「母の仕事の手伝いです」

「お母さんか! お前もあのお母さんだと大変だろう。裏表のない人だからかえってやりやすいかもしれないが、いいか。女性はすべてがお前の母さんみたいなタイプじゃないってことは覚えておけよ」

 ──そうやってさっさと相手をはらませるというわけか。順番間違えて。

 自分に矢が戻ってくるのは承知していてもむかついてくる。カンガルーの袋から飛び出してきた可愛い我が子の話をでれでれしながらしゃべらないだけまだましだ。

「ところでお前のお父さんはいつ来るんだ?」

「そろそろ来ると思います」

 言えばさっさと退散してもらえるんじゃないか、そう考えた自分が甘かった。

「仕事の合間に可愛い息子とコミュニケーションをとろうとするというのは、そうそうかんたんにできることじゃないよな。特にお前のお父さんのようにマスコミのいろいろ厳しい仕事だったらなおのことだ。そうだ、せっかくだし俺も挨拶しておこうかな。なかなかゆっくりとお話することも難しいこの頃だったし、せっかくお前と顔をあわせたことだからいろいろ伝えておきたいこともあるしな」

「あ、でも先生」

 とんでもない方向に進みつつある。胸に金のエンブレムが施されたポロシャツをさわやかに着こなした、とてもだが生後半年以上の子を持つ父とは思えない青年教師・菱本守。さぞ、巷の女性たちからは人気を博したことだろう。上総も何度となく他クラスの連中から菱本先生の担任という立場をうらやましがられたことがある。喜んで交換してやりたい気持ちになったことも数しれず。自分では善意の塊のような顔をして上総の生活に土足で踏み込み、正義感ぶって張ったおすわ説教するわ、極め付けが卒業式英語答辞中のあれときた。全力でのろってやりたいが超能力に恵まれないわが身にはやりきれないことである。

「たぶん父は仕事を終えてから来るはずですし、インタビューなどですとかなり時間も押すんじゃないかと思います。先生もお忙しいでしょうから今日は」

 丁重にお断りしたつもりなのだが、まずかった。火に油を注いだのと一緒だった。

「いやいや、今日はすでに朝一番で用事があって学校に行ってきたんだが、あっさり終わったんだ。当番の先生もいらしたし、明日に備えて鋭気を養うため散歩でもするかと思っていたところだったんだ。いや、なんとベストなタイミングだ。ほら、お前の父さんじゃないか? あの人は」

 言うやいなや菱本先生は立ち上がり、晴れ晴れとした笑顔で手を上げた。


 ──父さん、十二時までまだ五分もあるってのになんでだよ。

 夏休み最後の一日、最悪のピリオドが打たれる予感がした。

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